tomotake kinoshita old journals

 

2008-01 journals

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2008-1-28(Lundi)
いつもの古書展へ。常連のふりかけおじさん(頭に黒い粉末をかけている)がいなかったのでどうしたんかなと思う。

今回、購入した本は2冊。
小泉袈裟勝『ものさし』 ものと人間の文化史22
生井英考『ジャングル・クルーズにうってつけの日』筑摩書房←古いバージョン。
小泉袈裟勝さんは計量史が専門で、去年に論文をおもしろく読んだので購入。最近、身体の計測について勉強していたので良いタイミングだ。生井英考さんとは以前お目にかかったことがあり、関心をよせていた先生だがこの本を持っていなかったので。あまりにも安く(増補改訂版が出ると旧版は安くなる傾向あり)、購入。

少し前に再生紙の表示偽装、今日も餃子など冷凍食品の報道があったが、今回のような偽装問題について僕が思いだすのは、佐藤良明『ラバーソウルの弾みかた』という本だけど、これにはこんなくだりがある。
http://www.amazon.co.jp/dp/4000024108
(アマゾンでみたらたったの1円だ。良い本が1円とは・・・)

 モノを知るというのなら、話は簡単だ。たとえばいま目のまえにあるこの『都こんぶ」なるモノ。これは断固、僕ではない。僕という現象、僕をつくるプロセスの中に、「都こんぶ」は噛みこんでいないのだ。そういう、かなり絶対的に他者であるものを相手にした時の知り方は、伝統的に確立されている。(中略)
 都こんぶの赤い箱を見ると、内容表示の欄に「こんぶ9グラム、醸造酢」と書いてある。僕らの文化における、「この中に入っているこのものは何か」に対するオフィシャルな答えがこれなのだ。「ああ、9グラムの昆布と醸造酢ね、でも表面の白いコナコナしたのや、糸を引くようなあれは何なのだろう・・・・・・。」その疑問への答えも、やっぱり箱に書いてある。「此の商品の白い粉末や粘り糸状は昆布の優良を示すもので御安心の上御召し上がり願います。」
 「昆布9グラム、醸造酢」というソッケナイ記述は、きわめて微妙なバランスを取りながらこの世に存在しつづけているあの「都こんぶ」の特異な性格についてはほとんど何も語ってくれない。そんな記述が、大手をふって、あの赤い箱の内容表示欄に堂々と記載されているという事実―その事実の方は、しかし、なんと雄弁なんだろう。僕らの心が、どんな制度のもとで作動しているか。どのような知を、僕らの文化は、知として認識するのか。その答えが「昆布9グラム、醸造酢」からジクジクと染みだしてくるようだ。
 「レトロな気分がちょっぴりと、海の元気がいっぱい」と内容表示したのでは、店に並べることすら許されない理由は何か。
 対象の何かを知る、ということは、その物質的構成を知ることだという考え方が、制度として動き出したのは、科学革命の時代だといわれる。「分解し、測定し、寄せ集めよ。」―安土桃山から徳川初期にかけてのヨーロッパで、ガリレオ、ベーコン、デカルト等の面々によって確立されたそうな、このトリックにしたがって、手順通りにことを運べば、外界の操作に効果的なテクノロジーの知が、頼もしそうに立ち上がってくるわけだ。「昆布+醸造酢」という形で対象を把握しておけば、それを「昆布+梅酢」に書き直すだけで、新製品「都こんぶ・梅」のコンセプトがわけなく浮かんでくるのである。
 対象に思いを寄せるのではなく、対象から思いを引きはがす。そうやって、意識を醒まし、十分な凝視を効かせて、何度やっても、誰がやっても、「真」でありつづける命題を手にする。僕らのゆらめく思いに左右されない、固体的で、民主的で、鈍感な知。そういう知を吸い上げながら、文明は近代を突っ走ってきた。

