tomotake kinoshita old journals

 

2012-03 journals

イメージのレベル ― 諸運動の残骸
2012-3-31(Samedi)


これは先週、生物学史研究会で京都盲唖院に関するレクチャーをしたときの映像の一部。
わたしの前に手話通訳がいて、わたしの手話を日本語に読み取っている。ここでのわたしの手話はほぼ対応手話になっているが、こうしてずっと話をしたわけだ。ここで思うのだけど、わたしの表情をみると、筆談をしているとき、こんな顔はしないと思う。ペンや紙から解放されて、おのれの身体のみで言語を発している状態といえようか。
この映像をチェックしていたとき、ホッブズ『リヴァイアサン』が出てきた。ホッブズはイマジネーションの連続について、こう書いている。

「すべての想像は、われわれのなかにある運動であり、感覚のなかでおこなわれた諸運動の残骸であり、そして、感覚のなかでたがいに直接に継続した諸運動は、感覚のあとでもやはり、いっしょでありつづける。」

「諸運動の残骸・・・」そう口を動かしてみた。
手を動かして、次の手話にいくときに、前やっていた手話は消えてゆく・・・でも、言語としての記憶は見る人の脳裏にある。ふだん、わたしは周りの人と筆談をすることが多い。ペンと紙によってなされるこの会話の形式は、紙に必ず記録される。でも、ここで話しているとわたしの手が動いては消えて・・・そう、残骸のようなのだよね。イメージが連続しては消えて行く。手の動きの部分から部分に飛んでゆき、イメージをつくりだしている。

それで、上野にある西洋美術館の常設展示にあるルネサンス以前からバロック、ロココあたりの絵画をみているときに、キリスト、マリア、ヨハネ・・・ひとりひとりの身ぶりに注目して、全体と部分をみていく。このような感覚の運動があって、わたしのなかに絵画がもつイコノロジーやイメージの「多面体」が形成されていく。そして隣に展示されている、次の絵に移ると、そこにあった絵のイメージは脳裏にある「タンス」にしまい込まれていく。残骸となっていく。「感覚のあとでもやはり、いっしょでありつづける。」とホッブズが書くように。
美術史家のヴィクトル・I・ストイキツァという先生が、絵画を論じるときに「イメージのレベル」という言い方をしたことがある。レースというか、透明な膜が連なっていて、絵画のある部分を分析するとき、他の部分を脇においておいて話をすすめる。別に珍しい手法ではないけれど、「イメージのレベル」という言い方が面白かったのを覚えている。
手話と絵画、動くものと一見したところ静止しているもの(絵は本当は静止などしていないけど)をみるとき、つまり、イメージをつかむことにおいて、手話をみて考えることと、絵をみて考えることは本質的に同じことなのかもしれない。
少なくとも、わたしは手話と絵画を区別していない。要するに、手話をみることは絵画をみることであり、絵画をみることは手話をみることなのだ。

ちなみに、わたしが話していることを日本語で書くとこうなる。
その流れのなかで、なぜ京都盲唖院が出来たのか。つまり、なぜ京都なのか。なぜ東京じゃないのか。それを考える必要があります。3つの理由があります、ABCで話をします。A:京都府の性格を考える必要があります。明治2年に天皇が東京に東幸する。そのとき、京都府で働いていた官吏、明石(博高)が書いた文があります。「今ヤ我京都ハ 聖上御東幸、一千載ノ華洛モ 一朝凋然萎靡シ、瞻(み)ルニ堪ヘザル在リ」という。
つまり、明治天皇が東幸して京都が落ち込む ― モチベーションが下がります。それに対して京都府はどうしたのか?


2012年 3月 31日(土) 23時06分53秒
壬辰の年(閏年) 弥生 三十一日 辛卯の日
子の刻 一つ

両存する気持ち
2012-3-30(Vendredi)




keyword:恋/愛/結婚

2012年 3月 30日(金) 23時08分01秒
壬辰の年(閏年) 弥生 三十日 庚寅の日
子の刻 一つ

よりそう
2012-3-29(Jeudi)


keyword:寄り添う/存在/言葉/言語/テクスト

2012年 3月 29日(木) 23時45分01秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十九日 己丑の日
子の刻 二つ

キス
2012-3-28(Mercredi)


keyword:旅館/浴衣/キス/蟹/雲/雨/水/海/月

2012年 3月 28日(水) 22時39分00秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十八日 戊子の日
亥の刻 四つ

体を沈めること
2012-3-27(Mardi)


keyword:マリアナ海溝/オーギュスト・ピカール/ジェームズ・キャメロン/タイタニック/歴史/史料

2012年 3月 27日(火) 23時14分13秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十七日 丁亥の日
子の刻 一つ

歴史の準備体操
2012-3-26(Lundi)


keyword:歴史/想像/観光/イメージの地層/水野千依/ルネサンス/イタリア

2012年 3月 26日(月) 23時32分50秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十六日 丙戌の日
子の刻 二つ

今和次郎の筆談
2012-3-25(Dimanche)


keyword:今和次郎/聾/筆談

2012年 3月 25日(日) 22時59分08秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十五日 乙酉の日
亥の刻 四つ

