Filter

木を見るときに

“You cannot judge a tree by seeing it from one side only – As you go round or away from it – it may overcome you with its mass of glowing scarlet or yellow light. You need to stand where the greatest no of leaves will transmit or reflect to you most favorably…”

10月になって決まって思い出すフレーズに、ヘンリー・ダヴィッド・ソローの日記にかいてある一文がある。これは1860年10月9日の日記に書いてあって、ソローの日記をアーカイヴとして公開しているウェブサイトで知った(カリフォルニア大学サンタバーバラ校の図書館が公開している)。

ソローはフェア・ヘヴン湖をボートで漕いでいるときにこの風景に出会ったらしい。ソローは木をone side、ひとつの方向から見ただけで決めてはいけないと言っていて、木というのは周りを歩き回ったり、距離をとることでその見方を変えてみるということ。その後に続く”You need to stand where the greatest…”のところが重要で、自分の視点に立ってみるということ。そのとき、もしかしたら眩しいスカーレット、あるいはイエローの光を見つけるかもしれない。これは研究において、史料を読むときに心においておくべき言葉だ。

画像としてアップしているのは、ソローの日記(1860年10月9日)の部分。これを見ると、右頁の上から6行目の”stand where the greatest no of leaves”のパートでtが4つ並ぶのだけど、それを走るように横線を引いているところはソローの気分がのっているようでメロディックだ。

いい言葉でしょう?

瑞々しさの基準

宮城県・多賀城市にて。

何かに対する判断基準として、それが瑞々しいかどうか、というのがある。

ある機関で史料調査したときにひょっこりと紛れていた資料と出会った。それは鳥山博志『死の島ラブアンからの生還』だった。とても薄い私家本で、元は潮書房「丸」別冊3号(太平洋戦争証言シリーズ、1986年)を製本したものらしい。この冊子の最後に、鳥山さんはこんなことをした、と年賀状の内容を紹介している。書かれたのはおそらく1980年代であろう。

紹介してみたい。

 

「(前略)昨今、戦争の本質をあいまいにする危険な風潮を感じはじめたからです。国の動きの中にも・・・

憲法第九条は、先の大戦で戦没した二百十万人の日本人が私たちに残した遺書です。私は生ける証言者として、この遺書を守り、故郷を遠く離れて、護国という名目のためにジャングルの土となった人びとの言いたかった訴えたかったことを、その本当の心を代わって語り伝えていきたいと思います。戦没者の鎮魂は、靖国にあるのではなく、戦争の実態を明らかにすることの中にあります。反戦反核の決意を新年のご挨拶といたします。鳥山博志」

 

Continue Reading →

もぎとった果実のように、声を手渡す — 石牟礼道子

石牟礼道子『苦海浄土』『神々の村』『天の魚』を読了する。言わずと知れた、水俣を描いた三部作。

樹木から果実を取ったように、石牟礼が取る声が生(キ)のまま。それは文字という濾過を介していない。紙の上に、声じたいとして留まっている。人の声を一度すら聞いたことがないわたしにとって、その声は石牟礼が書き取るというよりは、石牟礼の手から絡め取られた声を手渡しされたように思える。

声の手渡し!

それが可能なのは、ひとつは方言なのだろう。その土地にまみれた口から出てくる言葉がある。標準語という極めて政治的な言語体系を逆行してやってくるからだ。 Continue Reading →

かろやかな人

危口さん。久しぶり。
 
昨日、京都の家に帰宅したあとに危口さんが亡くなったことを知った。今日がお通夜で明日はお葬式とのことで荼毘にふされ、新たな世界に行かれるまえに書いておきたい。
 
わたしは危口さんと3年前に知り合い、ときおりお会いしては立ち話をする関係だっ た。危口さんの本名は木口で、わたしと同じく姓に「木」がついていることもあって、木の話題もときおりあった。とくにわたしが家の立ち退きをうけたとき、 小さな庭にあった梅の木が切られることの納得できなさを最初に相談したのは危口さんだった。あのときは移植先への道を示してくれたことに感謝しているけれど、迷惑もかけてしまった。ごめんなさい。
 
悪魔のしるし『わが父、ジャコメッティ』では危口さんがお父さんの横に立って、お父さんのプロフィールが書かれたボードを掲げて二人で頭を下げるシーンがある。そのとき 客席では笑っているひとがたくさんいたが、わたしはすこしも笑えなかった。なぜなら、葬儀のシーンにみえたからだった。
 
一般的に、葬儀の場では喪主が故人のことを紹介する時間が設けられている。『わが父、ジャコメッティ』では喪服を着ていないし、当の本人が横に立っている のだから葬儀のようには一見みえないけれど、危口さんに「お父さんのプロフィールを書いたボードを掲げるシーン、危口さんが喪主として父の葬儀をやっているよね。客席は笑っていたけど、わ たしはまったく笑えなかったよ。」と話すと、危口さんはニヤリと笑って「ご明察」と答えた。それなのに、明日はお父さんが危口さんの喪主を務めることになっている。
 
危口さん、そりゃあ無いよ。『わが父、ジャコメッティ』と逆じゃない?

Continue Reading →

2016年

夢殿観音(明治時代・小川一眞撮影)

年末年始、帰省までの切符を受け取った瞬間、2016年の瀬を感じることになった。いつもは飛行機で帰省するのだけれど、今回は新幹線を利用した。深い意味はなく、たんに新幹線から流れる風景を見ながら作業をしたかったのだった。たいへんよく捗ったのでまた新幹線を利用してみたい。

さて。今年について。2016年は良い一年だった。全国に散逸している盲唖学校の史料を調査してきたが、ようやくボリュームとしてもクオリティーとしても一定のものを得ることができた。これまで、京都や東京しかみてこなかったので全国にどのように展開してきたのか、おぼろげながらつかめてきたのがこの年だといってよいだろう。 Continue Reading →

トランス/リアル - 非実体的美術の可能性 vol.5 伊東篤宏・角田俊也

誰かを抱いた時。

子供のころ、父や母に抱きついた時。愛おしい人に抱きついた時。

胸や背中が膨張を繰り返して呼吸しているのを覚えている。

角田さんの作品はそんな記憶を喚起させるものだった。スタッフに促されて手で木箱にそっと触れたり、スピーカーに触れるほど耳を近づけると振動があった。 Continue Reading →

岡山芸術交流 会場情報・アクセスについて

岡本太郎「躍進」(岡山駅にて)

岡山芸術交流においては、各会場の作品の配置を示したパンフレットが配布されていますが、一部展示の変更があったために修正したものも同時に配布されていました。この修正版はA3両面で、「更新版 会場情報・アクセス」というものです。
もちろん、公式サイトでも修正されているのですが、google mapを使っているためにやや重いです。そこで、この修正版を持って歩くととても周りやすくなるのでスキャンしたものをこちらにて紹介します。

okayama_art_summit2016_map.pdf

よい旅を!