1960年代に何がはじまったのか?ということをロックやメディアからあぶりだそうとしている本なのだが、まさか食品偽装問題がみえてくるとは思わなくて、それがおもしろい。このことはすでに科学史の本をよめば書いてあることなんだろうけれど・・・。商品の内容について誰がみても、この商品は何々で出来ている、と明確に記述されているパッケージがあって、それに盲目的に服従している我々がいる。「僕らの心が、どんな制度のもとで作動しているか。」という文章は考えさせられる。
ユナイテッドア●ーズがカシミヤマフラーの表示ミスをした、というようなニュースとか、女性たちで流行っている「TSUBA●」というヒットしたシャンプーには怖い物質が入っている、という説明をしているサイトもあるが、大多数の人はCMとかブランドのイメージで買っている。内容をみたって専門家でもないかぎり訳のわからない化学物質名が記載されているだけで、どういうものなのかもわからない。カシミヤだって、肌の具合で「ああ、これカシミヤだ〜」という感覚があったとしてもカシミヤを実際に編んでいるのをみているわけじゃない・・・。シャンプーのように表示が正確だとしても、何を意味するのかわからない我々がいる。
ちょっと前にはやったが、「成分解析」なるサイト集もあるけど、これのどこがおもしろいんだろう?
http://seibun.nosv.org/list.html
北海道での障害者手帳をめぐる不正診断書問題でわかるが、障害者手帳を示せばたいてい「この人は障害者だ」と思われる。つまり、医師による身体の分析によって、この人は社会の基準にあわせてみれば障害を持っていると思われますという証明が障害者手帳であるわけだが、これを見せなければ「耳がきこえません」といっても信じてくれない。現に、JRの窓口で「僕は耳がきこえません」といったって、手帳を持ってないと「手帳もってきて」といわれてしまう。アメリカにはそういう制度がないために、どうやって障害を示すかという問題が存在している。
科学、数学がつきつける誰からみても、同じ結果が出るということは「耳がきこえない」という判定そのものをすること自体が実は結構危険なことかもしれない。聞こえない人に囲まれた聞こえる人は、果たして聞こえると言えるのだろうかということがあるからだ。なぜなら、聞こえない人たちが交わしている手話は、聞こえる人(もし手話を理解しないとしていたら)には聞こえていないからだ。

2008年 1月 30日(水) 23時46分00秒 雲後晴
戊子の年(閏年) 睦月 三十日 己巳の日
子の刻 二つ

中村かれん先生にはじめて会う
2008-1-23(Mercredi)
慶應であった講演会に参加する。

べてるの家に関するお話で「べてるの家で: ディスアビリティ と映像人類学」というタイトル。レクチャーの中村かれん先生は聾者にとっては避けて通れない研究者で、彼女の論文は僕も読んだが、あまり公にしたくないほどの鋭敏さがある。
http://www.disabilitystudies.jp/nakamura/

それが確か3年位前の話で、「映像」を扱うことについて表象文化論の榑沼範久さんとも面白く話したことがあった。
もともとのきっかけといえば、医学史の鈴木晃仁先生の話にも関心を寄せていたのだが、ちょうど先生のところで中村先生が話されるということで飛びついたというわけ。ただ、僕がいるのでどうやってサポートするかという話でちょっと難航していたけど、2人のタイピストを確保することが出来て、まあ大丈夫だろうと。
中村先生とお会いするチャンスがなかなかなく、今回がはじめてになる。少し挨拶する。ご両親は日本人なのだが、日本に滞在する期間が少なく日本語は苦手だとうかがっていた。でも話してみればそんなことなかった。鈴木先生ともいつも拝見しております、とはじめて挨拶をする。ダンディーな方だった。
席についたら、フランス医学史のKさんがみえたのでびっくりする。去年の今頃、アラン・コルバンの講義があったが、そのときの通訳だった女性。ひさしぶりです、どうしてますか?などと少し雑談していたらレクチャーがはじまる。
べてるの家に半年位滞在していたときの話。「べてる」というDVDを販売するそうだけど、べてるの人々が唄っているシーンと列車からみる雪景がシンクロする映像からはじまるものになってて、うまーくべてるのなかに導かれていくような印象。

障害者の拡張/重度についての説明があり、マクルーハンとかヴィリリオを思い浮かべそうでもあるが、中村先生はこう説明する・・・高度医療、高度産業化、経済規範の変化、家族形成の変化、障害者定義と意識の拡張、介護保険の適用の6つ。先生の注意としてはジェンダーや人種で障害者を例えたら、特有性(idiosyncraticness)がなくなるような気がする、とフェミニズムを例に話していたのがなるほど、と思った。障害者手帳の問題についても言及。
隣にいたKさんもいろいろコメントしてくれて有り難かった。

僕からも質問をして(アプリオリと人類学研究における経験について)、講演会後、中村先生と自分の研究テーマについて簡単に話しながら自己紹介をしていたら、横やりが入って「あの〜、フランス手話の人ですよね?」と話しかけられてびっくりする、中村先生も「へー、そうなの?」というのでその話になってしまう。
周囲に聴覚障害者の人たちもいたので、ひさしぶりに話を交わす。精神病院の話題でもりあがる。内容はやばくて書けません・・・。
帰り道、Kさんと食事しつつEHESSとかコルバン先生の話題、隣の席で何を話しているかとか、ぺちゃくちゃおしゃべり。

以下、講演概要。
「べてるの家で: ディスアビリティ と映像人類学」 −−イェール大学 カレン・ ナカムラ先生を迎えて

日時:  1月23日(水)  17:00−
場所:   慶應義塾大学 三田キャンパス 東館 GSEC 4階セミナー室 
 http://www.keio.ac.jp/access.html
講演者: Karen Nakamura (Dept. of Anthropology, Yale University)
コメンテイター:鈴木晃仁(医学史)・宮坂敬造(文化人類学)