生物学史研究会にて
2012-3-24(Samedi)



keyword:生物学史研究会/盲唖院/手話

2012年 3月 23日(金) 00時22分29秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十三日 癸未の日
子の刻 三つ

二枚の写真
2012-3-23(Vendredi)

ぼくの部屋の窓から。これは去年の夏に撮影したもので、暑いときなんだけどこの光がなつかしい。
外にある木からもれる葉のシルエット、レースの影・・・簾の形と光。そんな思い出。


そして、これはぼくが初めて京都に行く日に撮影したもの。
左が亡くなった祖母、右が母。このときはもう耳が聞こえないことがわかっていて、京都の伏見稲荷や二条城に行ったという。二条城でおもちゃをほしがってを駄々をこねたとか・・・。
おばあちゃんはとても優しくて、美術・音楽が好きだった。小学校のときに、そっとぼくの額にふれてくれた手の感触をいまだに覚えている。ふわっとした、でも力強い感触。
ときどき、会いたくなります。若松で元気でいてね。

2012年 3月 24日(土) 00時55分03秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十四日 甲申の日
子の刻 四つ

座標を見失うな
2012-3-22(Jeudi)


keyword:物事/角度/異分野/オリジナリティ/新しい

2012年 3月 23日(金) 00時22分29秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十三日 癸未の日
子の刻 三つ

ことばの木
2012-3-21(Mercredi)


keyword:言葉/言語/コミュニケーション/エネルギー/筆談/手話

2012年 3月 22日(木) 00時01分47秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十二日 壬午の日
子の刻 三つ

沸騰し、沈澱する
2012-3-20(Mardi)


keyword:村山知義/葉山/イタリア未来派/モホイ=ナジ/マヴォ/リシツキー/ラピュタ

2012年 3月 20日(火) 22時15分41秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二十日 庚辰の日
亥の刻 三つ

フロレンチーナ・シュニッテン
2012-3-19(Lundi)


keyword:フロランタン/フロレンチーナ・シュニッテン/ペリエ/ラム/クッキー/コーヒー

2012年 3月 19日(月) 22時44分25秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十九日 己卯の日
亥の刻 四つ

カプチーノとチケット
2012-3-18(Dimanche)


keyword:神戸市立博物館/チケット/障害者手帳/カプチーノ/チョコレート/タルト/美術館

2012年 3月 18日(日) 21時44分52秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十八日 戊寅の日
亥の刻 二つ

美術の「び」すら
2012-3-17(Samedi)


keyword:大原一興/美術/講義/ヴァトー/ジェリコー/シャルディン/講義

2012年 3月 17日(土) 23時08分27秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十七日 丁丑の日
子の刻 一つ

チョコレートとミケランジェロ
2012-3-16(Vendredi)


keyword:チェーザレ/モーニング/ロレンツォ/メディチ/ミケランジェロ/フィレンツェ/アンジェロ

2012年 3月 16日(金) 22時37分57秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十六日 丙子の日
亥の刻 四つ

髪をくしゃくしゃにして
2012-3-15(Jeudi)
手書きにしてみようかなと。



keyword:ルーベンス/ルーヴル

2012年 3月 15日(木) 23時25分15秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十五日 乙亥の日
子の刻 一つ

男と女
2012-3-14(Mercredi)
ひゃあ!帰るのが遅くなりました。
今日も細々とした調査を終える。
いつものパン屋で買い物をしていたら、カウンターのおばさんから「年いくつ?」ときかれたので答えたら「ええー」と驚いているので、どうしたんですかと聞き返すと「25才ぐらいかと思った・・・」という。
どうやらまだまだ20代で通じるようだ。
でも、精神年齢もまだ20代なのかもね。

ところで、小栗旬と山田優の結婚報道をニュースでみる。
なんていうか、山田優は顔よりも眉が好きな人かなという印象がある。
それで、新聞によるとこう書かれている。

破局危機がささやかれたり、週刊誌での浮気報道があったりと、紆余曲折を乗り越えてのゴールイン。「4年間いろいろありましたけど、常に話し合って乗り越えてきたので、大丈夫でした」

こうあったけれどとても共感する。
男と女、いろいろあるもので何もないことはありえないなと思う。
そのとき、そのときだよ。


2012年 3月 15日(木) 02時05分45秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十五日 乙亥の日
丑の刻 三つ

ウェルトゥムヌス
2012-3-13(Mardi)
国会図書館で収集した資料を整理。
今度実施する、南極関係のインタビューのために必要な資料を読み込む。どんなインタビューになるかわからないけど、とても楽しみだ。
昭和基地がはじめて建てられた1957年の建築はメタボリズムとして森美術館の「メタボリズム展」においても浅田孝さんらの仕事としてビデオが紹介されていたのをみたけれども、今これは稚内にあるらしい。
http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kagakukan/ettotai.shiryou.htm
でもここは遠いなー。日本最北端・・・。美味しいものが食べられるならいいけど(そういえば、稚内は行ったことがないのだけど、夢をみたことがあってそれは稚内大学(実存しない)の先生として赴任するという夢だった)。
ビデオでは浅田さんがガラスを顔の前にもってきたりしておどけているところがあって、ああーこんなおちゃめな一面もあるんだなと思ったけど(というか浅田さんよね?)。
昭和基地の模型は、国立極地研究所で見ることができるけれど、現在の状況を伝える模型だったと思う。厳しい環境のなか、1957年に最初の基地が建設されたあと、どのような変遷があったのか、それを一通り見てみたい。