瞼の非同期とインサーション

画像はαMギャラリーウェブサイトより

αMギャラリーでトランス/リアル - 非実体的美術の可能性 vol.4 相川勝・小沢裕子を見る。

ギャラリーに入ると点滅する部屋。休廊中?と最初は思った。それは違っていて、ギャラリーを出るときにスタッフから教えていただいたのだが、眼鏡に目の瞬きを感知する装置を入れていて、それと同期するように部屋全体が点滅するようになっていた。スタッフの男性に「集中できないんじゃないですか」と尋ねると「そんなことないですよ、同期しているのです」というような返事があった。確かに彼が目を閉じれば部屋は真っ暗になり、目を開けばまた明るくなる。蛍光灯だからその点滅の速度はきわめて早い。パッと点灯と消灯を繰り返す。

なんということだろう、と思った。 Continue Reading →

京都府立総合資料館と京都盲唖院

京都府立総合資料館の投書箱。
ときどきおもしろい投書がある。
一番笑えたのは「熊のプーさんは爬虫類ですか?」という質問。
答えは「質問の意味がわかりません」というものだった。

京都府立総合資料館。京都府民で知っているひとはどのくらいいるだろうか。京都の資料を取り扱う機関。わかりやすくいえば公文書館でありつつも貸出をしない図書館機能もあり、展示をする博物館機能もある、といえばいいだろうか。その京都府立総合資料館の新館がリニューアル・オープンするため、いまの建物が閉館になる。だからというわけではないのだけれども、2年前あたりからちょくちょく足を運ぶようにしていた。 Continue Reading →

歪んだ柱

広島。長崎。わたしは今年、原爆が落ちた街を訪れた。

いろいろと思うことはあるが、長崎の興福寺というお寺を訪れた時の話をしたい。ここは、実は長崎盲唖院の唯一の遺構が残されているお寺だ。桜馬場に新し い校舎が建てられる前、長崎聖堂で授業をしていた。その遺構がこのお寺にあるのだ。それをひととおり見学させていただいた。その後、美味しいお茶をいただ きながらお住職にお寺の歴史についてお話を伺っていた。お寺の雰囲気からわかるように、黄檗宗の寺院である(長崎と中国・西洋と盲唖教育というテーマもひ じょうに興味深いのだが)。

そのなかで、お住職はあれを見てごらん、と本堂の回廊を指さされた。そこには柱が建っている。

「柱が曲がっているのがわかりますか?」

「ええ、わかります。」

「あれは、原爆で倒れたんですよ」

えっ、と思った。というのはこの興福寺は長崎の市街地の南の方にあり、やや離れているのであったから。原爆による爆風が山を越え、市街地を走り抜けるとともに、建築をなぎ倒していった。

その瞬間、わたしの目にはある柱は、柱でなくなった。これは、まぎれもなく、原爆の永遠の、証言者なのだ。

倒されて曲がってしまった証言者は再び体を起こして、かつての場所から動くことなく建っている。これこそが重要であった。

瞽女の声

momatの吉増剛造展に。吉増が収集してきたカセットテープの束を見ていたら、瞽女に関するものが7本もあった。杉本キクエの名前が見える。杉本に関しては音源が出ているけれども、これらのテープはどうであろうか?

声、声、声を収集する吉増剛造。

DSC_0276_th

盲人と自分を見つめる

momatの常設展に中村彝が描いたエロシェンコの肖像画がある。常設ではスタメン、登場する確率が高い絵画である(右)。その横が中村本人による自画像(左)。エロシェンコは沈思するような表情で佇んでいて、視線はこちらに向いていない(それこそが、盲人を描いた肖像画としての確固たる地位を占めているのだが)。一方、中村は口をやや意識的に結び、彼の目はこちらを向いている。顔の向きは反対で、二人はお互いにそっぽを向いているかのように配置されている。 Continue Reading →

光の集合と終わり — 志村信裕《見島牛》

六本木クロッシング2016を訪問する。オープニングに伺って以来、しばらく見る余裕がなかったが、終了間際になって訪れる。

やや長いエレベーターをあがりながら考える。わたしは、どんなふうにして、美術と向かい合っているのだろう、と。 Continue Reading →

刻まれる写真 — 東松照明の長崎

ちょうど、わたしは長崎で史料調査をしていた。わたしは全国の盲人・聾者の社会とコミュニティを盲唖学校を通じて研究しているが、それを長崎に求めにきたのであった。
時代としては明治・大正であって、原爆が落ちる前の長崎の姿をみようとしている。
そこから延々と広島で資料調査を行ったのち、時間のあいまをぬって広島市現代美術館の東松照明展に向かう。
広島平和記念資料館からのバス「めいぷるーぷ」に乗ると、丹下の建築のまえで子供たちがピースをしている。深刻そうな表情をしている子はおらず、楽しげに走り回っている。このような風景がずっと続くべきだ。

バスに揺られながら考える。広島で長崎の写真が展示されることについて、原爆という二文字は欠かせないことになっていることは本来ならあってはいけないことなのだが、それ以上にわたしは東松の死後、という時間を考える。写真家の死は、現在を生きている被写体にとっては二度と東松のファインダーにとらえられる瞬間はおとずれないことを意味している。そして、被写体やわたしにとっては新たな時間が流れることでもあった。だが同時にこうとも思う。「原爆が落ちなかったら東松は長崎でシャッターと切らなかったのではないか?」 Continue Reading →