ナカムラ先生は障害学における気鋭の若手研究者として知られており、日本の障害者 運動に関するご論文は、オックスフォード大学出版社創立100周年記念、読べき論文 100本の一つに選ばれています。詳しいご経歴については、以下をご参照ください
http://www.disabilitystudies.jp/nakamura/

今回は、現在ナカムラ先生が行っているべてるの家でのフィールドワークをもとに、 映像人類学の視点からお話していただきます。

<英語原題と英文要旨は以下>

CRAZY IN JAPAN: SCHIZOPHRENIA, TRAUMAS OF MEMORY AND COMMUNITY STORYTELLING IN RURAL JAPAN. Karen Nakamura (Yale U)

What happens when we try to interview people who cannot - or do not want to - remember what happened to them? Western psychoanalytic and psychotherapeutic counseling, autobiography, and ethnography privileges a confessional form of self-narration. We assume a stable self-identity and history that can be narrated. This is expressed in dialogicality (or monologicality) with a therapist or as individuals in group therapy.
Anthropologists repeat this meme in our ethnographies. Whether it is I, Rigoberta Menchu or Moroccan Dialogues, we value direct conversation with a
single informant. Within both contexts, the silent or fractured self is problematic.

“When I try to remember what happened, other painful things come up,” so
begins and ends an interview with one of the members of Bethel House, a
community of people with schizophrenia and other psychiatric disabilities in
a small rural fishing village in northern Japan. This is a trope that is
repeated in other conversations with other members: “If I tell you my
story, my body goes all bwaaaaahhh afterwards.”

Stories are told in this community, but not always by the self. Memory and narration reside within the larger community body, a form of what Charles
Peirce would refer to as the distributed self. When trauma or mental illness
makes remembering or narrating difficult, other members step in and narrate
instead. This paper discusses the creation of a shared narrative around a
singular narrator, who remains silent himself or herself.

2008年 1月 23日(水) 23時09分13秒 雪
戊子の年(閏年) 睦月 二十三日 壬戌の日
子の刻 一つ

著作権者が不明
2008-1-21(Lundi)
Flickrでアメリカ議会図書館( Library of Congress)のコレクションの一部が出ている。
http://www.flickr.com/commons

非常に膨大なコレクションの一部。いずれも出所が不明らしく著作権の扱いが微妙らしい。
見てみるとと盲人の写真が4枚ヒットする。いずれもGeorge Grantham Bainというカメラマンや仕事によるコレクション。ここからもみられるものと重複するが。
http://memory.loc.gov/pp/ggbainquery.html

ところで今回のだと
http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2163451008/
"Blind stenographer using dictaphone"でこれはいわゆる盲の女性が速記者およびdictaphoneという録音デバイスを使っているシーンだけど、盲の女性というのははじめてみた。dictateはラテン語で「言う」の意味。

http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2163450764/
機織の仕事中。え、盲の人が?と思われるかもしれないが、僕が見るからに間違いなく盲の人たち。おそらく、全盲ではないだろうし目が見える人もいただろう。

そのほか
http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2162650585/
http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2162649923/

建築的なものを取り上げてみると、NYCのウールワースビルディングの建設中写真が数枚。
http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/tags/woolworth
アルフレッド・スティーグリッツの写真といえばわかる人も多いのではないでしょうか。あと、ジョン・マリンのエッチングにもあるが、これはスティーグリッツのギャラリーかららしい。今検索してはじめて知った。
高層建築で鋼構造を外装材で覆っている。当時からスタンダードだった。写真を時間軸に並べると、一気に頂上までつくりあげたのではなく、徐々に作りながら下から外装していったようだからあの有名なゴシック風の意匠は最後の仕上げなのだろう。
NYC周辺もみえるので、1910年代にいかにウールワースが突出していたかよくわかりそうでもあるが、あいにくブロードウェイ方面の写真がみあたらない。
アイソメトリック、平面図の一部、ロビー写真はこちら。
http://www.arch.tu-dresden.de/ibad/Baugeschichte/Vorlesung_Die_Stadt_New_York.html

http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2162935377/
http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2162890733/
なんかも。僕の好きなメトロポリタンライフが側に。

http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/tags/titanic/
タイタニック関係

http://www.flickr.com/photos/library_of_congress/2163493776/in/set-72157603624867509/
クリスマスと人形

P-3電池交換
2008-1-20(Dimanche)
ぼくは今は亡きTime computerの時計、Pulsarの大ファンなのだけど、所有しているPULSAR III DATE/COMMAND(通称 P-3)の電池が切れてしまった。電池交換は自分でしているけど、海外サイトも含めてP-3の電池交換を解説しているサイトがないようだ。ということで、以下解説。