さて、マウリツィオ・ベッティーニ講演会「ウェルトゥムヌス――多くのアイデンティティをもつローマ神」のレジュメを読む(どうもありがとう、Oさん)。
ウェルトゥムヌスは何にでも変身できたというけれど、まるで『古事記』『日本書紀』のような話だね。つまりは、植物、動物、人のあいだを行き来する存在というものが神話のなかにフォーマットとして見出せるということであろうか。もちろん、注意するべきなのは、ウェルトゥムヌスが「人間と社会の圏域に収まっているのです」と限定的なイメージになっているところ。プロテウスは動物から植物へわたる外見を手にいれることと区別されている。
それから、このレジュメでは古い時代を扱っているけれども、わたしたちはそれぞれウェルトゥムヌスではないかとも思う。いろんな人にみせるいろんな表情・・・。あらゆる評価。たとえば、この人は会社では課長だけれども家庭ではお父さん、実家では息子といった工合に。そして、会社ではネクタイをしめ、家庭ではステテコをはき、実家ではジーンズで過ごすといったふうに思うと、ウェルトゥムヌスの物語はそんなに遠くにある話とは思えず、面白かった。

2012年 3月 13日(火) 19時44分43秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十三日 癸酉の日
戌の刻 二つ

涙とともに
2012-3-12(Lundi)
国会図書館で資料を読み解く。
うっかりしたことに、京都盲唖院のいろんなことをメモしたノートを落としてしまい、探す。
一階に落ちていたことがわかり、拾えたときには一安心した。
研究者にとって、ノートは生命だからね。
こんなこと、もうしたくないや。

それにしても、今日は忘れることのない一日になった。
愛とは何か、好きと何か。そんなことを思いながら、口にすることはなく、天内大樹くんと飲む。
天内くんには何も言っていないけれども、天内くんは、本当に素敵な人だ。
そんな人たちと出会っていきたい。

一日、一日、想うことを想い、仕事をしながら生きていく。
それでいいじゃないか。
涙とともに。

2012年 3月 12日(月) 23時54分49秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十二日 壬申の日
子の刻 二つ

地層を剥がす
2012-3-11(Dimanche)


外出したのち、横浜の海近くにあるカフェに寄る。
ベイクドチーズをたっぷり使い、チョコレートチップをまぶしたNYチーズケーキとコーヒーがすごく美味しい。ソファも読書するのに良い。ここで水野千依『イメージの地層』(2011)を読みながら過ごす。

目次は以下参照。
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0673-6.html
水野さんの博士論文を元にして書かれたこの本は様々なお仕事が集積されているもの、大著だよね。

水野さんといえば、ディディ=ユベルマン『残存するイメージ』を竹内孝宏さんと共訳された方。本人も認めるようにこの仕事が少しずつ論文を進める「契機」になったという。
あとがきには執筆にいたるまでの個人的な心情が綴られている。そのなか、675頁にはこう書かれている。
「各章で扱った対象は、いずれもその時々の関心に応じて考えてきたことであり、それゆえ、ともすれば一貫性を欠いた議論の併置という印象をしてしまうのではないかと惧れる。」
そしてこう続けている。
「しかしこうして一冊に編みなおしてみると、個々の問題に通底する関心の所在が逆に浮彫になっているとも、あらためて感じている。」
ここで問いたいのだけど、その「通底する関心」とは何なのだろう?水野さんの考えを知りたいところ。
わたしが読んでいるかぎり、むしろ、わたしの仕事がもっと雑多だよね。我ながら苦笑してしまうけど、京都盲唖院、電送写真、大乗寺、テレビゲームが対象なんだもの。もっとあちこちにピューンって飛んでいる。比して水野さんからの研究は「髄」を感じる。時代と場所を限定しているのもうまくまとめている要素であるけれども。

ところで誤解のないようにいえば、わたしは美術史の研究者ではなく、美のあり方に心を寄せている人にすぎない。
だからこの本を手にしたのだけれど、水野さんのお仕事はこれまであまり注目されてこなかった奇跡像、奉納像・・・といった対象を拾い上げてゆき、ゆっくりと膜をはがしてゆく姿勢(まさに地層を露にするかのような)がコアにある。資料を丹念に読み解く実証的な態度が基盤にあって、これを失うと成り立たない。これはわたしが今に行っている京都盲唖院の研究と強く連結するものがあった。誰もが気にとめなかった対象を拾い上げていく勇気が要る。
イタリア・ルネサンスと京都盲唖院。対象はまったく違うようにみえるけど、そうじゃない。分野の違いが問題なのではなくて、姿勢の問題。想像力の問題だと思う。そういう意味で、水野さんの本からは大いに励まされるものがあった。
ご本人も書いているように、資料を提供したり、代わりに調べてくださる人たちのお仕事がなければ、水野さんのご研究は成り立つことはなかった。
これはどの分野であろうと変わらないだろう?