道後温泉にて

長崎、宇和島、松山と調査が続いていたので、息抜きをしたく、道後温泉本館に。松山では有名な観光地でまあベタなところだが一度見ておきたかった。

せっかくなので霊の湯 二階席をとって入浴する。今回の史料調査にあたって楽なことは一度もなかった。それにかつての盲人や聾者が置かれていた社会状況。それを考えると耳が聞こえない身体をもって生まれてくるべきではなかったかもしれない。生まれ変われるなら、耳の聞こえる人として人生を送ってみたい。聞こえないということが、わたしの身体に重くのしかかっている。 Continue Reading →

ニカッと笑う小西信八

小西信八が笑っている写真は珍しい。盲唖学校での集合写真ではこのような表情は見せない。嬉しいことがあったのだろう。

犀星の初版本グラフ

資料を整理していた時に出てきたもの。金沢にある室生犀星記念館でもらったのだと思う。本の装丁と出版年をグラフにしたもの。これは記念館にも同様の展示がされ、壁一面に初版本が配置されている。参考写真はこちら。

面白いのは上に行くほど時代が新しく、下に行くほど時代が古いという「地層型年表」になっていることである。

断章 ー 出窓の先に

新居に越してもうすぐ一年になろうとしている。出窓からの風景を見ながらコーヒーを飲んだり、朝食をとるのが楽しいのがこの季節かもしれない。夏になると日差しが強いだろうから。写真は12月のものだが。

最近読んだもの。大阪の盲人が書いた文章で、子どものときに親に連れられて当時大阪盲唖院の院長だった古河太四郎を訪問したという短い回想を読んだ。それによれば、「ぼん、これが何かわかるか」とあるものに触れられたという。それは瓢箪で「瓢箪です」と答えると、おお、よくわかるな、と返されたことを覚えている、というもの。
古河のユーモラスな側面があった。そう思えるのは、わたしと古河が短い付き合いではなくなったということでもあるのだろう。

はじめて古河のことを知ったのは、わたしが講師をしていた手話サークルで教養講座をすることになり、手話の歴史を知りたいという声があがったことがきっかけ。ひとまず、障害児教育史の参考文献を調べ、古河のことを知った。あの時の感覚は、単に京都の一小学校の教師だった、手勢という方法で物と概念を教えようとした、という印象しかない。その継ぎ合わせの知識で手話サークルで説明をしたことを覚えているが、こんなの知識じゃない、絶対に。血にも肉にもならない。知識の本質は、その人が何をしたか、ではなくてその人が何を目指したかを見せてくれるものだから。それを見つけるには、古河の家族構成や学歴、職歴からみた生の体系に近づかなければならない。そうすることで知識は知識として、はじめて言葉としてこの体から語らせてくれる。わたし自身が語るのではなくて、わたしの体が語ってくれる。

古河の言葉がしてくる。

「ぼん、これが何かわかるか」

部屋と欅

用事があり、旧居に行かなければならなかった。

わたしがかつて住んでいた居室の様子をみると、窓のある部屋に切り倒された欅が横たえてあった。毎年、元気に枝を伸ばしては、わたしを悩ませていた欅であったが、こうして君は部屋にいる。

君は亡骸としてあり、どこかに連れ去られるのを待っている。

初めて君の大きさを知る。かつて自分がいた部屋でもあり、スケール感が身にしみているからこそであった。君はひとつの部屋を覆う存在であったか。

手の重さ、部分の記憶体 — サイ・トゥオンブリ

1週間近く、雨や曇りが続いていたけれども、金曜日になって夏の日射しが感じられるようになった。サイ・トゥオンブリー展(原美術館)をみる。原美術館へはいつも品川駅の高輪口から歩いていくのですが、駅前から美術館への道で喧噪する空間が日射しとともにほどけていくさまが感じられる。
原美術館は障害者手帳を出すと半額になるので、550円支払って中に。いつもここは変わらない。常設もいつものまま。宮島さんの赤く表示される数字たちも相変わらず時を刻んでいる。わたしはトゥオンブリーについてまとまった作品をみたことがないので態度を留保していた。

絵をみていくと、絵には始まりもなければ終わりもないということを教えてくれるように思えた。グレーのペンキにチョークのような線がリズミカルに動いている絵をみれば、始まりの線、終わりの線は常に画面の外にあって、紙のうえにあるのはその中途であった。絵画を目の前にしたときに広がる世界はそこで完結しているのではなくて、絵の外にある世界のことに目を向けさせてくれる。手の動きが感じられる、という感想はたぶん多いかもしれない。自分でまねて見るとわかるが、トゥオンブリーのように大きく手を動かすと手の動きというよりは、手の重力や手の存在そのものが身体に実感されてくる。骨と筋肉、神経によって支えられているわたしたちの手があるということだ。この絵画に視線を戻してみるとそういうものが一切省かれていて「手の動き」「運動」というものだけが残っている。

Bolsenaというイタリアのボルセーナで描かれた2枚の絵の前にたつ。この2枚は四角形の枠に数字がランダムに並んでいて、下に沈殿していくかのような構図になっている。この絵の前にたつと、部分と部分それ自体は意味をなさないということ。それらが視線や意識によって結び合わせられることによって、化学反応のようにイメージがでてくる。すなわち、脳裏にある記憶そのものが現出しているように思われたのだった。

窓の脇で

先生。まだ先生の背中は遠いよ。

手形付き・足形付き土製品(大石平遺跡 青森県立郷土館蔵)

惹かれるなあ。

手形付き・足形付き土製品 大石平遺跡 青森県立郷土館蔵
粘土に子供の手や足を押しつけて焼き上げています。中央の手形は2歳前後、左右は1歳ころの子供ものです。子供の成長を願ったお守りとする説などがあります。

source:特別展「北海道・北東北の縄文」展示解説-第4回

最後の手段《おにわ》

(画像は有坂亜由夢さんのタンブラーより

イメージの祖父。
祖父のイメージ。

老いた男性が棺桶らしいものに包まれる。これは宇宙人『じじい -おわりのはじまり-』の映像でつかわれたものだと思う。連さんがそのときに一瞬顔をのぞかせる。《おにわ》はこのようなところから始まる。死を考えざるをえない。
祖父は自分の棺桶 — 箱のなかで庭をつくる。
わたしの祖父も自分の庭をもっていた。
女性(おいたま)が祖父と出会う。

