■ 建築系ラジオってどうなの? 2009-11-23(Lundi) 昨夜、山田幸司先生のお通夜に参列する。いろんな顔の人がいて、手つきからして大工さんかな?と思うような人もいて、学校の同僚かなと思うような人もいたし、いろんな人が集まっていた。 食事ではじめて会う人やずっと会いたいと思っていた人もいて、いろいろ話し込む。もちろんわたしは筆談が中心だ。山田先生は建築系ラジオ(http://radio.tatsumatsuda.com/)の中心メンバーとしてもご活躍されていたのだが、わたしは聾だから、もちろんこのラジオを聴いた事はない。それについて堀井義博さん(http://www.0110110.com/)か「建築系ラジオってどうなの?」とつっこまれる。 これは、カフカ『城』のようで、そこにあることはわかっているんだけど、他の人は辿り着けて − それはいろんな声を聴く事 − でも、わたしにとって辿り着けないところだ。ただ、その小説と違うのはわたしがその城に辿り着こうとしていない点にあるのだけど。居酒屋とかいろんな場で、その城をみたときに、わたしの視野から広がるのは、他の人がラジオについて語ったり、ブログに書いている風景である。つまり、城について語っている人々をわたしはみている。これは「反響」といったほうが正確なのだろうけど、わたしには「こだま」しているように見える。さざ波のように、建築系ラジオの声が空間をとおっていく。 山田先生の身体はもうこの世にないけれど、でもその声はいろんな人のパソコンにダウンロードされて、何度も再生されて、あちこちの人の耳をとおしてこだましていくのだろう。そう考えると声は身体の中に沈殿していく。かつて、ウォルター・オングが言ったように。 2009年 11月 23日(月) 15時15分12秒 己丑の年 霜月 二十三日 壬申の日 申の刻 一つ |
■ 山田幸司、大里俊晴 − 二人の死 2009-11-21(Samedi) 建築家の山田幸司先生が亡くなられましたと昨夜連絡を受け取った。40歳。 建築以外の人は知らない人は多いだろうが、CADの世界ではとりわけ知られていてお名前を避けて通る事はできない。昨今は建築系ラジオのメンバーとして積極的にご発言されておられた。わたしは、耳がきこえないからラジオでどのようなことをおっしゃっていたかは少しも知らないが、なんでもラジオの声しかしらないというリスナーがたくさんいて、びっくりされておられたと、きいたときは苦笑したものだった。大乗寺で副住職の話を退屈そうに聞く先生をみたときは「ちょっと!ちょっと!」と声をかけたくなったものだ。それから国宝の茶室である如庵の模型を制作されていたときの風景を、わたしたちに解説されておられたのが最近のことだ。 わたしとの面識は少ないながらあった。そんなに濃い、親しい関係ではなかったけれど、わたしの研究室の後輩に積極的に話しかけておられるのを見て、もりあがっていたのでよかったと思いながら見ていた。わたしとのやりとりはとても少なかったし、ネットでのやりとりもそっけないような感じがしたものだった。 もちろん、それはわたしの一方的な感情でしかなく、もっと話してみたいなあと思いながら、日々少しずつ様々なことをこなしていた矢先のことだ。ゲームとCADについて話をしてみたかったな。 17日に現代音楽を中心に論じられていた大里俊晴先生が亡くなった。51歳。昨日、お葬式に参列させていただいたときに棺の脇にギターと革ジャン、著書。大里先生のアイコンとして強烈なもの。ご遺族のご好意でお顔を拝見させていただいたとき、棺にいる先生は、目を閉じていて、やや薄くなった髪に、白い歯をみせていて、顔の輪郭は、まさしく先生だったけれど、全体に色濃く漂う死の影。一生懸命、笑っているようにもみえるし、ここ数年、ガンと向かい合っていた先生の執念や、無念、そういうものも見える。その表情ぶりに思わず後ずさりしてしまいそうになった。これはわたしが大里先生ほど「生」を全うしていないからだ。ねえ、ほんとに先生なの?蝋人形じゃないの?思わず棺に手をかけてしまった。 先生がわたしに話しかける、あのクリクリした目、丸っこい輪郭の顔、女性の話になったときに見せた恥ずかしそうな顔・・・。わたしは先生がパリに住んでいたときのテレビの話が好きだったよ。でも、すべてが思い出になってしまった。 山田先生、大里先生、もう会えないのがさびしいよ。 さようなら。 2009年 11月 21日(土) 12時00分33秒 己丑の年 霜月 二十一日 庚午の日 午の刻 三つ (正午) |
■ グエッグエッ 2009-11-8(Dimanche) つげ義春『ゲンセンカン主人』より 聾の女性が出てくる。ここによれば http://plaza.rakuten.co.jp/derkatze/diary/200709290000/ 「耳と口が不自由のようですね」は「唖でつんぼのやうですね」であったらしい。差別用語をそのまま使うことはここ最近、時代背景を正確に反映・・・ということであるけど、修正されているのだな。 それと、この女性が発する「グエッグエッ」「グフッグフッ」「ギョッギョッ」という動物のような声は、つげ義春が経験した聾者の声なのだろうか。この女将は戦前生まれのような気がするが、聾学校に行かなかった聾者もいるはずだから、そういうこともあるのかもしれない。しかし、婆が「口の動きでわかりますぞ」と読唇にたけていることをほのめかすシーンや、そろばんができること、風呂で男に「へやで」と壁に書いてみせるあたり、筆談ができることを示している。声とやっていること、そのあたりにものすごいギャップがある。声と身体の身振りが合致していなくて、クラクラしてしまった。 2009年 11月 08日(日) 16時44分53秒 己丑の年 霜月 八日 丁巳の日 申の刻 四つ |
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