大乗寺の儚さ

Posted on 2013/03/03

愛知県立美術館にて「円山応挙展―江戸時代絵画 真の実力者―」が始まりました(2013年3月1日―4月14日)。

この展覧会の目玉のひとつとして、香住にある大乗寺の孔雀の間と芭蕉の間にある障壁画が全て出品されています。少しだけ出すというのは見た事がありますが、全部というのはわたしにとっては初めてです。大変な手続きだったろうと思います。

わたしはかつて、香住にある大乗寺客殿で調査を行い、論文を書いたことがあります。その際、ご一緒させていただいた安田徹也さんには深く感謝しています。ありがとうございます。
調査は建築の調査なのですが、例えば、孔雀の間から芭蕉の間に行くときに金地の襖の引手に手をかけて開閉することもありました。すごく緊張しましたよ・・・。応挙だから緊張した、というのもありますが、それ以上に明治の旧国宝法によって、明治34年に指定されたこともある画です。そのような制度の重み。そして、過去の住職をはじめとする大乗寺の人たちが手をかけてきたであろう引手。文書だけでなく、そのものに触れること。
応挙をはじめとする絵師、そしてお寺の人たち、その末端に触れていることを何よりも実感した一瞬であったことを思い起こします。
ガラスによって、触覚を拒絶しているかのような美術館では体験できないことでした。

わたしは大乗寺について知るという一環として、和蠟燭による拝観会を開催させていただいたことが一度だけあります。2007年の8月19日に孔雀、芭蕉、山水の間全部を拝見させていただいておりますが、写真は孔雀の間しか撮っていなかったようです。
というか、何かに惹かれていて、写真をとることを忘れてしまったのでした。惹かれた対象は「はかなさ」だったように思われます。蝋燭にゆらめく孔雀・・・。そして、外の冷たそうな青い空気がほんのりと混じる風景は、一秒ごとに姿を変えてゆく。

篠山紀信が磯崎新とともにフランスのル・トロネを撮影したときに「光が走っている」と言っていたそうなのですが、それに近い言葉なのかもしれません。ロマネスク建築と江戸中期の方丈建築は建て方も素材も全く違いますが、しかし、光がこうも常に変容してゆくのかということをわたしは和蠟燭の先にみたのでした。ル・トロネと違うのは、木と紙の素材感のためか、光が当たっては孔雀や松が砕けていく。朽ちて行くようなイメージ ・・・・ 儚さだったのでした。

この拝観会をご許可くださった、大乗寺の長谷部住職と山岨副住職には今も感謝しています。

しかし、障壁画を大乗寺で拝観するというのは、今はもうできません。ご存知のように、障壁画を再製したものが現在の客殿に嵌っているからです。建築と美術が別々の制度となってしまっている。観光か、保護か、というにはあまりにも乱暴な言い方で、なぜ、美術品はその命を長らえなければならないのかという「命」の問題があることを木下長宏先生による会合で知りました。木下先生による拝観会のレポートは先生のブログのうち、こちらこちらをごらんください。わたしが知るかぎり、大乗寺をめぐる問題を長く見てこられた人だとおもいます。
わたしがこれに参加したのは2006年のことで、そのときはまだオリジナルが嵌っていたときでした。
わたしとしては、大乗寺にある応挙一門の障壁画は、大乗寺客殿という「建築」がどのようなものかを理解しなければ、その存在を深く知覚することはできないと考えています。

愛知県立美術館での応挙展では、あくまでも孔雀と山水というふたつの部屋だけです。この障壁画に関心をお寄せいただいた方には、同時に大乗寺をめぐる美の問題があることも知って頂きたいと願うばかりです。

応挙展が盛会になりますよう、願っています。

2013年 3月 02日(土) 23時37分55秒
癸巳の年 弥生 二日 丁卯の日
子の刻 二つ

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