わたしは去年の11月、祖父を亡くした。そのときは台湾に滞在する準備で慌ただしいときで東海道線で母に「台湾にいるとき、祖父にもしものことがあったらどうしようかな」と冗談めかしたことをLINEで送ったら、しばらくして東京駅かそのあたりで母からLINEで返信がある。

「いま、おじいさんがなくなったよ」

とあった。振り返って車窓から外を見上げたら、雲一つない空が広がっていた。ああ、おじいさん・・・台湾にいるから気をつかってくれたのかなと思いながら、芸大まで吉田晋之介さん《午前3時3分の底 -ひも億-》を見に行った。おかげで彼の絵と祖父の命日はつながっている。

祖父の火葬のとき、祖父の頭蓋骨が焼け崩れることなく、そのままごろんと転がっていた。

「おにわ」の「まつげ男」(とわたしは呼んでいる)の口元はけっこうな美少年を思わせる。稲妻のような絵が壁に描かれたコンビニエンストア。超巨大な木造建築物をかけあがっていくまつげ男。ふわふわした犬。滝のようにあふれるコーヒー。箱につつまれていく女。祖父が手 にする湯のみのおにわ。引き抜かれる富士山。さわると砕け散るスマートフォン。女性は箱に包まれて鍾乳洞をおりていく。口紅をつけるおいたま(セクシー・・・)。古代において鏡の力は、そのものが映ることだったとされる。キラーンとした窓。積木の彩り。あいかわらず何かが常に飛んでいるのも最後の手段らしい。

「おにわ」については、製作中のレポートで有坂さんが語っているところがある。

・・・『おにわ』は影なんです。光に対しての影、つまり裏面といいますか。民話や神話の要素に加えて実写映像も入れて、よりディープな作品にしたいと思っています。

祖父のおにわの空が一気に開かれると同時に、祖父の精神も弾けていて、希望に包まれている。わたしが亡くなるときもこうであってほしい、できることなら。

祖父は母に「ともたけは?」ときいたという。
それが最後の言葉だった。わたしは祖父の頭蓋骨をみながら、動かない口から紡がれる言葉を見ていた。

イメージの祖父。
祖父のイメージ。

盲人の視覚

雪ふかみ たはめど折れぬ 呉竹の 色やゆるがぬ 御代とこそしれ

この歌は、小杉あさという近代の静岡において東海訓盲院において活躍した盲人の女性が明治34年に歌ったもの。足立洋一郎さんが去年、静岡の盲教育史を扱った『愛盲』を出版されたのですが、このなかで小杉が扱われている。広瀬浩二郎さんの語りと交差するところかもしれない。去年の年末に広瀬浩二郎さんと伊藤亜紗さんと対談したものが伊藤さんのウェブサイトにアップされている。

前編:http://asaito.com/research/2015/01/post_21.php
後編:http://asaito.com/research/2015/02/post_22.php

後編で広瀬さんがかつて目がみえていたときに色について述懐するところがある。また個人的に広瀬さんが全盲になったあと、彼の文章のなかに人の身振りについて書いているところが不思議だったので尋ねたのだけれども、盲人が「色」「身振り」について語るところが興味深い。小杉の歌をみると、呉竹の色や・・・とまるで竹に雪が積もっている情景が見えているかのよう。塙保己一の視覚について論じた論文もあるし、盲人の視覚というのも今後のテーマになるだろう。

後日談になるけれども、わたしがギョッとして何も言えなかったところがあって。

広瀬 こちらこそ、楽しかったです。これだけ盲とろうの人がじっくり話しているのは貴重だと思いますよ。

広瀬さんはわたしの横にいるのに盲人と聾者はお互いの姿を認識できないくらい、あまりにも離れてしまっている。近代から今日までの時間の重みがずしりとのしかかってきたのであった。

台湾歴史博物館の常設展示

台湾歴史博物館の常設展示。特徴的なのは、ジオラマが多いことであろうか。説明というよりも体験的な内容。そのジオラマにおいて観覧者とのあいだに仕切りや高さのコントロールを最小限におさえていて、空間として一体性が強いように思われる。鹿港のジオラマや植民地時代の日本人のイメージ、原住民に銃をかまえる日本軍。台湾人の出征など。

 

島嶼‧地動‧重生:921地震十五周年特展

去年12月、台湾歴史博物館で1999年9月21日の震災をテーマにした展覧会「島嶼‧地動‧重生:921地震十五周年特展」をみた。あの震災から15年が経過したことで、現在はどのようになったのか、当時の映像や救助状況、遺族の写真、建築の破壊状況を平衡感覚を狂わせるようなスライドとともに展示するという内容。被災された方々が現在どうしているのかというモノクロの写真群がもっとも記憶に刻まれる。

來自四方:近代臺灣移民的故事特展

去年12月、台南の国立台湾歴史博物館で移民をテーマにした「來自四方:近代臺灣移民的故事特展」という、近代から現代台湾における移民についてフォーカスをあてた展覧会の写真です。撮影自由でした。
渡航証や戸籍などプライベート性が高い史料が多く使われている。日本ではなかなか難しいテーマ。

冒頭の女の子の写真。史料をよむと、おさげの少女が廈門から台湾の新竹に向かおうとする史料。親に会うために。船で台湾に向かう少女と、ガラスに映り込んだカメラを構えるわたしの姿が交錯している。

2014年の展評

年の瀬となりました。2014年に見た展覧会のなかで、心に残ったものをいくつか選んでみます。

1、内藤廣 「アタマの現場」(ギャラリー間)
内藤さんの建築に関する回顧展。建築の展覧会では、模型をすっきりみせたり、動線に配慮した展示をみせるのに対し、内藤さんはスチールラックに所狭しと並べる。あるいは壁に直接はりつけるようにしている。これは、博物館における古代生物の展示ブースのようで、氏の仕事の蓄積とともに数百年後、氏の建築が紹介されるときの状況を思い起こさせるものであった。