P-3本体。



まずベルトを取り外す。ベルトは根本から取り外すのではなくて、途中にあるバネ棒がある部分だけ取り外す。そうしないとケースオープナーをスクリュウリングに差し込むことができない。ケースオープナー(側開器)はMKSを使用。



スクリュウリングには溝が4カ所あって、ひっかけやすいのは時計の左右あたりなのでそこの溝を探す。溝にケースオープナーの刃をひっかけて反時計方向に回転させるとスクリュウリングが外れます。写真が取り外した所。右がスクリュウリング、左が裏蓋。右上にあるのは電池、ぼくはSR44の電池アダプター(透明なリング)を使用しています。電池の入れ方だけど、穴はふたつで右穴にはPOS. + SIDE DOWNと書かれていますが、これは電池の+面はこちらに入れてという意味なので、+を下にして入れます。POSというのは、POSITIVEの略語で「プラスの」という意味もある。左の穴には何も書いていないけど、おそらく"NEG. - SIDE DOWN"というシールがあったのだと思う。+面を上に、−面を下に。入れ終わったら裏蓋を閉めてできあがり。
モジュールはデリケートなので、絶対にむやみにさわったりしないように。

2008年 1月 20日(日) 16時25分05秒 曇後雪
戊子の年(閏年) 睦月 二十日 己未の日
申の刻 三つ

道長の日記
2008-1-19(Samedi)
人形遣いの吉田文吾さんが亡くなられました、合掌。
狐の演技が忘れられません。

東京国立博物館に行く。この期間は美術品保護のためか、夜間開館はしていないので夜までゆっくりということはできない。

ここにくるとき、ぼくは守っていることがあって、それは絶対に本館の玄関から入ることと、二階にある常設展示からみていく、ということだ。
雪舟の『秋冬山水図』が国宝室に。

近づこうとすると足が止まってしまう。6メートルぐらい離れていても、窓の奥に広がる風景が立ち上がっているようで、じっとソファからみていた。チェスタトンが書いているが、絵に限界があるとするならば、それは額縁によってであると。この掛軸はセザンヌが探求した透明性(コーリン・ロウのいう透明性)・・・とは違った奥行きが出ているのだが、でも僕はセザンヌを思い出していた。きっとそれは「岩、木による構成・・・」と解説にあるのをあとで見てしまったからだろう。解説を見なければよかったな、と思った。
小さくではあるが、人物が3人描き込まれている。1人は歩いており、2人は農耕か何かをしている(秋なので土に手入れしているのだろうか?)。むろんその姿を認めることができるのは、掛軸に近づいてから。しかしここで思った。遠くからみると見えないで、近づくと見える、その逆もまたしかりという普段何気なく行なっているような動作が、この掛軸の前ではなにか、その動作そのものがより際立って感じられる。もし、これが映画や映像であったらば、動いている小さな何かが我々の注意を引きつつ、それが何かであるかを考えることもできるのだろうけど(例えば、ビル・ヴィオラ。)、掛軸という様式ではただこちらが動かなければならない・・・。でも、例外をみたことがある。掛軸がヒラヒラ揺れている時。どこで見たか忘れたけど、掛軸がかかっているのだが、外気がゆらゆらと掛軸を動かしていた。そうすると僕の視覚には、その微妙な紙の動きが風景そのもののなかにもおよんで、風景にある木の葉がゆれたりする。これは西洋絵画にはできないことだ。
その薄さがゆえに掛軸はクルクル巻いて保管することができる。西洋絵画にはそういう機能が備わっていない。それゆえに、何度も巻かれたりした掛軸には紙の傷みが画面に出ているのを認めることができる。そういうような、紙の薄さを実感できるときは正面ではなく、ちょっと斜めからみたときで、おのずから紙の薄さをみせてくれる。ピラピラと薄い和紙があることを知覚させてくれて、雪舟の風景もそこにはあったんじゃなくて、過去か、雪舟の脳裏にあった風景が広がっている。なんだか、ドラえもんの四次元ポケットのようで確かに風景なのに、近づいて行くと、奥行きのある四次元の風景が二次元の絵画になるのである。でも絵画は厳密には二次元じゃないよね?墨だって紙だって凹凸があるんだもの・・・。
『月次風俗図屏風』(室町時代、16世紀)も出ていた。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=66332
八曲一隻でこの屏風は一扇ごとに月が独立して扇同士はつながっていない。これはいい作品だと思うのだが、とくに田植えのシーン。



