■ 宇賀神、宇迦之御魂神 2010-7-12(Lundi) 東京国立博物館「弁財天坐像」木造、彩色、戴金、玉眼(鎌倉時代、個人蔵) 重量感のある衣、落ち着いた表情をしている弁財天の頭部に人の頭をした蛇のような存在がどくろをまいているのがみえるが、説明によれば、もっとも宇賀神の最古の作例とのことで、宇迦之御魂神として『古事記』に登場するという。「宇迦(うか)」は食べ物を意味する「うけ」の古形だとか。この神様は老人の姿をとるように、ひとつのイメージが時代ごとに別の形をとることがあるが、インドの香りがするのははじめてみる。 考えてみれば、宇賀神は穀物の神様なので、水を司る蛇の形態を取っていると考えるのがオードソックスなのだろう。 このブログの写真にあるのも、時代こそ異なるものの似た作例なのだと考えられる。こちらは明和四年(1767)のもののようだ。 http://joun.blog.so-net.ne.jp/2009-03-15 2010年 7月 12日(月) 12時26分49秒 庚寅の年 文月 十二日 癸亥の日 午の刻 三つ |
■ 表象文化論学会大会について 2010-7-10(Samedi) ずいぶんご無沙汰してしまいました。 梅雨というよりはゲリラ豪雨というようだが、局所的に激しい雨が降るようなことがあったりして、落ち着かないそらもようが続いている。 先日、表象文化論学会の大会に参加した。去年11月の大会から手話通訳が部分的に(予算の関係で)つくようになった。 まず、各発表について、思った事を書く前に全体を総括しておくと、いずれの発表も手話通訳が困惑するほどの早口であったということが非常に気になった。手話通訳は事前に参考資料をチェックしていたのだが、それでも通訳漏れが多かったと終わったあとに言われた。 わたしは通訳者と発表者の板挟みになったように思った。発表者でいえば、時間は限られているし、内容をいろいろもりこみたいという気持ちはとてもよくわかる。 だが、通訳の「きちんと話してほしい」(きちんと話すということはどういうことなのか)というのもとても大切なことのはずだ。 わたしが目にしたよい発表や印象に残る発表はあえてしてスピード感が早すぎず遅すぎず、周囲の雰囲気/感覚をおろそかにしないものであった。こう書くと曖昧であるが、要するにはっきりした口調で要点を示しつつ話すということにつきよう。それが徹底されていなかった気がする。 本来ならば、発表途中にわたしが手をあげて「早口なので・・・」と指摘したいところではあるが、そうすると予定している内容をこなすことが難しいだろう。なので手をあげることはしなかった。 まず、全体的にこういう課題が残るように思われた。 10:00-12:00 研究発表(午前) 研究発表1:包含と排除――中世から現代にいたる表象文化の三つのケース 脇役たちの「場なき場」―― 15世紀フィレンツェの聖史劇より/杉山博昭(日本学術振興会) 救済のポリティクス――ペスト流行期の《慈悲の聖母》にみられる救われざるものたち/河田淳(日本学術振興会) 二つのメデューズ号 ――ジェリコーとショニバレのあいだ/石谷治寛(龍谷大学) 【コメンテーター/司会】阿部成樹(山形大学) さて、発表1について。 杉山さんの聖史劇について、これはタイトル通りフィレンツェにおける聖史劇についてのご発表。ウッチェロの絵画<< Miracle de l'hostie profanée >> http://www.cineclubdecaen.com/peinture/peintres/uccello/miracledelhostie.htm や図版が豊富なのはよいのだが、タイトルに「フィレンツェ」とあるようにある地点をやるわけなのだから、当時の地図を使うなり、フィレンツェのどこでこの劇をやったのか、可能な範囲で表象してもらいたかった。リュシアン・フェーヴルだったかとおもうが、アナール派が考えるような地理的な属性を徹底的に考察することである。 また、レジュメをみると、アンリ・レイ=フローの名前がなかった。以下の書籍である。 Henri Rey-Flaud "Le cercle magique essai sur le théâtre en rond à la fin du Moyen âge" これは、聖史劇の「場」についてフランス、イタリアの事例をもとに分析するものであったかとおもう。杉山さんのご研究からして欠かせないものであるはずなのに、二次資料に取り上げられていないことが気になった。 河田さんのご発表について、ペストを防ぐ意味としてのマリアさまが「マントー」で人々を包み込んでいる様子が描かれた絵画についてであった。"madonna della misericordia"というそうで、13世末頃から16世紀半ばに西欧の広い地域で普及したのだという。