でも・・・この本を読んでいて、これではいけないと感じたところもある。
それに気づいたあと、「イメージの地層・・・・」とつぶやいて「地層か・・・」と続けた。この本にある図版の扱い方で地層そのものが忘られているのではないかと思われるところが少なくとも2つあった。図版がかわいそうだと思う。
具体的はここでは書かないことにしておく。
誰かから聞かれたらばもちろん答えるけれど、水野さんにこのことをお伝えしなければとコーヒーを口に含みながらそう思った。

繰り返すけれど、わたしは美術史の研究者ではない。
でも、子供の時から常に美術に接してきた人として、美術史から生み出された思考について良い読者/受け手でありたい。いろんな本や論文といったテクストを受け取ったらば、きちんと最後まで読んで応答したいと願っている。
それはテクストを手にした人が果たすべき最低限の礼儀であろう(要するに、もらったまま放置するのはだめということだ)。

それにしても、わたしはカフェでゆっくりと読み物をして過ごす時間が大好きだ。
本当に、自分に合っていると思う。

2012年 3月 11日(日) 23時07分03秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十一日 辛未の日
子の刻 一つ

カプチーノと共に
2012-3-10(Samedi)


読書をするためにカフェに。
ミルクたっぷりの美味しいカプチーノとりんごのタルトを頂きながら、アドルノ『プリズメン』を読む。
このなかに、ヴァレリーとプルーストにおける美術館の問題が取り上げられている。両者が取り上げているテクストを分析するというスタイルでね。
ざっくりと言ってしまえば、ヴァレリーが美術館というそのものを批判するのに対し、プルーストは肯定する。そのような認識の違いを対極的に示しつつも、アドルノはオチとして「どちらが正しいともいえない」というんだね。そこに少し苦笑しつつも、この問題がなみなみならぬ底深さを現代にも見せている。最近、豊島や犬島を訪問しただけに。
ぼくはどちらかというとヴァレリーに少し同感していたけれども、アドルノがプルーストについて「美術館を神の真の創造物であるかのように崇めている」「生きている者の救済という理想を芸術に期待する」と評しているところがいいなあ。もう少し読み込んでみよう。

カプチーノの苦みと甘さ、りんごの甘酸っぱさを味わいながら。

2012年 3月 10日(土) 23時50分29秒
壬辰の年(閏年) 弥生 十日 庚午の日
子の刻 二つ

乳首をつまむ手
2012-3-9(Vendredi)


原美術館でやっていた、ジャン=ミシェル オトニエル「マイウェイ」を訪問する。まさか、Othniel(旧約聖書に出てくる人物)かと思ったけど、Othonielとかくのか。

(本当はここで「原美術館であっていた」と書くところなのだけど、「あっているっていう言い方に違和感がある」といわれたので、「やっていた」に変える努力をせねばなるまい。とはいえ、ぼくの地方では、何々があっているという言い方をしているんだがね。)

さて、この「マイウェイ」わたしの道という意味だけれども、オトニエルの決意であろうか。
原美術館というある意味、美術館として建てられた建築ではない建築に対してオトニエルがどのようにみせるのかなあと。

入ってすぐにビデオインスタレーションの「彼は、解剖台の上のこうもり傘とミシンの出会いのように美しかった」という長いタイトル。これって、ロートレアモンかねと思いながら見ていた。でも、そういうことを知らなくたって、メリエスの映画のようにカクカクした白黒の映像のなかで点滅しながら、木漏れ日やミシン、大理石らしいテーブル。微かなイメージの集成のような映像だったな。


一階のギャラリー2には「吊り下がる恋人たち」など、ムラーノガラスで吊られた作品が。ここで一瞬、暴力的なものを感じて。
ここでいう暴力というのは、ガラスの暴力といおうか。むろん、ガラスそのものの造形はまるっこく、色合いが強く、女性的なあるいは性器的なイメージがあったのだけども、もしこれらの作品を支えるワイヤーが一気に切れたら?
ムラーノガラスは一気に落下し、粉々に砕け散って、破片を飛び散らせるだろう。そして破片は凶器となってわたしに襲いかかるだろう。そのような恐ろしい、暴力的なものがあった・・・。


明らかに海洋生物をイメージした瓶もあったけれど、もしこれらが一気に落下して砕け散ったら・・・。水とともにガラスの化物がわたしを襲うのであろうか。オトニエルの作品はじつに微妙な感性のなかに成り立っている。

藤原えりみさんのツイートで知ったのですが、
https://twitter.com/#!/erimi_erimi/status/177653276819468288
カフェの奥には3Dのルームがあって、おもしろいという。そこにパネルを持ってはいると目の前に作品が現れるようになっている。これって拡張現実(AR)といわれるもの。

