『人間の条件』における「墓碑」

Posted on 2012/10/15

ハンナ・アレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫)を読んでいると、プロローグでこんなくだりがある。

(1957年、スプトーニク1号が打ち上げられたあと)
「(前略)時の勢いにまかせてすぐに現われた反応は、「地球に縛りつけられている人間がようやく地球を脱出する第一歩」という信念であった。しかし、この奇妙な発言は、あるアメリカの報告者がうっかり口をすべらしたというものではなく、二十年以上前にロシアのある大科学者の墓碑名に刻まれた異常な言葉と期せずして呼応していたのである。そこにはこう書かれてあった。「人類は永遠に地球に拘束されたままではいないであろう」。(ちくま学芸文庫、10頁)

人と地球の関係が端的に示されており、まさにこの本にふさわしい幕開けといえるところだが、大事なところが隠されている。
それは、このロシアのある大科学者とは誰で、その墓というのは、どこにあるのかということである。そこで、上記の文章の後半部について、原文(second edition, Univ. of Chicago press, 1998)にはこう書かれている。

“And this strange statement, far from being the accidental slip of some American reporter, unwittingly echoed the extraordinary line which, more than twenty years ago, had been carved on the funeral obelisk for one of Russia’s great scientists: “Mankind will not remain bound to the earth forever.”

つまり、ロシアの有名な科学者の”funeral obelisk”には”Mankind will not remain bound to the earth forever.”と書かれてあるというわけだ。実際にはロシア語なのだろう。

それで、この科学者とは誰なのかと。
ネット上だけであるが、調べてみると浮上するのは、コンスタンチン・ツィオルコフスキー。それで、早稲田大学でロシア・ソヴィエト美術をご研究されておられる河村彩さんにおたずねしたところ、ツィオルコフスキーの墓碑が掲載されているURLをご教示いただいた。しかし、写真でみるかぎりでは「ツィオルフコフスキーここに葬られる」としか書かれていないとのこと。
また、ツィオルコフスキーの地球からの人類の解放という思想は、哲学者フョードロフに影響されたものであり、フョードロフの墓碑も確認したが、写真にはそのようなメッセージはないという。

しかし、1957年にスプトーニク1号が打ち上げられて、翌年1958年に『人間の条件』がはじめて出版されていることを考えると(おもしろいタイミングだな・・・)、アレントが”more than twenty years ago”というのは、ふつうに考えたらば、1938年以前のことであり、ツィオルコフスキーは1935年没なので、ツィオルコフスキーではないかと河村さんはいっておられた。
それで、この墓について他の写真を確認すると以下もある。

cio.jpg
source: http://arran.ru/?q=en/node/145

(ちなみにこのサイトには晩年に近いツィオルコフスキーの写真がたくさんで、病床についていると思われるものもある。)

これをみると、側面にも何かありそう。メッセージが刻まれているのかもしれない。これらの写真をみると、この墓はアレントのいう”funeral obelisk”とも合うと思う。オベリスクか・・・エジプトやパリのそれをみると、文字が刻まれているのだが、ツィオルコフスキーのはそれがはっきりと視認できないのが残念なところ。これはロシアのKaluga市のTsiolkovsky Parkにあるので、もしロシアに行くことがあったらば、気にしておきたい。Tsiolkovsky State Museum of the History of Cosmonauticsもそこにあるようだ。

今後は、セミョーノヴァ『ロシアの宇宙精神』『フョードロフ伝』、富田信之『ロシアの宇宙開発史:気球からヴォストークまで』を手にしてみようとおもう。
河村さん、いろいろとご教示いただき、どうもありがとうございました。

この件について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸甚です。


(2014年7月21日 追記)この問題、解決しました。北海道大学の本田晃子さんにご相談したところ、以下のようにコメントをいただきました。まとめると、やはりツィオルコフスキーのオベリスクに記されているとのことでした。

木下さん、アーレントの言葉をなんとなくロシア語訳して検索したら、すぐに見つかりましたよ。確かに件のオベリスクに記されているそうです。
http://www.kalugaresort.ru/item/obelisk_tsiolkovsky/

ヴォロビヨフ(Б. Н. Воробьев)という技師に向けて記した手紙の一節からの抜粋で、全文は下記のようになっています。
Человечество не останется вечно на земле, но в погоне за светом и пространством сначала робко проникнет за пределы атмосферы, а затем завоюет себе все околосолнечное пространство.
私の残念な訳によると、「人類は永遠に地上にとどまりはせず、(新しい)世界と空間を追い求めて最初はびくびくと大気圏を超え、やがては太陽系のすべての空間を我がものとするだろう」という感じのことを言っています。

余談ですが、フョードロフにとって重力とは原罪に似ていて、人類を下方へ、大地へ、横臥状態へ、最終的には死へと縛り付けるものであり、重力の克服とはとり もなおさず死の克服を意味していました。そこで重力を解体する手段の一つと見なされていたのが、建築(正確にはコペルニクス的建築)です。
フョードロフ思想は革命後はもちろん禁じられたのですが、私はマレーヴィチの重力を解体するものとしての建築というアイディアやタルコフスキーの『ソラリス』なんかにも影響が見てとれるのではないかと思っています(ただの妄想かもしれませんが)。
ちなみに、ソ連による人類初の月面到着(!)を描いたツィオルコフスキー監修の映画『宇宙航路(Космический рейс)』(1935年)の中でも、無重力状態の表現には非常に力が入っています。

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