このようなイメージだろうと思う。 http://www.museionline.it/news/show.php?idnews=1605 この言い方についてシュルコとの違いを教えてほしいと質問したのだが、わたしの勘違いだったようで河田さんには申し訳ない。考えてみれば、「マントー」が疫病を防ぐ効果があったという民族的伝承がどのくらいの強さをもつものであったかということが気になるところではある。 石谷さんのご発表について。これはショニバレの「メデューズ号」 http://www.jamescohan.com/exhibitions/2008-04-17_yinka-shonibare-mbe/# とジェリコーの「メデューズ号」を絵画史、科学史の視点から比較分析するものであった。 小林秀雄は「この絵が載った本は売れる、不幸だからだ」と書いている。痛ましい絵を別の方向に向かわせる背景に何があったか、そこが重要ではないかと思われる。それで、ショニバレのメデューズ号を彼は「パロディ」と話していた。不幸の極致としてみられたその絵画がパロディの対象となるきっかけ/変容について質問したが、石谷さんのご回答に納得がいかなかった。わたしの不勉強なのかもしれない。 ショニバレは、インスタレーションをする際に首を切り取られた各分野の著名人たちのジオラマを作っている。 このギロチンされたような身体、とショニバレは言ったようなのだが、どうして首がないのか、石谷さんなりの分析があると深まったように思われる。 発表終了後、石谷さんに話しかけたが、もっと話してみたいとおもうような人だった。次回を楽しみにしたい。 昼食をとり、総会のあと、研究発表5が行われる。 研究発表5:モデルとしての建築 建築の曝け出された臓腑――18世紀後半の廃墟表象における瞬間性と暴力性について/小澤京子(東京大学) 建築的アトピア――「デ・ステイルグループの建築家たち」展、エフォール・モデルヌ画廊、パリ、1923年10月/米田尚輝(国立新 美術館・跡見女子大学) 人間を設計するためのプラン――アレクサンドル・ロトチェンコの構成主義デザイン/河村彩(早稲田大学) 【コメンテーター/司会】松浦寿夫(東京外国語大学) 小澤さんの発表はとても楽しみにしていた。小澤さんのご発表は、さすがに論理的で図版の見せ方もうっとりするものがある。 ユベール・ロベールなどバスチーユ牢獄が襲撃シーンについて紹介がされているが、 そのあとにマリー・アントワネットがギロチンにかけられる直前を小澤さんは紹介されていた。 (注:これはわたしが探した画像であって小澤さんがご紹介されたものと違う可能性あり) このあたりを裏返すと、タンプル塔が登場するのではないか。アントワネットはタンプル塔というナポレオンにあとかたもなく破壊された/廃墟になることもなかった建築に住んでいた。 ここで示唆的なのはバスチーユとタンプル塔というふたつの「建築」が片方では襲撃されて、まさに破壊される様相を示しているのに対し、タンプル塔はそれが描かれないという点である。つまり、タンプル塔は廃墟になることなく、ギロチンにかけられている。生死において、じわじわと死ぬのではなくて、すっぱりと切り取られる。このようなイメージのある建築にもかかわらず、今は地下鉄の駅"Temple"となっている。ここになにを見いだせるだろうか、そこが面白い問いかけではないかと感じられた。 また、ジョセフ・マイケル・ガンディ《廃墟としてのイングランド銀行のロトンダ》から《解体されるイングランド銀行》という図版の流れは、個人的にウッドワード『廃墟論』と同じであり、ウッドワードを強く意識してしまうのも気になったが、あえて取り上げるべき強い理由があっただろうか。たしかにウッドワードは重要だし、確認することは決して間違いではないけれども、時間的制約のなか、その必要性があっただろうか。 米田さんと河村さんのご発表についてなのだが、大変細かいことを言う事を許してほしい。レジュメの作りをもう少し丁寧にしてほしかったということだ。とくにこの発表では固有の人物を中心に取り上げているために、その人物に関する簡素なプロフィールと生没年を明記しておかなければいけないのではないかとも思った。その点、小澤さんのレジュメはしっかりしている。そのあたり、パネルとしての統一感をしっかりしてほしいな、と感じるが、なかなかに難しい面もあるだろうと思う。 米田さんと松浦先生のかけあいも楽しく、大変勉強になった。みなさん、おつかれさまでした。 2010年 7月 10日(土) 17時49分20秒 庚寅の年 文月 十日 辛酉の日 酉の刻 二つ |
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