映像をみると、わたしの前にオトニエルのオブジェがあらわれる。それはたいへん大きいのに重力感がなく、作品がそこにあることが信じられない、水槽のような部屋も相まって、私自身の重力感も喪失したかのようであった。
ホッブズ『リヴァイアサン』では、対象があって圧迫されることで感覚があると書いてあるけれども、その「圧迫」というものがオトニエルの場合は揺らいでいる。ホッブズがこれを経験したら動揺するかもしれない。


二階にあがったところのギャラリー3。

蝋やワックスを使っているせいだろうか、人肌に近い生暖かいものがあって、そこには眼など身体を思わせるものが認められたときに、グッときたのだけどこれは身体を刳り出したような暴力性を思った。奥にあるビデオの"Glory Holes"という、穴のある布から口や眼が覗いているような映像と重なると、蝋やワックスがより強く人肌のように思われた。そう、シンクロしている。

ギャラリー4の「乳首の絵画」という、ワックスで乳首をつくり、色をつけているもの(写真撮り忘れてしまった)。
乳首を切り取ってはりつけたかのような、猟奇性を・・・というのはもちろんいい加減な言い方で、しかしなぜこの絵にファンタジーが伴うのはどうしてなのか。ここで参照されるべきなのは、おそらく、フォンテンヌブロー派の「ガブリエル・デストレとその妹」(Gabrielle d'Estrées et une de ses soeurs,1595)という謎めいた絵画ではないか。

この絵、パロディとしてfacebookの"Poke"ボタンの表象として採用されたことがあったけれどね・・・それはともかく、この乳首が思い出されたな。ひょっとしたらこれは、わたしの男性的なフェティッシュであろうか。


ギャラリー5の「ラカンの結び目」ラカンというのは、かのジャック・ラカンのことであろう。そのことはオトニエル本人が触れているのでここではあえていわないけれども、吊るされているということがやはり興味深いところ。もちろん、アートにおいて吊るということは、なにも新しいことではなくて、掛軸だって床の間で上から吊っているんだよね?
吊ることの歴史を思えば、オトニエルの場合は吊らないと成立しないことを強く意識させてくれるような形態がやっぱりおもしろい。



アングルの「浴女」に着色することで「腸の女たち」とする作品、とてもおもしろい。
アングルによる忠実な歴史考証に基づく写実性によって描き出された身体をオトニエルはするりと別のものにみせてしまう。いかにわたしたちは形でものを認識してしまっていることか・・・。我ながら情けないものをおもう。
しかし、周囲に塗られた、洞窟のような岩肌をみるとレオナルド・ダ=ヴィンチの岩窟の聖母のような。


最後は常設の宮島達男。
常に変わり続ける時間、変容する何か。よくこれだけ息長くひとつのことをできるなあ。

帰り道はカフェでゆっくりと読書しながら考える。
ひとつひとつこなしていきたいね。

2012年 3月 09日(金) 23時27分09秒
壬辰の年(閏年) 弥生 九日 己巳の日
子の刻 一つ

本たちを送り出す
2012-3-8(Jeudi)


本棚を軽くするために実家に向けて本を送り出す。
研究に関する資料も数が増えてきたし、場所も必要だった。
いろいろ詰めた結果、段ボール11箱になった。ゆうパックで10箱以上まとめて送ると割引になるとのことで結構安かった。ぼくは高校を卒業して以来、実家を出ているけれども、本を送ったのはこれが初めてのこと。こうしてみると結構たくさんたまったなあと実感。処分する本は別にとってあるのだけど、手元においておきたい、図書館にはなかなかないだろうと思うものだけを選んで発送した。
送り出したのはたとえば、こういうカタログ。



あ、この展覧会に行ったなあと思うものが多いけれど、もしかしたら記憶を買っていたのかもしれない。
高島野十郎の画集があるけれど、これは迷ったあげく衝動買いしてしまったもの。
箱ごとに文学、辞書・日記(!)、カタログなど分けていて数字でふってある。
中身の写真をとっておいたので、実家に何があるかはわかるだろう。

いまの家にあるのは、図書館で借りることが難しい本を中心に、手元においておきたいものだけ限定になった。
それにしても、これまでお供してくれた本たちを送り出すことはなにか、ひとつの別れを感じる。

また会おう。


2012年 3月 08日(木) 22時27分48秒
壬辰の年(閏年) 弥生 八日 戊辰の日
亥の刻 三つ


2012-3-7(Mercredi)


本棚をメンテナンス。たくさんの本を実家に向けて送り出すことにした。これまでしたことがなかった。
そのついでに文庫の棚の一部を整理しているところで一休み。まだ整理しきれていないけど、こうしてみるだけでメディア、美術、幻想、建築、哲学、SF、ゲーム、科学技術、民俗に関心をもっていることが自分でもよくわかる結果に。しかしまあ、よくもあちこちに手を出すものだ。欲張りなのだろうか。それとも知らないことを求めているのだろうか。でも、本とは筋を通した付き合いをしたいし、自分の知識に背骨をもつべきだと思う。ぼくの場合、「控えめな関心」かもしれない。何かを知る前にその対象について変に構えないことを何よりも大切にできれば。
本棚って自分の鏡と誰かが書いていたけど、そうだと思う。

