米内山明宏さんのこと

先月末、ろう者の米内山明宏さんのご逝去を知った。
ろう演劇でよく知られている人だが、関心の幅が広いかつ多能な方で手話教室・手話講座の開催、ろう者当事者の活動など、プロデューサー的な役割も担っていた。
米内山さんの演劇や講演も何度か行き、面白かったと思うこともあれば、よくわからないなあと首をひねりながら帰ったこともあった。
 
米内山さんから影響を受けたろう者はたくさんいらっしゃるけれども、わたしはどうかというと話す機会がなかった。会場でお見かけする米内山さんはいつもたくさんの人に囲まれていて、お話しをする機会はついに得られなかった。そういえば、シアターカイだと思うが、何かの舞台後に米内山さんにお声がけをしたことがあった。「ありがとうございました」とお声がけするとスッと頭を下げてわたしの横を通り過ぎて行った。それが唯一のやり取りである。
 
でも、米内山さんから全く影響を受けなかったわけではない。
わたしが米内山さんのことを知ったのは、1996年のことだからかなり昔のことになる。
「21世紀のろう者」と題された講演がそれで、米内山さんは1952年のお生まれだから、当時44歳だ。その映像も所有しているのだが、どうやって入手したのかは忘れてしまった。どなたかから頂いたのかもしれない(覚えている方がいらっしゃったら教えて欲しい)。著作権の関係もあるので、今は静止画で紹介する。
この講演はろう者の権利を拡大していくことやろう者の活動を開拓していくことを強く強調されていたのでよく覚えている。つまりは、身体の歴史なのだ。過去から未来へろう者を託していくことの。
そのビデオを久しぶりに見たが、随所に歴史観の語りが入っていて興味深いものがあった。身体障害者の歴史を進めるには当事者の語りを分析することが重要だと考えていたけれども、こうした歴史観を意識するきっかけが米内山さんの講演なんだろう。
当時、インテグレーション(ろう学校ではなく、地域の学校に通学する人)が多くいたが、ろう者としてのアイデンティティの基盤が弱いという課題があったとするなら、米内山さんのろう者の歴史・コミュティを包括した語りは刺激的だったに違いない。
 
ところで、ビデオを再見していると米内山さんがこう語っているところがあった。
 
「21世紀のろう者はどうなっているんだろう?それは君たちの責務だ。わたしは老人になって「おお、いいね」「いいね」と声をかけてまわるのを楽しみにしている。わたしも元気に頑張っているかもしれないけど。」
 
その言葉の通り、米内山さんは最後までお元気に生きられた。
「21世紀のろう者はどうなっているんだろう?」という米内山さんの発したこの手話が、今、ろう者や手話で話される皆さんを巻き込みながら22世紀に向かおうとしているのを感じている。