2、八幡亜樹「パランプセスト―重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き Vol.7」(gallery αM)
もっとも新鮮な衝撃を受けた個展だった。ギャラリーに入ると目の前にAdobeプレミアの古いヴァージョンで編集している画面で全体構図を示しつつ、そこから映像を飛ばす。まるで記憶を飛ばすように。鑑賞者は各部分の映像を繋ぎ合わせ、冒険しながらひとつの「記憶」を八幡さんと共有しているかのような身振りをとっている。

3、「日本国宝展」(東京国立博物館)
これまで国宝展は何度か開催されているが、今年は「愛国心」が話題になったためか、美術と政治について考えさせられた展覧会。
「国宝」「重要文化財」の認定基準として、年代やそのものがもつ背景が明らかであるという明瞭性がある。これらを辿ることでたしかに日本の歴史そのものを追認できるが、おのれの背後に存在する、いつのまにか刷り込まれた歴史観、幾多の過ぎ去ったものたちを回顧するものだった。 Continue Reading →

新宿三丁目の天丼屋にて

夜の8時過ぎ、新宿三丁目の天丼屋にて。客は誰もいない。おじいさんが一人で切り盛りしているようだ。仕込みをしていた。

「天丼ください」というとテキパキと準備をはじめる。古びた感じ、テレビもブラウン管。テレビを見ながら、何年やっていますか?と筆談で尋ねると「52年です。昭和38年9月5日に開店、わたしは26歳のとき。いまは78歳になります。」と丁寧な答え。

思わず、「どうして長く続けられるの?」とたたみかけると。 Continue Reading →

繋がらない男女 — 齋藤陽道×百瀬文

2014年9月13日、ギャラリーハシモトで齋藤×百瀬のイベントにて。何を行うのかは事前に告知されず、それゆえに見てみたかったのだけれど。

本来、この企画は19時に開場するとアナウンスされていたが、一日前になってギャラリーからメールで19時半から開場するということが伝えられた。こんな文面である。

各位

お世話になっております。
この度は「ことづけが見えない」関連イベントにご予約いただきありがとうござ
います。

明日のイベント開始時間ですが、準備の都合上
19:30~となりましたので、ご了承くださいませ。
イベント自体は、1時間程を予定しております。
受付は、10分前より開始いたします。

お席のご案内は、先着順とさせていただきますので
立ち見の可能性がありますこと、ご了承くださいませ。

狭いスペースの為、ご不便おかけすることもあるかと思いますが
どうぞ楽しみにいらしてくださいませ。お待ちしております。

ああ、そうなの、とその時は思っていた。 Continue Reading →

二人から撮られる — 齋藤陽道と百瀬文

齋藤陽道。
百瀬文。

二人はわたしのなかでは、別の繋がりにいた。齋藤くんとは青山で会ってそのままマックに流れ込んだときの付き合い、百瀬さんとは彼女の個展をきっかけに。その二人が、東日本橋のギャラリーハシモトで展覧会をされている(27日まで)。わたしにとっては交差点のような風景が感じられる。そう、鋏の支点のような出来事だった。
二人の人生はここで交錯して、そしてまた離れてゆくのだろう。交錯したことを祝いたい。

Continue Reading →

俺式札幌国際芸術祭での食事

7月21日から26日まで札幌に滞在していました。
ちょうど、札幌国際芸術祭(SAIF)が開催されているときです。といっても、仕事がメインでSAIFをみるために訪問したのではありませんでした。なので、展示をみたのは21、25の夜、26日だけでした。ここでは、SAIFをご覧になる方にむけ、情報を記しておきます。 Continue Reading →

小田原駅の鉄橋で

下りで小田原駅に向かうとき、駅の直前の鉄橋で止まってしまったので写真をとる。鉄の重なり。一番上のまんなかの写真は重力感がいくぶんか消えている。

クリスチャン・マークレー「電話」(1995)

わたしにとって、電話にまつわるもっとも古い思い出は、母の述懐による。母によれば、電話をしていたときに幼いわたしが「だれ?」と声を出して尋ねたらしい。この何気ない質問は、母にとって強烈な記憶になっているらしく、思わず泣いてしまったという。
もちろん、わたしはこのことを覚えていない。

ただ、電話というメディアは相手の姿がみえず、補聴器を介しても声の内容をつかむこともできないという意味で、わたしにとってはもっともメディアらしくないメディアだった。今も基本的に変わらず、どなたかと遠距離でやりとりをするときは「すみません、わたしは電話ができないんです」と断っている。

さて、クリスチャン・マークレーのこの作品はいろんな映画の電話をするシーンを切り取って、編集している。あとからやってきたものの特権でいえば、あの有名な「ザ・クロック」が見え隠れしている。

これをみていると、電話を「かける」「探す」「とる」「おろす」といった身振りがあって、単に会話をするためのメディアじゃないんだなと感じる。この編集も巧妙で、最初は「かける」身振りになっているが、終盤になると電話を終える形になっている。ラストはふっつりと切れた電話、もう届かない声のむなしさ。

電話は不思議な装置だ。福田裕大さんが最近刊行されたシャルル・クロ論でも示されているように、電話という機械は聾者の影がつきまとっているにもかかわらず、わたしはその電話そのものにふれることができない。これをつかって、コミュニケーションをしているひとたちは頭に何を思い描いているのだろうか。それはわたしの想像をはるかに超えている。

唇を読むことを依頼する恐ろしさ ― アンリ・サラ

東京国立近代美術館「映画をめぐる美術 ― マルセル・ブロータースから始める」をみる。真っ黒なカーテンが通路を覆うのは、デヴィッド・リンチ「ツイン・ピークス」を思わせる。その先には光があって、何かが動いている。ムービーや写真である。

今日はこのうち1つ、アンリ・サラ《インテルヴィスタ》をとりあげる。この作品は、サラの母が政治的な活動をしていたときのヴィデオフィルムを発見し、母にみせる。それには母へのインタビューもあるのだが、音声がなく、何を言っているのかわからない。母は自分が何を言っているのか知りたいという。そこで、サラはインタビュアーやカメラマンに会い、母のインタビューの背景にあるものを探っていく。 Continue Reading →

