tomotake kinoshita old journals

 

2008-03 journals

京都で足をとめて撮った写真
2008-3-31(Lundi)


伊東忠太設計の祇園閣。2006年に特別公開されているんだけど、見逃してしまっていたもの。ぜひ中をみてみたい。




京都市民なら誰もが知っているであろうパティスリで。
ショーウィンドウをみているだけで楽しいし、ここのカフェも素敵だ。

2008年 3月 31日(月) 00時54分51秒 雨
戊子の年(閏年) 弥生 三十一日 庚午の日
子の刻 四つ

京都で
2008-3-28(Vendredi)
京都に行く。研究発表をしたり、岡田温司先生にお会いしたり。いろいろと声をかけていただき、ありがたい。期待に応えられたら良いのだけれど・・・。
あさっての日曜、中村正義の美術館に行くつもりだったがいくつか予定が入り、来週あたりに延期せざるを得ない。桜を楽しみたいところなのだけど。

時間の合間をぬって銀閣寺の東求堂に行く。僕が見た建築のなかでもお気に入りだ。小さいながらも十分な広さ。無駄がまったくない。5月まで公開しているが、3時間ほどみせていただいた。南の扉から銀閣がみえるあたりは日当たりもよいし、床材はほどよい乾きようで気持ちいいし、池の水面がゆれていて、自分の鼓動とだんだん調和していく。時間そのものがゆったりとしていて、それはずっとそのまま座っていたかった。
夏には遣戸をあけて、涼しくするのだろうか。

2008年 3月 28日(金) 22時04分38秒
戊子の年(閏年) 弥生 二十八日 丁卯の日
亥の刻 三つ

なぜ、ここにいるんだろう
2008-3-25(Mardi)
生理学に関する書籍を読んでいて、なんで僕はここにいるんだろう?僕はどうして、聞こえない人間だと配置されているんだろうと・・・ときおり、お経のように唱えているが。むろん、それは僕がオージオメーターによる検査である基準を満たしたからなんだけど、しかし満たしたからといってなぜ障害者とされてしまうのか、うまく消化しきれていない。
消化する方法としては、歴史を遡るのもそのひとつかもしれない。では助けになるのは誰なんだろう、カント、ライプニッツだろうか、ヘルムホルツか、デュボワ=レーモンだろうか。わからない・・・。たくさんの墓碑をうろうろしている気分だ。もちろん、聞こえない身体のイメージが作られていく過程にかかわったのは一人じゃない。複数。少なくとも、17世紀までいく。
ジョルジュ・カンギレムは、「異常は正常の対ではなく、また別の正常なのだ」と書いていたのはどこまでも正しいけど・・・時間がむなしく過ぎるような感じだ。カンギレムは言語の問題を鋭く突いたが、日本においてはどんなやり方で示すべきなのだろう。国学や洋学だろうか。
今更だけど、ミシェル・フーコーとカンギレムがケルゼンを重要視していることが、だんだんすごく面白いと思いはじめている。

いまフッと頭をよぎったがマヤ・デレンのあの、瞬く星たちのあいだを男女がダンスしていく映像は、聴覚の束縛から解き放ってくれる。

話は変わるが日本手話学会ニュースレターの原稿依頼があって、書き上げる。会長の森先生のピンチヒッターのような形だったけれど、僕のようなものが・・・よいのだろうかと思ったが、依頼していただき、ありがたい。

今週の大事な〆切は終わった。
よし、日曜は新百合ヶ丘まで絵を見に行こうではないか。
そして新年度を迎えよう。

2008年 3月 25日(火) 23時23分34秒 曇のち雨
戊子の年(閏年) 弥生 二十五日 甲子の日
子の刻 一つ

いろいろとふっと思うこと
2008-3-18(Mardi)
朝からひたすら作業。

古本屋で『スリのテクノロジー』という本をみかけて、ちょっと立ち読み。『聾唖年鑑』という美学者、中井正一が愛好した本には聾のスリに関する記述があって、おもしろい指摘なのだがこの本にはそういうのはないようだ。あくまでも日米比較。