人物が等間隔に、同じ姿勢で田植えをしていて、そのリズムは田楽にあわせながら田植えをしているよう。かけ声はどんな発音だったろうか。昔の人々がどんな発音をしていたかということは本居宣長も考えたことだし、いまもなお思想が抱える大きな問題のひとつだと思う。僕にはこの田植えをする人々のほとんど同じような動きそのものが音楽に感じられる・・・。
気付かなかったが、狩りのシーンには富士山あり。



ちょうどこの屏風の向かい側には『富嶽図』(1490年 伝祥啓筆、子純得幺(しじゅんとくよう)賛)があるが、富士山の頂上に三つほどの隆起があるよね。あのようなデザインはなんだろうな、テンプレートがあるのだろうか、あとで調べてみたい。
と思ったら、すでに書いている人がいた。
http://d.hatena.ne.jp/betsuni/20080104
「ちくま学芸文庫「増補 絵画史料で歴史を読む」(黒田日出男)という本のP88に、富士山のイメージ(画像)の変遷についての記述がある」とのこと。(それにしてもこのブロガーは結構いろんなものを見ているね)
狩野元信『祖師図』も2幅展示されていた。きわめて薄い墨で水流を表現しているあたり、元信の画でははじめてみたかもしれない。
刀剣では『黒漆蛭巻太刀』が出ていた。初見。儀礼用の太刀だとは思うが、かなり細身。蛭巻を黒漆にすると、漆なのに全く素材感が違うね、なにか細長いものを巻き付けたかのように仕上がっている。
江戸の布団である、「夜着」が三点ほど。災厄は寝ているときに来るため、吉祥模様が描かれるというが、この考え方はおもしろいね・・・。
『酒呑童子絵巻』(17世紀 狩野常信)はカニバリズムでよく引き合いにされる物語だが、このバージョンはグロいほうかも。姫の足を食べているが、博物館側もよくこのシーンをみせたね。

いろいろ見たがこのへんにして、「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」展に。
人は少ないだろうと思っていたが、そうでもなかった。
今年源氏物語が出来て1000年だと書いたが、ちょうど国内最古の源氏物語本が出品されていた。正方形で、3寸ぐらいかなあ、小さなサイズ。
さて、藤原道長の『御堂関白記』について。具注暦の余白に描き込むタイプで、今で言うならブログともいえるかもしれないが、でも実際はかなり違っていて、文章には道長本人の心情は書かれていない。それでも第一級史料だけど。
藤原師通の『後二条殿記』だったと思うけど、天気の書き込みがある。雷雨とか晴と書いてあり、まったくプライベートなことを書いていない道長と比べてなにか人間らしさがある、おもしろい。
近衞家熙の表具に対する感性はおもしろい。彼がなにかを掛軸にすることを表具というが、彼は着物とかのハギレを使っていて、布のコレクションもしていたようだ。これによって、また別のフレーム、額縁の世界がみえる。雪舟のところで書いたチェスタトンの文を家熙で考えるならば、額縁によって絵の限界があるけど、その先には額縁が世界を織りなしているとでもいおうか。そして、額縁と本紙(絵)が呼応していて、なにか、家熙の意図がみえてきそうではあったのだが。

2008年 1月 19日(土) 19時52分09秒 晴後曇
戊子の年(閏年) 睦月 十九日 戊午の日
戌の刻 二つ

ブレードランナー続報
2008-1-15(Mardi)
最近見たニュース。

●ピストリウス選手のことは前にも書いたが、北京五輪に出場が認められないとのこと。
http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080115/oth0801150931003-n1.htm
http://www.cnn.co.jp/sports/CNN200801150001.html
エネルギー消耗が少ないからというのが理由だが、微妙だな。しかし彼、北京五輪出場の強化選手に選ばれているとのこと。国元では選手というしっかりしたまなざしでみられているのだろう。
「ブレードランナー」と呼ばれる同選手だが、ちょうど去年末に同名の映画、「ブレードランナー」が編集しなおされたのが新宿で出ていたよね?見逃していました。

参考 http://www.kanpara.com/article/2006/0909_1.html

●聾者が交通事故で亡くなった
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/incident/K2008010500750.html
ぼくは聞こえないからこの事故は人ごとではない。なぜ彼がこのような事故にあったのか、気になる。僕は道を歩く時、右と左、後ろ・・・全体に気をつけるようにしているが、見えない方向から車がつっこんできたら怖い。