真実ほどまやかしのものがあるかしら? ― 武田陽介「Stay Gold」

武田陽介「Stay Gold」へ。
そもそもといえば、わたしがFacebookで武田陽介さんを武田雄介さんと勘違いしてしまったのが出会い。あのときはほんとうに武田さんに失礼なことをしてしまった。

ギャラリーに入ってすぐ、一番奥にきらめいている木漏れ日のような写真がみえる。脇には、街、天体、白熊の写真・・・。スタッフたちがパソコンを操作しているところを通り過ぎながら、これは夢か、現実だろうか。わたしは今まさに、何を認識しているのか。どこにいるのかと無意識に考えながら見ていく。日本語では「写真を見る」などと眼を使った動詞で表現してしまうけれども、武田さんの写真はその動詞がまったくふさわしくなかった。そうではなくて、武田さんが捉えた時間は、わたしの網膜にスティグマとして焼き付けていた。わたしは現実にいる。知覚上でも写真をみつめて、眼をサッと閉じると網膜に武田さんの光や残像が焼き付けられる。ゆっくり眼を開くと、その風景がみえて、でも、フレームがみえはじめるとそこはタカイシイ・ギャラリーであった(ちなみにエレベーターに乗るとき小山登美夫さんと居合わせた)。
あたりまえのことだよね。でも、そんなこと、他の写真で考えたことがなかった。米田知子さんのように、作家のメガネを通じて原稿を撮影している写真で、その光景のように思えてしまうことはあるけれど、でもそれは写真をみている主体(わたし)がいてこそ。武田さんの写真はそれが感じられない。気付けば、その現実そのものになっているように思えた。
写真と自分を仕切っているはずのガラス、あまり反射しない素材だったのだろうか。わたし、ベーコンがいうようにガラスのなかに自分を映して作品と同化するように遊んでいることがあるのだけど、武田さんの写真はまったくそういうことを思いつかさせてくれなかった。不思議だな。ロバート・ブラウニングが詩でうたった言葉が出てくる。

「真実ほどまやかしのものがあるかしら?」

思わず、カタログを求めてしまう。新井卓さん、横谷宣さんのように、入手が難しい材料があるという写真の現状に対して、かつての技法を研究しながら作品を作る人たちがいる。かれらの存在をかんがえると、武田さんはデジタル写真の技法をどのように捉えているのだろうか。そういう展覧会だった。

光と資料が混じるとき

meiji_NP

思い出すこと。

図書館で資料として明治の新聞を読んでいたら、不意に光が入ってきた。そのとき、新聞に夕陽がかかる。

明治の新聞に対しては、資料という視点をもっている。情報としての資料でしかない。それをみようとすると、所蔵館からはマイクロリールで見るように指定されることがほとんどである。というのも、薄い紙でとても破けやすく保存状態が良くないことが多いから。そうだよな、と思いながらマイクロリールの電球の光で新聞を読むことがほとんどである。原紙=オリジナルを見る機会といえば、大抵は美術館や博物館で資料として出品されるときであるが、ガラス張りのケースに囲まれていて触ることは叶わない。

Continue Reading →

口のなかにきらめく光

からりとした天気の土曜日なのに、朝から明治の史料を読み、図書館に出かけて史料を複写して、ノートを取って・・・「んー」と悩んで。図書館が閉まると同時にそのまま横浜美術館の百瀬文展の初日へ向かう。

新作《The Recording》は、展示室に入った瞬間、ああ!と声を出しそうになる構成になっていた。最後のところで百瀬さんの口ぶりから、新井卓さんの写真がグワッときた。百瀬さんがある単語を呟いたとき、その口の奥に・・・新井さんによって写真の技法を再解釈されることによるあたらしい写真が、豆電球に反射したかのようにキラッときらめいた。
もうひとつの新作は・・・これはタイトルを書かないほうがいいだろう。あることに集中している女性の姿からプラトンとフロイトのエロスを両存させたようなことを思った。意外だな、この女性をみて、そんなことを考えるような人だったのだろうか、わたしは。

オープニングパーティでは、横浜美術館の柏木さんにお会いした。わたしは学生のとき、柏木さんの近代美術史を受けていて、レポートも出した。そのレポートを返却されたときに柏木さんが赤ペンであることを指摘されていて、すごく笑ったことがあって。その話をした、懐かしい。
ほか、学芸員の庄司さんと初対面。ほか、宮下さん、天重くんなどと久しぶりに会う。袴田先生もいらしていたが、人に囲まれていて、声をおかけするタイミングを失う。最近、人と会話らしい会話をしていなかったので、よいリフレッシュとなりました。

さて、21日の上映会は行くつもりでいる、緊張と楽しみが半々と。

うまく動けない ― 今井俊介展(資生堂ギャラリー)

今井さんはインタビューでこんなことを言っていた。

たまたま知り合いの女の子が穿いているチェックのスカートが目に入った。チェックの模様がフワ~っと波打っていて「ああ綺麗だな……」と思ったんですよ。こ んなに綺麗な色と形があるんだから、自分で考えなくてもいいな、この模様をそのまま描いちゃえばいいや、と閃いたんです。

波打つスカート?なんというエロティックな・・・。そういう今井さんの作品を、資生堂ギャラリーにて見る。まず、驚いたのは蛍光灯を使っていたこと。スポットライトは使っていないようにみえた。あまり影をつくらない蛍光灯の面的な光によって、はじめて、資生堂ギャラリーの展示空間を認識できたような気もした。