先日見た、国立西洋美術館の「ヴィーナス展」で休憩のソファにテレビがあるスペースがあって、そこにいたらロダンの葬儀シーンが流れていた。こういうのが残っているとはしらなくてついつい見入ってしまうことがあった。すぐ近くにある東京国立博物館で薬師寺展がはじまったけど、ちょっと忙しくてすぐには行けないなあ。
あと、国立科学博物館で「ダーウィン展」があるし、行きたいところ。

以前からもお知らせしていたが、北海道での聴覚障害診断書をめぐる問題について、これまで北海道新聞しか掲載されていなかったようだけど、ついに朝日新聞がとりあげた。
http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY200803160169.html
http://www.asahi.com/national/update/0317/TKY200803170156.html
手帳返還者が400人を超えたとあり、もうなんていうか・・・。

消しゴム付の鉛筆が欲しくても消しゴムがたいしたことない(よく消えない)ことがほとんどなんだけど、伊東屋のそれは結構よく消えるのでためしに買ってみた。お出かけ先では重宝するだろう。イートンペンシルというもの。

先日の澁谷さんの発表会では思いかげない出会いもあり、ひさしぶりの再会もあり、楽しく過ごす。CODAの概念・イメージを結びたいというきっかけで行なわれた研究なのだが、そのためには、アメリカから入ってきたその言葉より先(1983年以前)を遡らなければならないな、とも思う。

2008年 3月 18日(火) 21時13分52秒 晴
戊子の年(閏年) 弥生 十八日 丁巳の日
亥の刻 一つ

目黒を歩く
2008-3-16(Dimanche)
築地本願寺内部を見学する。小学校の同期が働いているということで案内させていただいた。スルメといっちゃ失礼だが、見れば見るほど面白い建築。内部空間は部材が横から引き延ばされている感じ。途中で喚鐘をたたいているところをみたが、あんな場所にあるとは・・・。もっとも印象的だったのは説法ホールになっているところで蟇股があるのだが、横にグワーと引き延ばされている。背後が換気口になっていたりなかったりする箇所があって、ひょっとすると蟇股は薄いのかも。
築地市場にある同宗の寺院もひかれるあたり。

市場で。サーっと魚が陳列するのはみてしまう。


東京都庭園美術館にて「建築の記憶ー写真と建築の近現代ー」展にでかける。
後輩が行きたいというので一緒に。なんの建物?ということで、建築の話をあれこれしながら中に。ちょっと前には安田侃の彫刻がおいてあったのに撤去されていた。
日本最古の写真所をひらいた富重利平の建築写真が冒頭の展示。日本における建築写真の歴史を考えるとこれが最初にくるだろうね。被写体は熊本城だが、蔀戸がボロボロで破損している箇所もあって、現在の城がいかに観光の空間になっちゃっているかという感じがする。不思議なことに、人物が写っていないのはウジェーヌ・アジェを思わせるね。
今年のNHK大河ドラマ『篤姫』は義父が島津斉彬という設定だが、その島津が撮影したカロタイプの鶴丸城も一枚。破損が激しく、ディテールはよくみえないが中庭かな、身分のあるものしか入れないところから撮っているように見える。
内田九一、小川一眞、ウィリアム・バルトン、横山松三郎らの写真をみていく。こういうテーマではかならず名前が挙がる人たち。バルトンの東京パノラマ写真は現物をはじめてみた。
空襲で焼けてしまった、亀井茲明による旧宮殿の写真がもっとも目をひく。プリントサイズが大きいからだろうか。大きい、というのが写真のすごみを感じる所で、ちまちました本やカタログとは比べ物にならない。
この宮殿はいうまでもなく、木子清敬らの手による明治宮殿で、山崎鯛介さんによる史料を丹念に読み解いたおもしろい論文がでているが、もっと全体を包括しようとするなら、建築史のみならず、柴田是真や山高信離を対象にした美術史の横断作業になるだろう。江戸城研究のように。ちなみに山崎さんの論文では宮中夜会という政治的作業との関連が指摘されているあたりがもっとも僕の関心をひく。
堀口捨己の説明で、堀口は自作を自分で写真を撮らず、他の人に・・・というような説明があったが、建築家自身が写真家というの岸田日出刀は自分のライカで撮影していた。磯崎新もなにかでカメラを構えている瞬間をみたことがある。
伊東忠太の野帳も展示。これは日本建築学会のデジタルアーカイブでも出ているが解像度が低いため細かいところがみえなく、不満がある。実物をみると伊東忠太はモールスキンのようなポケットサイズでグリッドがひかれている紙を使用している。グリッドかあ・・・。
二階にあがると、丹下の東京オリンピック国立室内総合競技場(代々木体育館)が目のまえにあって、一階にあるものとラインを引いているから僕の感覚も戦後になっていく。東京カテドラル聖マリア大聖堂や前川国男の落選案もある。この落選案の写真は不均質な壁が礼拝堂を構築しようとしているあたりがおもしろい。
渡辺義雄が1953年から撮影した伊勢神宮をみて思ったが、壬申検査では横山は撮影許可がもらえなかったのに渡辺はOKが出ている、そのあたりについてどうなってるんだろう?
だんだん年代が新しくなり、せんだいメディアテーク、そして最後は青森県立美術館。じつはまだこの建築をみていない。機会を作らなければならんのだけど。
余韻として杉本博司の「光の教会」。