このなかで一冊選べといわれたら、一番左の『グラモフォン・フィルム・タイプライター』だね。次点で『身ぶりと言葉』か。

でも、無人島に一冊だけ持って行けるといわれたらば、間違いなく、あの本をとりあげるでしょう。うん、あの黄色い本です。

2012年 3月 07日(水) 23時28分09秒
壬辰の年(閏年) 弥生 七日 丁卯の日
子の刻 一つ

オディロン・ルドン展をみて
2012-3-6(Mardi)
もう先月に見ていたのだけど、終了したオディロン・ルドン展のメモをそのまま出しておこうと思う。
ひさびさにルドンのまとまった展覧会をみた。

「ルドンとその周辺―夢見る世紀末|三菱一号館美術館 グラン・ブーケ収蔵記念」
ーーー
ルドン、1840年4月20日、フランスのボルドー生まれ。ペイルルバードで11才まで育つ。ペイルルバードとはワインの産地だね。

1855年 スタニスラス・ゴランのところで学ぶ。
1860年代 20半ばで、パリに出て新古典主義を学ぶが逃げてしまう。版画、ロドルフ・ブレスダンのところで学ぶ。
ルドンはモネとロダンと同期?
1862年、国立美術学校の建築科を受けるが落ちる。
1870年、普仏戦争。ルドン、30代でパリに住む。
1879年、『夢のなか』刊行
1885年、ロドルフ・ブレスダン死去
1908年、ブレスダン回顧展の序文を書く。
1916年7月6日、死去。

とくに目にとまった作品について、キャプションと自分の意見。

2(数字は出品番号)「二人の小さな騎馬兵」(1865)エッチング、ドライポイント
騎馬兵がぼうっと暗闇に浮かんでいて、すでに当時からルドンの「雰囲気」がある。

13、『夢の中で』の扉絵(1879)リトグラフ
気球は1870年、プロシア軍に囲まれたパリと地方を結ぶ手段とされた。
1880〜85年 人頭をもつ植物が造られる。アルマン・クラヴォー(1828-1890)との関連が指摘される。クラヴォーは首つりをして亡くなる。

47「眼を閉じて」(1890)リトグラフ
ルドンの眼を閉じる絵として有名な、"Les yeux clos"はミケランジェロの《瀕死の奴隷》(ルーヴル)を思わせるもの。顔立ちは婦人のカミーユを思わせるという。

56「読書する人」(1892)リトグラフ
"le liseur"レンブラントの《ファウスト》か。インスピレーション、光のスクラッチというべき、窓から入る光のラインが素晴らしい。

62、63、64
ルドンの女性画。1890年代に集中する。横顔はピサネルロのような肖像からヒントを得ているのだろう。

67「ベアトリーチェ」(1897)
黄色と緑、光で満ちている。表情は不明でシルエットのみとなる。
1890年代、カラーリトグラフが盛んになる。
ルドンにリトグラフを薦めるのは、アンリ・ファンタン=ラトゥールであるという。

ルドンのパステルはポロポロしている感じ。
ポール・ゴビヤールの絵もよい。

82「ファエトンの墜落」(1905-06頃)
ルドンはドラクロワを尊敬しており、1868年にルーヴル宮殿のアポロンの間の天井画を描写。

94「渓流」
ブレスダンの遺作。
ルドンへのメッセージ?と思われる書き込みがある。
"Rodolphe Bresdin"と検索してみると、シカゴ美術館によくまとまっている。
http://www.artic.edu/aic/collections/artwork/artist/173
見ていて思ったのだが、作風はまったく違うが、かつて有名だったゲームブック『ブラッド・ソード』という本の挿絵を描いていた、ラス・ニコルソンと共通する死生観がある。

グラン=ブーケが目玉とされる。
詳しい制作プロセスは以下参照(http://mimt.jp/collection/index.html
これは1901年までには完成し、18点に分割されていた。
全体で36平方メートル。
そのうちの1枚が展示されている。現在のところ、16点が確認されている。
これをみると、ルドンが好きな理由がやっとわかったような気がする。幻想、神秘主義なのではなくて、ルドンがなにか描くということで、対象がガラガラと音を立てて崩れていくのをみるのがすきなのであろう。リアリズムである/ないではなくて、絵というものが画家の所作によって生み出される、崩れた形なのではないか。

マックス・クリンガー《手袋》が全点展示されているのがとてもよい。知覚の幻惑、ロジェ・カイヨワのいう「ミミクリ」(眩暈)をよく表現しているように思われる。
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2012年 3月 06日(火) 21時45分32秒
壬辰の年(閏年) 弥生 六日 丙寅の日
亥の刻 二つ

レシピ
2012-3-5(Lundi)
実家から食べ物が届く。今年の正月に母から「食べ物送るよー」と宣言されていた。
早速クロネコから届いた箱を開けてみると、ぼくの大好きなポテトサラダとか入っている。これは嬉しいね。わたしは母から料理を教わることがあり、レシピを受け継いでいるのだが、母と同じ味にならない。