階段を下りきって、今井さんの絵の前に立つ。メリハリの効いたストライプの旗をいろんな角度からみたようすを描いたものだという。
色彩が限定されているようにみえるのは、その旗をそもそも対象にしているからだけれども、不思議なものだよなあ・・・。その場からうまく動くことができない。手をひろげても包まれるぐらいのたっぷりとしたサイズ。側面からキャンバス地をみると、ピンと張っている。キャンバスがどうも張りすぎていると思ってきいてみると、木枠ではなくてパネルにキャンバスを張っているのだという。先ほどの面的な蛍光灯のライティングとも相まって、絵そのものが影をどこかに追いやっているようにも見えた。これほど影が感じられないのに、どこかに空間の裂け目がみえるのは、たぶんに、わたしが子供のときからみてきた紙芝居やテレビであったり、平面的なイメージのなかに、空間を創りだしてきたからだろう、頭のなかで。あるいは、何かが起きそうな期待。
そして、アクリルの明るいというよりはあまりにも強い色。目を動かすたびに、色が残像となって壁に、絵の他の地に浸食していく。だからなのか、わたしは動けなかったのかもしれない。
じっと息をひそめるように、自分の体を止めようとおもうが、でも止めることはできない。

(画像はCinra.netのインタビューより引用しました、問題があれば対応します)

あの作曲家について

佐村河内。名前を書くだけでも抵抗がある。

いまのテーマに「耳が聞こえない、いや、聞こえる」という議論があるけど、まるで近代日本でしばしばみられた、聾者のふりをしてお恵みをもらう犯罪を重ねてきた男とそれを看破しようとする盲唖学校の先生のエピソードを思わせる。

どちらにせよ、「耳が聞こえない」身体であることを告白し、しかも障害者という色眼鏡でみられるからこの告白はしたくなかったともいう。楽器もなく、ただ瞑 想するかのように作曲を行ったようにみせている。「闇から光をみつける」というような、聞こえないことは乗り越えるものであると設定のもとになされたプロモーション、ドラマティックなバラエティ番組・・・。
頭がクラクラした。

そして、このニュース。弁護士があの作曲家について質問を受けているシーン(0:30あたり)で、こんなやりとりがある。

140207-0003

Q:ゴーストライターをしていた新垣 隆氏の会見を聞いた?
A:ご本人は聞いていません。あ、聞けるわけないんですが。

確かに聾者だったら声を聞くことはできないだろう。しかし、それを口にし、女性とともに苦笑いともとれるような笑いをした瞬間、とてもゾッとした。

聞けるわけがない言葉をきいてしまった自分自身に。
字幕によって、わたしはあの弁護士の言葉を自分のなかに取り込むことができる。わたしはこれを聞く、と比喩することがある。それで、あの「(聾者だから)聞けるわけがない」という声が混じっていたのを聞いた瞬間に、わたしは聞こえないのに聞いているという自己矛盾を引き起こしてしまって、ゾッとした。

おぞましい笑い方だと思う。

今年の桜

kido

keyword:ハギワラプロジェクツ/城戸保

 

一瞬のグラデーション

20131027

keyword:グラデーション/樹/街路/信号/秋

ミケランジェロ「階段の聖母」における聖母の身振り

国立西洋美術館でミケランジェロ展がスタートしました。今年、わたしがもっとも楽しみにしていた展覧会のひとつです。この展覧会においては、階段の聖母(カーサ・ブオナロティ)が目玉とされています。

Continue Reading →

宮崎駿「風立ちぬ」の感想

宮崎駿「風立ちぬ」の日本語字幕版が公開されたので見てきました。場所は横浜ブルク13、シアター5。席はI-11。真正面にスクリーンがあって、見やすい席。

見終わったあと、二郎と菜穂子はずるいなと思った。

ポール・ヴィリリオはこう書いていたのを思い出す。

「見るのではなく飛行する、それが映画だ」 Continue Reading →

マストの帆のようにはためく絵 ― 三瀬夏之介展

夏の薫風のままに。

平塚市美術館の日本の絵 三瀬夏之介展へ。三瀬夏之介さんのサイトもある。入口に芳名帳が置かれてあり、日本美術史・辻惟雄さんのお名前があったのをみた瞬間、入口にかけられている作品が一気に、何百年も時を過ぎた作品だと錯覚した。それは近世を中心に活躍された辻さんが、わたしと三瀬さんの作品を遠くに連れていくようだったから。

展覧会のフライヤーは完成作や目玉を掲載しそうなものなのに、この展覧会では製作中の写真を掲載していて、人の大きさとの対比や無機質な足場が爆発しているかのような絵の前にそびえている。なぜそう思ったのか自分でもわからないのだけど、あの終わりの見えない福島原発とそれを覆っている構造体と重なっているようだ(ちなみにこれは本展での写真ではなく、青森公立国際芸術センター青森で撮影されたもの)。

一体何人ぐらい訪れるのだろうとおもい、スタッフに尋ねると、一日に500人ぐらいみえるという。盛況ではなかろうか。 Continue Reading →

百瀬文「ホームビデオ」

気のままに。

明治から平成に戻って(古い史料を読み終えて)、百瀬文「ホームビデオ」に。
ギャラリーの前にはガラスの引き戸になっていて、それをあけるとカーテンがかかっている。中から音はなにもしない。左手でそれをあけると薄暗いバーのような空間におばあさんが話している映像が目に入る。

“The interview about grand mothers”  彼女の二人の祖母が彼女のインタビューを受けている映像。奥に目をやると人に囲まれている彼女がみえたので手をふって挨拶をする。

わたしはすぐこの映像に入って行く。活発そうな祖母はソファに座っていて背後には陽光がさしていて、その微妙なボケ具合に彼女らしさがあった。そう、わたしをとった二回目のデモシーンにどことなく似ている。わたしの背後の壁がうっすらと遠くなっていて。そんなことを思いながら、ふたりの会話をみる。
祖母は・・・どちらが父方の祖母か、母方の祖母か。二人が二人で語っている。そうだよね、楽器であれ、肉体であれ、音は必ず「機構」があるんだよね。声の主体が。そして、この作品はどちらもご存命でなければできないような同時性がさしこまれている。もし、隣に百瀬さんがいたら、「川村さんに何を言ったの?」ときいたかも。
でもまあ、単に素朴な気持ちでみているとこのふたりはまったく違うね。わりと派手目の化粧に服装、活発そうな祖母と控えめで物静かそうな祖母・・・。
(これは字幕がないが、テキストが用意されているので聾者はそれを見てもらいたい)