アテネフランセでフレデリック・ワイズマン『聴覚障害』をみる。
気付いたが、フィリベールと違って聞こえる人というか手話を理解できない人の視点でカメラワークをしているような感じがした。カメラによって手が全体みえないときがある。ワイズマンは聾者の表情が気になったのだろうか?
手話には日本語字幕がついておらず、アメリカ手話がわからないと理解できないシーンもあり、不親切だろうと思う。

2008年 3月 16日(日) 18時58分10秒 晴
戊子の年(閏年) 弥生 十六日 乙卯の日
酉の刻 四つ

案内ふたつあります
2008-3-10(Lundi)
新百合ヶ丘の「中村正義の美術館」から案内をいただいた。6月1日まで。開館時間が特殊で、金・土・日・祝日しか開かない。本人の表情に迫力がこもる写真でギョッとする。今年で20年なのか。知らなかったが今年ももちろん見にいかなければ。この絵は好き嫌いがとても分かれそうだけど、あの建築と融合するといい感じなんだ。
http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Enakamura-masayoshi/



コーダ(CODA:聾の両親を持つ耳の聞こえる子供)の研究者、澁谷智子さんの博士論文公開審査会があります。これもぜひどうぞ。

澁谷智子 博士論文公開審査会
「聞こえない親を持つ聞こえる人々 −文化の中で自己の語りはどう作られるのか」

日時:3月14日(金)午後2時〜
場所:東京大学駒場キャンパス 18号館4階 コラボレーションルーム2

(電車での行き方)http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map02_02_j.html

(キャンパス内の建物の地図)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_17_j.html

審査委員:今橋映子、井上健、竹内信夫、市野川容孝(国際社会科学専攻)、好井裕明(筑波大学)

私の論文は、多くのろう者・コーダ・難聴者・手話通訳者・手話学習者の方々に支えられて成り立っています。
指導教官にもそのことを説明したところ、私の博論公開審査会において手話通訳者をつけられるように積極的に働きかけて下さり、昨日の教授会で、満場一致で手話通訳設置が認められました。

このような事情で、お知らせするのが一週間前になってしまったのですが、もしご関心があれば、コーダに関する私の論文の審査がどのように行なわれるのか、そのやりとりを見にいらして下さい。
公開審査なので、基本的に、誰でも見に来ることができます(席はそれほど多くはないかもしれませんが)。

ろうの大学院生や研究者は、聞こえる院生などに比べて、論文審査のやりとりを見る機会自体が少なくなってしまっていると思いますが、澁谷の博論審査会を、一つの機会として提供できれば嬉しいです。