●身体障害者手帳をめぐる不正診断書問題
http://s03.megalodon.jp/2008-0108-1220-32/www.hokkaido-np.co.jp/news/society/68652.php
元サイトが消えていたので魚拓から。
一九九四年に閉山した住友赤平炭鉱の下請け会社の元労組幹部(67)が社会保障制度を学ぶために元炭鉱マンを集めてサークルを結成し、この会を中心として芦別、赤平両市の手帳申請者を増やしていった疑いのあることが、三十一日分かった。元労組幹部は、両市を中心に百人を超える申請者を取りまとめたとされ、申請の際の「着手金」や身障者手帳交付などに伴う「成功報酬」のやりとりにもかかわっていた。(・・・中略・・・)元会員の男性は「(元幹部は)正常に耳の聴こえる会員に対しても聴覚障害の身障者手帳を取るよう何度も誘い、耳に障害のない多くの会員が身障者手帳を持つなど、この会が申請を広げる場になっていた」と話す。

昭和初期の医学雑誌には、職業病の研究がちらほらみえるが、耳に関する疾病は炭坑よりも鉄道関係が多い印象がする。まあ、すべての医学雑誌をみたわけではないし、きっと呼吸器関係の論文には炭坑夫関係のものも多いはず。建築物の天井のような埃だらけの空間を歩き回って、帰ってくると鼻水が真っ黒になり、マスクの必要性が感じられるほどなのだから。
しかしそれにしてもこの事件は誰でも障害者になれることを示すものだし、もっと大きく取り扱ってもいいと思う。

いいタイミング
2008-1-10(Jeudi)
先日お知らせした、ニコラ・フィリベールの映画公開について公式サイトが出来ていたようです。
http://www.nicolas-movie.jp/

注目したいのは以下ですが
http://www.cinemabox.com/schedule/ginza/soon.shtml
銀座テアトルシネマである"Le pays des sourds"という映画。
http://www.nicolas-movie.jp/retrospective/c.html
公開日は

1/26(土) 13:35
1/28(月) 16:10
1/29(火) 11:00
1/31(木) 18:45
2/1(金) 13:35
2/3(日) 11:00〜(予告編上映なし)
2/8(金) 11:00〜(予告編上映なし)
2/13(水) 11:00〜

のようですね。以前の日記でこの訳語「音のない世界で」というのが気に入らないと書きましたが、見ておこうと思います。フランス手話がどのように字幕に訳されているのか楽しみ。おそらく、フランス手話をフランス語にして、更に日本語に訳すという重訳をしているのだろうと思うのですが。

これも見てみたいんですが。
http://www.nicolas-movie.jp/retrospective/b.html
http://www.nicolas-movie.jp/retrospective/d.html

それからもうひとつ。
http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/program/wiseman/frederickwiseman.html
アテネ・フランセにて、フレデリック・ワイズマンの映画祭があります。ワイズマンといえば"Deaf"(聴覚障害)という映画があるし、最近なにかと話題の「いのちの食べかた」という映画とも強く相関する"Meat"も上映される。

"Deaf"は、2月23日(土) 14:50〜 と 3月11日(火) 13:10〜 なので、まだ見ていない人はぜひどうぞ。23日は「視覚障害」もあるので、あわせてみると面白いはず。

ということで、フランス映画の"Le pays des sourd"とアメリカ映画の"Deaf"両方がほとんど近いときに見られるチャンスなわけです。
そうそう、東京国立近代美術館フィルムセンターでは今、マキノ雅広のトーキー映画をやっているので、銀座ぶらりデートのコースにどうぞ。

2008年 1月 10日(木) 17時25分42秒
戊子の年(閏年) 睦月 十日 己酉の日
酉の刻 一つ

「おおきに」
2008-1-8(Mardi)
大阪のタリーズに寄る。
隣のテーブルにはカップルがいて、女の子がシクシク泣きながら話している。なにか深刻な話であることは間違いなく、男性も真剣なまなざしで彼女の顔のみ見つめている。彼女は俯きながら話したり、ときおり顔をあげたり、言葉を探しているようだ。
大阪でその風景をみて、ちょうど去年の1、2月はとても辛い失恋があったことを思い出す。いつもそうだが、あのときはほんとに好きだったから失恋したときの反動が物凄くてなかなか立ち直れなかった。無理に笑顔をつくるとチクチクと心が痛んだのはその頃のことだ。
その傷はしっかり痕に残っていて、見るたびに「何もかもタイプで、好きだよなあ。」と思い出す。
関西弁で「ありがとう」という意味は「おおきに」であることは言うまでもないが、僕は発音が悪くて「がぎぐげご」の発音が出来ないため「ありがとう」ということが出来ない。それで「おおきに」と言うことがある。むろん僕は関西人ではないが、この言葉そのものは人の温もりがあって好きな言葉。大阪にくるたびに「おおきに」と自然と口に出ることがあって、足取りが軽くなる。
だから思い出したけど、その失恋した子は僕にたくさんのことを気付かせてくれて(米米クラブみたい・・・)「おおきに」と感謝している。でも中島義道が書くようにその子のことめちゃくちゃ嫌いにもなってしまって、アンビバレントな感情がある。あー、どっちなんだろう?
あの子のこと真剣に好きだし、真剣に嫌いだ。男女ってそういうものなのだろうか。
まだまだ、恋愛修行が足りませぬな。次の恋愛の波はいつ来るのだろう。その波に乗れるよう・・・なんて、そんなこと書いてると、ポール・ヴァレリーから苦笑されるのでこのへんで。