その祖母たちの斜め向かいには「定点観測(父の場合)」。物静かそうな、でもときどき激しい内面も見せそうな男性の後ろ姿。173項目だったか、彼女が構成した質問用紙に記入して、その答えだけを発声している。それに伴って字幕が表出される。マシンガンのように。これをみていて思ったのだが、わたしはメルロ=ポンティが指摘する、視覚の分離性と聴覚の統合性を実感することはできないじゃない。要するに、視覚を獲得するには目を動かして風景を認識する必要があるのに、聴覚は音から身体に向かってくるという話よね。音が向かってくるのを物理の授業で知っていても、実感することはできない。
でも、あの字幕をみると、これはわたしにとって視覚だろうか?聴覚だろうか? それに音は、そう、消えるものだよね。いつまでもそこにはいない。あの字幕は、徐々にフェードアウトするエフェクトではなくて、瞬殺。次の瞬間には無かったことになっていて、よけいその気持ちを強くさせた。打ち上げ花火のように、ぱあって上がって余韻を残すものではなくて、花火がひろがったと思えば、もうそこにはいない。
最後のエンドロールをみて、ハッとしたんだけど。父の場合、とあるけど、社会的なこととしての父の存在が・・・。そのことを彼女に問おうとしたが、あいにく彼女はたくさんの人たちと会話しているところであった。
一番奥には彼女しか登場しない映像。これはあまり詳しく書かないほうがいいだろう。彼女が寝ていて。途中で無関係のような、意味ありげなシーンが差し込まれるのは、あの赤いマニキュアのシーンのような。そこでフッとなぜか笑ってしまった。そうそう、宮下さんにあの映像でやっていることは気持ちいいと思うというと否定されたけど。

彼女に軽く挨拶をしてから雨にぬれる国分寺をあとにする。
中央線のなかで、ふうっ、と安堵している自分がいた。

それは、今回の個展にわたしをとった映像が出ていないことによる解放感だったのかもしれない。

2013年 6月 21日(金) 23時49分48秒
癸巳の年 水無月 二十一日 戊午の日
子の刻 二つ

 

大内青巒が理想とする死に方

20130608_hara01 20130608_hara02

keyword:大内青巒/原坦山/ジェリコー

2013年 6月 08日(土) 22時45分56秒
癸巳の年 水無月 八日 乙巳の日
亥の刻 四つ

この令嬢たちはどなた?

史料を読んでいたらたまたまおもしろいものを見かけることがよくあります。その一例として、「商工世界太平洋」(9の2、明治43年)にはこんな懸賞が掲載されています。大きな画像はこちら。

明治期日本における著名人物の写真が上にあり、下に女性の写真があります。この女性たちはどの方の令嬢かをあてよ、というものです。例えば、高橋是清の令嬢はどれか、ということを問うている。
一等は賞金としてなんと10円を得られるといいます。

わかるでしょうか?ちなみにわたしはひとりもわかりませんでした・・・。

2013年 6月 05日(水) 21時51分08秒
癸巳の年 水無月 五日 壬寅の日
亥の刻 二つ

小鉢の破片

kakera

久しぶりの休日。部屋を整理し、夏に向けて大掃除をしていたら、なにか硬いものが落ちていた。手にすると、床に落として割ってしまった小鉢の破片だった。
そうだった、冬に小鉢を落としたんだったなと思い出す。と同時に、歴史の不確実性を見た気がした。たとえば、美術史や考古学において、すでに失われてしまった何かの破片を対象に研究をして、全体イメージを構想したり、その模様から年代を推定するなど、いろんなアプローチがある。

それで、わたしが使っていたこの小鉢を知らない人はこの破片からは小鉢の全体を伺うことはできないが、わたしはこの破片から元の小鉢の形を脳裏で再現することができる。さらにこれは小鉢のどの部分なのかを指摘することもできるだろう。いうならば、それは歴史において、わたしという主体と他人という客体において、この立場がいかに相容れない存在であるか(ほんとうに客体という存在がありうるかはともかくとしても)。
たったひとつの破片。小鉢の一部分。この存在の全てでさえ、他の人に伝えることはできないことをあらためて思うと、その裂け目をこの破片の先に見てしまったようだ。

2013年 5月 26日(日) 23時27分04秒
癸巳の年 皐月 二十六日 壬辰の日
子の刻 一つ

昔、好きだった君へ

20130430

2013年 4月 30日(火) 23時18分47秒
癸巳の年 卯月 三十日 丙寅の日
子の刻 一つ

絵画と街とわたしの切れ目 — 今井俊介

imaishunsuke01 imaishunsuke02

keyword:HAGIWARA PROJECTS/今井俊介/初台

2013年 4月 28日(日) 20時23分12秒
癸巳の年 卯月 二十八日 甲子の日
戌の刻 三つ

【お知らせ】百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」

百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」が上映されます。スクリーンで上映され、環境は良いと考えています。どうぞよろしくお願い致します。

平成24年度 武蔵野美術大学 造形学部卒業制作・大学院修了制作 優秀作品展

会期:2013年4月3日(水)~4月25日(木)
休館日:日曜日
時間:10:00~18:00(土曜日は17:00閉館)
入館料:無料
会場:武蔵野美術大学美術館 展示室3
アクセス:〒187-8505 東京都小平市小川町1-736
交通についてこちらを参照してください。

※当作品は、上映時間約 25 分の映像です。
※上映開始時間は、毎時間【:00】【:30】からになります。作品の構成上、途中入場が出来ませんのでご了承ください。

スチールはこちらをどうぞ。

瞽女とざらつき

20130403goze

keyword:橋本照嵩/瞽女

2013年 4月 03日(水) 22時41分23秒
癸巳の年 卯月 三日 己亥の日
亥の刻 四つ

「盲」と接続する(ソフィ・カル展)

原美術館で開催されているソフィ・カル展をみにいく。
彼女の盲人を撮影した写真というのは、わたしにとっては京都盲唖院のすでに忘れ去られた人たちのような存在をあらためて召還しているようにも思えた。障害者の記録として、というよりも、目が見えないという盲の身体が織りなす物語が明治から平成に連続しているということなのだと思う。

th_calle1 Continue Reading →