2008年 3月 10日(月) 16時51分28秒 雨のち曇
戊子の年(閏年) 弥生 十日 己酉の日
申の刻 四つ

音を消す部屋
2008-3-8(Samedi)
音に関するおもしろい記事が2つ出ていた。

http://wiredvision.jp/news/200803/2008030622.html
われわれが気づいたのは、こうした仕組みの結果として、発した声が即座にぼやけ、あいまいになるということだ。拍手の音さえ平板になり、方向性を失ってしまう。(中略)では、聴覚の刺激がまったくない状態では、人間に何が起こるのだろうか? Tashev氏は、今われわれは「音声の幻覚」を体験しているが、実はこれは幻覚でもなんでもないと語った。つまり、自分の身体が機能している際に発する、わずかな音や振動に気付き始めるということだ。
内耳の血管を流れる血液の音が急に明確に聞こえるようになる。1分ぐらいすると、自分の心臓の鼓動さえ聴き取れるようになる。また、目がくらむような感覚にも襲われる。
同行したあるジャーナリストがこうした奇妙な身体感覚について指摘したとき、Tashev氏は、人間の脳は単純に情報に飢えているのだと説明した。パターンを解析する機械のように、われわれは、何も情報がないときでさえ、情報の入力を切望している。自分を刺激する外部の音がなくなったとき、われわれは自分の身体が発する音を拾い始めるのだ。
これはつまり、厳密には、静寂の音(サウンド・オブ・サイレンス)などというものは存在しないということだと思う。サイモン&ガーファンクルには申し訳ないけれど。


少し前に夢を見てね、大学の教室らしきところにいたんだけど、地震がおきて、窓からみえる向かいにあるレンガ造りの20階はありそうな建物が崩れ落ちたのだがその音をきいた。目覚めたとき、その音が耳に残っていて、なんていうかガンガンって感じでレンガが地上にたたきつけられていく映像と共にあった。
あれだけ鮮明に音をきいたのは初めてかもしれない。心臓や血管の音が聞こえない人にしているかというと、心臓の音は・・・目を閉じているとドクンドクンという感覚がしてくる。それを音というかはわからないが。
それと、無音室の体験が「聾の体験」に近いのかという問題を設定してみると、耳による聴取をきわめて弱体化することは果たせるかもしれない。そういうとき、人はどういう行動をとるんだろうか。それを実験するとなればこの部屋に何日も滞在することが必須条件になるだろう。トイレとか風呂とかの水の音も消せるのだろうか。目の前で便器の蓋を強く開けしめすると音がもれるかもしれないのだけど。

他、もうひとつ。
http://wiredvision.jp/news/200802/2008022622.html
この装置『Mosquito』は、人が年を取るにつれ高い周波数の音が聞こえにくくなることを利用したもので、若者にしか聞こえない不快な音を流して、若者を寄せ付けないようにする。

音で人をよせつけないなんて、ちょっとびっくりだなあ!

http://www.archpaper.com/news/2008_0219.htm
コルビュジェの有名な建築の1つ、ロンシャンの教会脇にレンゾ・ピアノによる滞在施設の設計案が出ている。有名建築の敷地に新しいものを付加するということは谷口吉生さんがMoMAをやったり、磯崎新さんがウフィツィの玄関を設計したように例はたくさんあるけど、これはシャープな屋根で丘に鋭いイメージをつけていて、ロンシャンとのパノラマはどうなるのだろうね。丘と同化する案よりはこちらのほうがいいとは思うが、しかし丘を知覚しているときにこの建築のように新しい存在が生まれるとロンシャンへ対する我々の意識が変わってしまう、つまり建築に対する注意力が散ってしまうと思う。ロンシャンの求心力が変わってしまうんじゃないか、何もないほうがいいのではないか。

2008年 3月 08日(土) 22時31分36秒 晴
戊子の年(閏年) 弥生 八日 丁未の日
亥の刻 四つ

ステーキはポケットに入らない
2008-3-6(Jeudi)
ひさしぶりの日記になってしまいました。
先週のほとんどを大乗寺で迎える。今年は閏年だけど、その29日を大乗寺で迎えたのだけど、こういうことなんてもう二度とないかもしれない。