プラネタリウム
2008-1-7(Lundi)
写真のみ。

プラネタリウムの字幕上映に行く。こういうのって最初にやったのは名古屋らしいのですが。



プラネタリウムの料金は結構安くてびっくりするけど、経営成り立つのかな。




ここは太陽系のミニチュアとか他の展示もあるんだけど、ぼくが子供の頃にみたものがいまだに現役だったりして維持費があまりかかっていないような感じ。ちなみにこのミニチュアはうまく動いていなかった。
梃子とか滑車もあって、重りを引いたりするたびに昔を思い出す。



入ってみると結構親子連れやカップルがいて、デートスポットって感じ。カップルはひざまくらしてもらったりとかイチャイチャしてて楽しそう。



冒頭のみ手話で解説してくれる。毎年同じ映像だけど、非常口とか禁止事項とかちゃんと解説してくれて安心。

しかし日ごろの疲れがたたったのか、半分くらいはウトウトと星を見ながら寝ていた。こういう寝室があったら結構たのしいかもしれない。

今年の歩き方
2008-1-5(Samedi)
●今年の読書計画のこと

だいたい読みたい本はもう決まっていて、旬の新刊を加えて読むでしょう。特筆すべきといえば、今年は『源氏物語』が完成してちょうど1000年なので、リスペクトとして改めて読破したいと考えております。訳といえば、与謝野晶子訳が青空文庫で出ているので僕と読破してくださる方はこちらをどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person52.html

フランスではDiane de Selliersという結構図版にこだわる出版社があって、そこが源氏物語のフランス語バージョンを出したばかり。訳文読んでないのでどうなのかわからないのだけど。
http://www.editionsdianedeselliers.com/DianeDeSelliers_jap.html


●今年旅したいところ

・那智大瀧 プラスとして長澤芦雪寺(無量寺)も訪問したいが、どんな展示構成なのかちょっと気になるところ。
http://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/kankou/02taki.html
http://www.kumano-yorimichi.com/area8/muryoji.html
・富士山 いい季節をみつけて準備万端で富士山登山を敢行したいと思っている。きっかけは去年の三徳山三佛寺投入堂参拝で修験道そのものに関心をよせたのと、去年三井記念美術館で『富士曼荼羅図』(富士山本宮浅間大社所蔵)が出品されていたのを興味深くみて蟻のようにゾロゾロと山頂に向かっている人たちの集団に関心があった。


ソースはここからです。実物はもう少しくすんでいたので、恐らくコントラストにメリハリをつけているのだろう。http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/e-museum/fujiyama/man.index.htm

ちょうどこれもあっているのでみておこう。1707年の噴火関連。
http://www.kahaku.go.jp/event/2007/12fujiyama/index.html

2008年 1月 05日(土) 21時05分18秒
戊子の年(閏年) 睦月 五日 甲辰の日
亥の刻 一つ

Anthropomorphism
2008-1-4(Vendredi)
●今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ここ最近日記への更新回数が減少しているよね。少しでも発信したいと思うので、長い目で見守っていただけますように。

●正月三日は短いながらも家族団欒ができた。九州国立博物館に行ってみたかったが、時間的に厳しいのでパスする。家族は何回か行ったらしいのだが、僕はあいにくまだ見ていない唯一の国立博物館。

●投入堂の録画番組を家族で鑑賞したら、フジテレビ「とくダネ!」は事前取材があったにもかかわらず、僕のことに一切ふられていなかったらしく、両親が怒っていた・・・。
フジテレビさんからうまくまとめられなかった、というようなメールを受け取っていたのだがぼくに対するインタビューを全く使っていなかった。まあ、時間的制約もあり厳しいと思ってはいましたが。それにしてもテレビ局の人は次から次に仕事が入って一年中グルグル動き回っている印象で余裕がほとんどなさそう。

●最近知ったもの。iKnowというのがあって、要するに英語学習に特化したSNS。
http://www.iknow.co.jp/
ディクテーションもある。音声を書き取るのだけど、明らかに僕には無理だねえ。これからはきっと手話学習のSNSも登場するのだろう。もしできたらば手話の映像が絶対流れるような仕組みになるはずで、つまり匿名性が殆どないSNSになるよね。
というのもフランスの刑務所に入れられた聾者が独白するドキュメンタリーが現地のテレビで放映されたことがあるが、手話がほとんど読みとれなかった。というのは、顔を布で覆い隠していて表情が読み取れないんだよね。マスクをして手話をされると、どうしても手話の認識率が低くなる・・・ってこの話はどこかでネタにしたような気がするが、手話をするときは表情をさらけ出すかしないかでだいぶ違う。
手の形、つめの形とかで誰かわかっちゃうことだってある。ある週刊誌で、聾の女の子が性について語るところがあって、匿名で出ていたのだが、ペンを持つ手の形の写真で掲載されていた。これがまずく聾者のあいだでは誰かすぐわかってしまったのだ。


