今年のクリスマス・プレゼントはこれでした。
2017年の2月、朝日新聞に興味深い記事が紹介された。それは、明治初期、福島県の石川郡(白河市の東側)にて聾唖教育に取り組んだというものである。それを行ったのが1873(明治6)年頃に小高小(現在の玉川立玉川一小)の教員となった岩谷巌(1849-1916)である。当時の記事によれば、石陽史学会の有賀究さん(正しくは「究」の九が丸となる)が日記を翻刻し、刊行を目指しているということだった。
あれから2年が経過し、その日記はどうなったのだろうかと思っていたが、すでに石陽史学会によって『石川史談』26・27号(2018)に日記が全文翻刻されていたことを知った。さっそく問い合わせてみると上製本もあるとのことで1部譲っていただいた。ブルーのシンプルな装丁。内容はすでに把握していたが、あらためて読んでみると、たしかに聾唖教育に関与しており、非常に興味深い。
その岩谷の試みは周囲に波及しなかった理由の考察も大事だが、それ以上に彼が聾唖教育にトライしたことの方が重要で、京都盲唖院の古河太四郎のそれと比較検討する必要があるだろう。もうひとつ比較検討すべきなのは、楽善会であろう。すでに1876(明治9)年から翌年にかけて楽善会が盲教育を行うための寄付を求める動きをしており、福島でもそれに呼応する動きがあったからだ。この連動性とも注意すべきだろう。
この機会に石陽史学会の『石川史談』を読んでみたが、郷土史家らしい皆さんの研究活動が旺盛ですばらしい。歴史は足で考える、というのはヒストリアンの誰かの言葉だったか、もう忘れてしまったが、その地域を歩き回ってその時代を検討していく地域での取り組みが、日本の歴史学を支える基盤である。
石陽史学会の皆さんの今後のご活躍を願ってやまない。ありがとうございました!