レシピ"recipe"ってそもそも「受け取る」から来ているよね。母からそういう、材料、調味料、調理方法が書かれたテクストを受け取っている。でもね、そのとおりにやっても再現することができない。もちろん味としては似ているんだけど、同じですか?といわれると違うと答えるしかない。

中谷宇吉郎の名著『科学の方法』を読むと、科学とは再現可能であるものと書いてある。これは論文でいわれていることを誰かが実験で再現しようとすると同じ結果が出るようなことを指している。それとは違うんだね。

素材の違い、調味料、時間のかけ方、火具合・・・いろんな微妙な要素が違いを生み出している。これはテクストでは表現できない、身体の問題。例えば、「中火」って書いてあっても、ガスコンロによって強度は違うし、鍋の熱伝導率によっても変化してくるし、何よりガスコンロをコントロールするわたしの目が青白い炎をどこまで「中火」と判断するか・・・。
もっと広い範囲で考えてみれば、何かが書かれたテクストをそのとおりにやってみようと身体に沈殿させるときに違いが生じるのだと思う。それほどに言葉は強くて弱い。
そのような違いをあらかじめ了解しておくといったこと。
もちろん、言葉を放棄するのではなくて、言葉そのもののイメージや置かれた状況の違いを了解するといったこと。
それを思いながら、母の料理を食べる。そんな夜。


2012年 3月 05日(月) 21時30分29秒
壬辰の年(閏年) 弥生 五日 乙丑の日
亥の刻 二つ

製錬所
2012-3-4(Dimanche)
先月、高松を訪問したのですが、合間をぬって犬島という、戦前にあった精錬所跡を訪れる。1909年に完成したがほどなくして閉鎖されたままになっていると。
http://www.benesse-artsite.jp/inujima/
このサイトをみると、面白いのかなあと思っていたが、榑沼範久さんが大変な関心をよせているし、なかなか機会もなさそうなので思い切って訪問を決意。訪れてみるといろいろと考えされられた。

岡山県のサイトによれば、犬島の面積は0.54km2で、人口は54人ほどしかいないと。小さな島だよね。
http://www.pref.okayama.jp/kikaku/chishin/ritou/08inujima/index.html
たしかに集落を歩き回ると、空家がちらほら。



こういう島にデーンとあるのが製錬所。



すごくでかくて写真におさまらなかったので、柳幸典さんがプロジェクト構想をねっていたときの模型を(実際は違う)。
煉瓦による煙突が6つ立っていて下には煉瓦がカーンって並んでいるんだ。
柳幸典さんによる、三島由紀夫がかつて住んでいた邸宅の建築部材を立体コラージュさせてみせるようなアートワークがみもの。それと、製錬所の中にはいったときに延々と続く暗く、まっすぐな道はここでなければできないよね。忘れないだろうなあ、あの暗がりを歩く道。背後には太陽!
柳さんのこの仕事には"Yanagi Yukinori Inujima Note"という本があるんだけど、とても素敵な本だった。製錬所が活動していたときの古写真からはじまり、現代へ連綿とした時間を反映させている本。これは歴史好きな人にはたまらない構成だと思う。
http://www.amazon.co.jp/dp/4990384725/

そして、建築は三分一博志さんによるもの。
空調システムのデザインについてスタッフから話を伺う。要するに、地熱を活用した冷暖房システム。ちょうど原発のこともあったしね、こういう環境デザインのやり方はこれからというところであろうか。そして、あまり寒い日ではなかったのでシステムの良さを実感できなかったのだけど、夏にはほどよい冷風が製錬所のなかで吹くのだろう。たとえ、人類が絶滅したとしてもこのシステムは稼働し続けるんだろう。

プログラムとしては、製錬所の内部を見学したあとに上に出て、廃墟となった製錬所を歩き回ることになっているけれど、カラミ煉瓦が崩壊しているところがたくさんあった。



つぶされた植物をみたら、枯れていないので、煉瓦が崩壊したのは最近のことだろうと思う。
ルーヴル美術館で見た木にテンペラ画が崩壊していく過程を思い出しながら、時間と崩壊というものを思う。その崩れさっていくものを大切にしていきたい。ゆっくりと、確かに音をたてて落ちていくものをこの煉瓦から感じた。

犬島はこのように、こんな大きな製錬所をアートプロジェクトとして展開させていく。たしかにこれはここでなければできないことだけれども、なんというか、空しさもあった。ここを訪問してくる方は滞在することなく、流れるように去って行く・・・。そりゃあ、人生は旅だけれども、この犬島にいる人たちは何を思って接しているのだろうか。このプロジェクトがもう少し長く続いたときの変容を見てみたい。

おまけは犬島で出会った猫。人見知りなのかな、近寄りにくかったけれども、数分の旅を楽しんだ。



2012年 3月 04日(日) 21時55分37秒
壬辰の年(閏年) 弥生 四日 甲子の日
亥の刻 二つ

頒布開始されました
2012-3-3(Samedi)


せんだいスクール・オブ・デザインの『S-meme』3号が届いた。
開く方法がとてもユニーク!