●今年最初に考えたこと。

障害者の正体って、なんだろう?
障害者といわれることで、なにか社会的な苦しさや「ああ、しまった」という感触をもつことは間違っているとしか思えないが、その源流を18世紀末にさかのぼる作業を常に心がけているところ。

このことについて、AnthropomorphismやTheo-Anthropomorphismを自分が意識していることは間違いないなと思う。磯崎新が「人体の影」と著書で形容したように建築のなかに肉体の比例や寸法体系などを見出していく思想があって、それをAnthropomorphismという。有名な本としては、Joseph Rykwertの"The Dancing Column: On Order in Architecture"という西洋建築史の本があって、John Bulwerの"Chirologia or the Natural Language of the Hand"(『キロロジアあるいは手による自然発生的な言語』)が身体と建築のリンクのひとつとして引用されている。The Dancing Columnというタイトルが示すように、「柱」が身体とどう響きあって形態を変遷してきたかということにおいて、手の身振りとして引用されていることそのものがおもしろかった。(聾者の身体論を考えるにあたってはずせない古典。リクワートはサワリしか書いていないが)

それを「障害者」のまなざしで見つめかえすとどうなるんだろう?
念のため書いておくと、バリアフリーに形容されるように、現代建築のディテールや寸法体系が障害者の身体や政治と齟齬感を起こしている、ということを言いたいんじゃなくて・・・「障害者」ってケトレの統計学が示すような身体の基準化によって、つくられていることはすでに指摘されているけど、そのための装置として、障害者施設という建築があるわけで、それはどういったデザインのコンテクスト(細かく言うと、施設配置計画かな)があるのかな・・・などなど。これを調べる資料としては、たとえば大正頃からあるようだけど障害者に関する統計調査や聾学校、盲学校の統計がある。

話が前後するが、現代建築は障害者にとっては不自由なものであるか?だからバリアフリーという考えが日本にあるんじゃないの・・・というアクセシビリティの問題より僕が気になることがある。ウィリアム・ジェームズというプラグマティズム(哲学の一派)の大きな仕事をした人がいるのだが、彼は「自由の反対語は不自由ではなく、「自動」である。」と書いていて、これは鋭いなあと思った。障害者にとっては、たとえば改札口を潜る練習をしても、自動改札になることでうまく通れなかったり(メンタル的な問題で)、トラブったときにどうしようもなくなったり。ステロタイプというか、社会的な認識としては障害者は「自動」によって、らくちんにアクセシビリティを拡張したり歩けるようになったかというとそうでもないのが現状。
もうひとつ思い出したが、産婦人科の内診台は自動で両足がひらかれる仕組みになっている話をきいた。医師へのヒアリングによれば女性の羞恥心に対する親切として、そういうことになっているらしい。美容院の椅子もだが、それと建築における「自動」、障害者でいえばとくに精神的な障害をもっている人たちに対する「自動」とは必ず点と線になっている話だと思う。

『個体発生と系統発生』『人間の測りまちがい―差別の科学史』を書いたスティーヴン J.グールドの考えを取り込んでみたい気持ちもある。いうまでもなく、グールドの『ベル・カーブ』とは裏表の関係になるはずだから。

ケトレのように「身体の平均化」を援用しつつ障害者が形作られてきたことと施設史はどういう相関があったのか、という点において深まった考察がされたのかなというちょっとした疑問がある。病院史で例えば19世紀パリにおける病室配置計画など多くの事例が取り上げられているけど、障害者とされた人たちに対する概念が変遷していく過程と彼らの施設に対するデザインや込められた性格がどのように呼応したものであったか、というポイントがちょっとぼやけているのではないか。
ただ、ぼくの領域である建築計画・設計の論文では文献の精査のみで終わることはできず必然的に建築の調査をしなければならない。建築史だとすでに失われた建築については図面など一次資料を使ったりするけど、僕の分野はできるだけ現代の状況に即しなければならない。人間が使用している状況をみて実証作業をしなければならないが、それはどういうことをするか・・・などなど。

などなど、独り言でした。
さあ!今年も年末までかけぬけましょう。

2008年 1月 04日(金) 09時53分02秒
戊子の年(閏年) 睦月 四日 癸卯の日
巳の刻 二つ

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