「日本盲唖教育發祥之地」の碑。京都盲唖院初代院長・古川太四郎が勤務した待賢小学校があったところ
(2008年8月2日撮影 ただし、位置は少し北にずれている)

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去年の8月に医学書院『訪問看護と介護』2012年8月号に掲載されたインタビュー記事について、盲の方より読みたいというリクエストがありましたので、全文テキストを準備しました。ただし、写真は著作権の関係で削除していますので、写真をごらんになりたい方は、こちらよりPDFをダウンロードしてください。

なお、インタビュー記事本文「「新たなケアは「違い」の認識から」」はこちらのポストを参照してください。

【】の部分は読み上げの補足です。

どうぞよろしくお願いいたします。


 

【表題】「京都盲唖院」とは?――京都の人々と共にあった“学び”と“生活”の場

Mouain LOCATION

京都盲唖院の位置図(木下作成)

 

【本文】 京都盲唖院(きょうともうあいん 以下、盲唖院)は、 1878(明治11)年に京都の「中心地」にあった盲と聾の子どもたちの学校です。学校だけでなく、宿舎も併設されており、“生活”の場として、見えない 人と聞こえない人が共に学び暮らしていました。盲唖院の存在を知ったとき、いったいどんな学校だったのだろうと感じました。1925(大正14)年に盲唖 院は京都府立盲学校と聾学校に完全分離したために現存しないのですが、膨大な資料が残されていました。そこで、それらの資料に当たりながら、建築学の立場 から盲唖院を追いかけることにしたのです。盲唖院のおもしろさを知ってもらうべく、その歴史と成り立ちを少しご紹介します。

1869(明治 2)年、明治天皇が東京に移られる「東幸」が行なわれたとき、京都の人々は大変落ち込みました。そこで、京都府は製紙・製革などの工場を設立するという殖 産興業で盛り立て直そうとします。また、京都は室町時代から「町組」という住民たちの強いネットワークがあり、加えて全国有数の「寺小屋」を抱える“教育 の町”でした。そこで府は、町組を上京区と下京区に分け、その下に各番組を作るという「番組」に編成し、寺小屋を「番組小学校」に変え、寄り合いと教育の 場も作り直したのです。このように府は第二代知事の槇村正直を中心に、西洋文化を取り入れた新しい町に変えます。この近代京都の状況は盲唖院が成立する要 因となりました。

番組小学校のひとつ、待賢小学校が二条城の北、大黒町にあり、盲唖院の初代院長となる、古河太四郎(1845~1907) が訓導(教諭)をしていました。明治8、9年頃、古河は小学校のなかで瘖啞(いんあ)教場を設立し、3名の生徒を教えます。そして、1877(明治10) 年12月に、愛媛県士族の遠山憲美(1849~?)が「盲唖院を設立してはどうか」と府に上申したのを契機に、大丸呉服店の建物の一部を改修して、「仮盲 唖院」が開校されます。それは、大久保利通が暗殺された10日後、1878(明治11)年5月24日のことでした。教育カリキュラムの特徴は、修身や習字 といった教養だけでなく、卒業後の生活が営めるよう、手に職を得るための職工教育が組まれていた点です。

1879(明治12)年に、現在の 京都府庁の前に恭明宮という歴代天皇祭祀施設と女官たちの住宅の一部を移築した教場に引越します。この頃から「京都盲唖院」という名前が定着しはじめたも のと思われます。当初の予算は府からの「府庁配布金」が主でしたが、1880(明治13)年には明治天皇からの天覧を受け、下賜金千円を得ます。生徒が人 力車で通学するための費用を削減する目的のために下賜金で閑院宮の建築を購入し、寄宿舎とするなど勢いがあったのですが、1885(明治18)年からは京 都府による琵琶湖疏水工事が開始された影響で「府庁配布金」が停止され、財政難に陥ります。寄宿舎を失って生徒を減らすうえ、1889(明治22)年末に は古河が辞任するなど、厳しい時代がありました。それでもなお、二代目・五代目院長の鳥居嘉三郎(1855~1943)のもと、「慈善」の名目で寄付金を 集めるための音楽会などが開催されたり、細々と維持され、1893(明治26)年には盲唖院を新築するための「京都盲唖院慈善会」が設立されます。5年後 にはその寄付金と国庫の資金をもとに新しい教場を建設します。このように盲唖院は“住宅”から“学校”へ形を整えますが、盲と聾教育の教育手法の違いか ら、1914(大正3)年に盲部と唖部に分離します。

このように、盲唖院は京都の人々の援助を受けながら、近代的教育を行なっていたと言え ます。また、福田ヨシ、伊集院キクなどは退職後に故郷で教育を行なっており、盲唖院は日本における盲・聾教育の萌芽になった学校でもあります。そういう意 味で、わたしたちは「京都盲唖院」の名前を記憶に留めておくべきなのです。(木下知威)

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