繋がらない男女 — 齋藤陽道×百瀬文

Posted on 2014/09/14

2014年9月13日、ギャラリーハシモトで齋藤×百瀬のイベントにて。何を行うのかは事前に告知されず、それゆえに見てみたかったのだけれど。

本来、この企画は19時に開場するとアナウンスされていたが、一日前になってギャラリーからメールで19時半から開場するということが伝えられた。こんな文面である。

各位

お世話になっております。
この度は「ことづけが見えない」関連イベントにご予約いただきありがとうござ
います。

明日のイベント開始時間ですが、準備の都合上
19:30~となりましたので、ご了承くださいませ。
イベント自体は、1時間程を予定しております。
受付は、10分前より開始いたします。

お席のご案内は、先着順とさせていただきますので
立ち見の可能性がありますこと、ご了承くださいませ。

狭いスペースの為、ご不便おかけすることもあるかと思いますが
どうぞ楽しみにいらしてくださいませ。お待ちしております。

ああ、そうなの、とその時は思っていた。

当日に、小伝馬町からやや駆け足気味に歩いて19時半直前につくと、2階にあるギャラリーから階段を下って外に行列がはみ出ていた。どうやらまだ開かないらしい。入場し、開始しようというときは20時になろうかとしていた。だから、予定されていた19時開場が1時間ずれこんだことになる。

会場には百瀬さんひとりだけテーブルの前に座っていてテーブルにはMacBookがある。真上にスクリーンがあり、手元の様子が拡大投影されている。どうやら形としては筆談トークらしい。MacBookにはSkypeが起動されている。だが、いつまで経ってもはじまらない。どうやら齋藤くんのパソコンとうまく繋がらないらしい。多田さんが調整のためにMacBookをみたり、奥にある自分のパソコンを見たりしている。

なかなか始まらないな・・・という空気になった。観客が「まだですか?」「いつ始まるんだよ」と言葉をかけてもおかしくない雰囲気である。でも、わたしは怒っているわけではない。
わたしは「まだ始まらないなあ」「なかなか繋がらないなあ」という、ある出来事を待つ感情がこのイベントの伏線になっているのではないかと考えていた。ギャラリーからのメール、19時30分になっても開場しないこと、なかなか繋がらないパソコンが、すでにかれらによって仕組まれているものだとしたらどうだろうか。
イベントがはじまり、Skypeを介して繋がろうとする男女。でもなかなか繋がらない。そして、かれらのやりとりはtogetterでまとめておいたが、二人は意思が通じたり通じなかったりする。とくにおもしろかったのは、Skypeでの会話は入力の過程がスクリーンに表示されるが、齋藤くんはパソコンでタイプするとき、打ったかと思えば消したりする。対し、百瀬さんは澱みなく、すらすらと言葉を綴っていくところだった。齋藤くんにとってはチャットはやりにくい行為のようでそう発言していた。ところが、多田さんによってタイピングが止められると筆談、手話になっていくと齋藤くんが息を吹き返したように自分のリズムを取り戻したようにみえた。

齋藤くんは視線について話をしていたけれども、Skypeではパソコンにカメラがついていれば視覚的にお互いを映し出す「ビデオ・チャット」ができるけれども、それを使っても視線がまじわることはない。なぜなら相手を見つめることは、カメラを見つめることであって、画面を見つめることではないからである。画面を凝視すると、相手をみつめる視線がずれてしまい、相手からは「ねえ、何をみているの?」と問いたくなるようなシーンになるだろう。カメラを凝視している二人はパソコンの画面でお互いの表情を確かめることはできない。
いうならば、百瀬さんのいう「2つの眼」「窓」は見ることと見られることを両立させている。ヒチコック《裏窓》を思い出したけれど、それは「窓」という言葉だけでなく、見る・見られるの関係の危うさが表現されているからだった。

視線を合わせたときに生じる火花について。あれは「愛」ではないかと発言された方がいらした。齋藤くんはその実体は何かは分からないといいつつも、その様子を手話で伝えられるのは彼独特の力だと思う。なんだろうね、あれは。もし、白目を撮る沼田学さんが齋藤くんを撮影したらどうなるだろうか?

2014年 9月 14日(日) 14時51分51秒
甲午の年 長月 十四日 戊子の日
未の刻 四つ

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