ご依頼を頂き、「建築とテレビ・ゲームが入れ替わる時」を寄稿いたしました。
テレビ・ゲームと美術史を複層的に重ね合わせたテクストで、テレビ・ゲームとして著名な「スーパーマリオブラザーズ」を出し、法隆寺の玉虫厨子、ゴードン・マッタ=クラークの作品といった美術作品、そしてアルベルティも一言ですが、取り上げました。

SSDの皆さん、どうもありがとうございました。
無料で頒布されていますので、入手先は以下までどうぞ。
http://sendaischoolofdesign.jp/archives/5499

どうぞよろしくお願いします。


2012年 3月 03日(土) 22時14分25秒
壬辰の年(閏年) 弥生 三日 癸亥の日
亥の刻 三つ

リヴァイアサンとの出会い
2012-3-2(Vendredi)


寒さがぶりかえしてきた。
昨日、時代は渦巻いていると書いたけれど、そのようにして渦巻きのなかにいる人たちが構成するのが政治なのだよね。そう書いたのがホッブズ『リヴァイアサン』だった。リヴァイアサンって、スクウェア「ファイナルファンタジー3」という有名なロールプレイングゲームで召喚獣として登場してくるのを知ったのが最初だった。まだ子供のとき、実家のファミコンで遊んでいて、出会ったのがリヴァイアサン。そいつが大津波を起こしたときのダメージが非常に大きく、「こんなのに勝てるのかなあ」と思ったことを覚えている。
少しの記憶違いがあるかもしれないけど、結構テレビゲームに出てくるキャラクター名は神話や伝説から持ってくることがあって、あとで本に触れたときに、ああそういうことだったのかと思うことがある。
それで、ホッブズ『リヴァイアサン』の表紙をみると建築、戦争、兵器、戦略、王冠、教会といったイラストがあって中心に巨人がいるよね。



リヴァイアサンはそうじゃなくてびっしりたくさんの人がいて、巨人を構成しているかのよう、本に書いてあるようにこれは多くの人によって構築される「人工人間」として描かれている。これは人の思考や情念が入り交じって渦巻きとなっている。要するにひとつのところに留まっていない。
このイラストをみたときにふっと頭をよぎったのはこの作品。


「山越阿弥陀図」(鎌倉時代 京都国立博物館蔵)


この阿弥陀図は山の稜線を介して此岸と彼岸、まあ生と死の世界と考えるとわかりやすいけれど、そんなラインがひかれている。それで向こうの世界から阿弥陀がやってくると。この阿弥陀は小人でつくられてはいないけれども、此岸と彼岸といううつろう世界のはざまにやってくるというところが『リヴァイアサン』とのリンクを思わせるところがあった。
この掛軸は見たことがあって、遠近法ではないのに上からするするとけむりがこちらにやってくるかのような感覚がしてくる。


2012年 3月 02日(金) 23時48分27秒
壬辰の年(閏年) 弥生 二日 壬戌の日
子の刻 一つ

過ぎ去った時間に触れる
2012-3-1(Jeudi)


今日は主にこれまで調査した明治期の新聞記事の洗い出し。
Macbookの左にあるのが記事の束で、未整理のもの。
ぼくは2年前に博士論文を出したのですが、明治期の新聞記事を全て洗い出すことはできなかった。膨大な作業量を要する。これを少しずつ今も進めているわけなのだけど。新聞はいうまでもなく、社会の様相が書き出された当時のメディア。そのなかからぼくのアンテナにひっかかったものだけを抽出するという流れ、これはぼくの感覚が全て。どういう記事に惹かれるのか。
収集するメインは盲や唖の記事なのだけど、それだけではおもしろくない。寺院やら社会、犯罪、事件、美術といった記事も同時に収集。高橋由一なんかも自宅で展覧会をするよといった記事をみると、由一の呼吸が感じられる。人力車や銭湯の記事もおもしろくて集めている。これらを見ていると、ひとつの時代のなかで様々なことが同時進行していることがわかる。言うのは簡単なんだけど、実際に感じるとまた時代そのものに触れた気がする。
もっといえば、時代の「渦巻き」がある。「渦巻き」というのは、そうだね・・・銀河がそうだけれども、誕生と死のリズムだ。今もなお、わたしたちは21世紀という名の渦巻きに飲み込まれている。
それにギリシャ神話のアスクレピオスがもつ杖に渦巻く蛇も。


パソコンの画面は誰の絵かすぐわかるよね?
美術史の人なら誰でも答えられないといけないと思う(言い過ぎだろうか?)。
最近、川村真純さん(http://www.masumikawamura.com/)の前でパソコンを開いたら、「あ、○○ね。」と即座に画家の名前を仰ってくださり、「おおーっ」とテンションがあがった。

パソコンの左にある赤いファイルが現在進行中のことが書かれたノート、パソコンの右にあるのは万年筆、ダイアリー、筆箱、チョコレートw、ニューヨークのグッゲンハイムを模したカップ。


2012年 3月 01日(木) 21時09分51秒
壬辰の年(閏年) 弥生 一日 辛酉の日
亥の刻 一つ

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