大乗寺では調査と12月と1月に僕が連載をしたNPOにっぽんmuseumでツアーがあったのでその案内をしていた。

詳しい案内はこちらをどうぞ → http://d.hatena.ne.jp/daijoji/

調査では前回でできなかったことや新たな調査をするために伺ったのだけど、とりわけ重要だと考えていた調査ができなかったのでそのあたり残念に思っているところ。次回ちゃんとできるように準備しておかなければ。
香住は真冬だというのに、雪は積もっていなかった。ぼくがはじめて大乗寺にいった頃は豪雪とまではいかないけれど、見通しの悪い吹雪にベタ雪が積もっていたので、拍子抜けしたというか。NPOが主催したツアーには僕が去年参拝した三徳山の方もきてくださって、再会を喜べたのもうれしい出来事。本堂改修についていろいろ話す。
ツアーのとき、十一面観音に手をあわせていろいろ感謝したあと、あらためて画をみていった。一番興味深いのは山水の間で、上段があり、面談の間になっていることやセキュリティや画と建築の構成・・・大乗寺を象徴する空間であろうと思う。個人的にすきなのは孔雀と猿だけれど。
木下先生のツアーで同行して(http://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/10355129.html)、衝撃を受けたのがきっかけなんだけど、今回きてくださった皆さんもそれぞれ思うことがいろいろあったろうと顔をみて思う。
夜は蟹をたくさん食べて満腹。これ以上食べられないよ・・・。

昨日は鶴見大学の図書館で調べ物をしていた。
ここをあなどるなかれ、古医学書の文献をわりと収蔵している。そのあとそのまま都内に。
秋葉原でmicroSDというメモリーカードをはじめて買ったけど、ものすごく小さい。こんな小さいんなら無くしたとき大変だなあと思いながら。2Gで1500円以下でSDカード、miniSDのアダプターが付いている、apacerという台湾の会社のを購入してみた。しばらくカードを買っていなかったせいか、安く感じてしまった。今のところ動いているが、あまりにも安いのでぶっ壊れてしまわないだろうか。
水道橋で下車して、アテネフランセでワイズマンの映画『福祉』をみる。これがすごいんだよね。想像以上におもしろかった。
インディアンが冒頭にでてきて、「少数者を差別するのか」とわめくが周りの人は無反応のような編集がされているのも印象的。
ほとんどの映像はニューヨーク市のウェイヴァリー福祉センター内部での映像でほとんどが小切手をもらおうとする利用者と担当者を映している。文句ばかり垂れる利用者たち、堂々巡りの議論、たらいまわし・・・スタッフも疲れた表情で応対するし、きわめつきは黒人のおまわりさんに白人が「ニガー」「マグナム銃で殺してやる」「黒人は邪魔だ、首を吊れ」「黒人ヤローの血で通りが赤に染まる」と暴言を吐き、最後に黒人警官を指差して「こいつは10ポンドの袋に入らないぞ」と言う白人。目がうつろで薬かアル中か。ワイズマンは、カット編集などせずにそのまま時間の経過と同時に流しているので次第に僕も「はやく向こう行けよ」などとイライラしてくる。
万引きをしたという男とスタッフの会話で何を盗んだかという話でチョコバーを盗んだが、「ステーキはポケットに入らない」と言うのだが、不謹慎ながらも噴出してしまった。
客席をみると、いかにも映画関係者という風貌の人たちで、福祉関係者らしきものはみえなかったのがちょっと気がかり。杞憂だとよいが。
帰る頃は次の上映『肉』だったのだが、これは結構行列がならんでいた、むりもない、『いのちの食べかた』という映画が最近あったばかりだからだろう。

2008年 3月 06日(木) 15時17分04秒 晴
戊子の年(閏年) 弥生 六日 乙巳の日
申の刻 一つ

幽霊を抱く
2008-3-1(Samedi)
家を離れて大乗寺にきています。
地元の人に話を伺ったのですが、大正生まれの方の話はとりわけ興味深く伺いました。古い資料を受け取るときに手が触れて気付いたが、しわくちゃで指が曲がっていてたくさんの仕事をしてきた魅力的な手をしていらした。地元名士の訃報記事をみていると、人は死ぬが画は残るのをまざまざと感じる。頭ではわかっているが目の当たりにするとね。録音機やカメラによって幽霊のように肉体がなくなっても姿を呼び起こすことができる世の中になったけれど、あの手のようなことは肉体同士のふれあいでしかわからないだろうな。むろん触覚を再現する研究があるけど、どんなものになるのか。幽霊を抱くことができるのなら、物質の概念なんて存在しないようなもの。アポリネールの小説で幻想のなかで女の子を抱く話を思い出す。『月の王』だったっけ?
今朝、目覚めたら左手に振動を感じた。しびれとかではなくて血流が走ってる感じ。不思議なものだ。いろいろ夢を見る。

2008年 3月 01日(土) 07時15分53秒
戊子の年(閏年) 弥生 一日 庚子の日
辰の刻 一つ

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