日銀総裁を務めた、三島弥太郎(1867-1919)は三島通庸の長男にあたる。
弥太郎は1893年に大山巌の娘、大山信子(1877-1896)と結婚している。信子は16歳。
だが信子が結核にかかり、1895年に離婚している。短い結婚生活だ。そして信子は19歳で亡くなっているという。信子は徳富蘆花『不如帰』のヒロインらしい。
弥太郎はそのあと、再婚しているのだけれど、弥太郎と信子にはもうひとつの物語が『三島通庸と高橋由一 ― 西那須野開拓百年記念事業』に書かれている。それは、三島通庸の孫、通陽の夫人・三島純子の回想。
三島純子によると、弥太郎が亡くなったあと、ポケットにいつも入れていたという革の帳面にお守りや名刺が入っていたという。そのなかになんと大山信子の写真があったという。そのとき、みんなでずっと好きだったんだねって話を交わしたと書かれてあった。
このエピソードを読んだ時、ジーンとしちゃって・・・。
ほんとに好きだったんかなって思えるエピソード。
ぼくもそうありたいけれど、どうしたらいいのかわからない。
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