2月23日。ロシアがウクライナに侵攻しようとしており、緊張感が高まっている。電光石火でしかも全面的に攻撃を仕掛けるようだ。予想されたことではあるが、戦争は終えるのが難しい。Along the Waysideで確認すべきところがあったので文献を読み、事実関係を考える。ほか、シュワー・シュワー・アワーズで必要な資料を収集。夜はスキャンしたものを整理した。ところで、図書館からの帰り道、Suicaの定期を拾った。名前にはフルカワとあり、年齢と学割のマークがあることから高校生のようだった。ちょうど古河太四郎(京都盲唖院の初代院長)が映る写真を買ったばかりなので軽く驚きつつも交番に届ける。奥から髪の乱れた巡査が出てくる。お疲れのようすだった。落とし主から謝礼は必要か、などと聞かれるが要らないと答えて出る。
2月22日。わたしの誕生日。だからというわけではないが、昨日スーパーで買い物をしていてひき肉がセール中だったのを買い求めてあったのでハンバーグにする。最近気に入っているレシピがリュウジさんのハンバーグで、ゼラチンを入れるというもの。これを厚めにして蒸し焼きにするのだが、ぎゅっと旨味が詰まっていて本当に美味しい。あわせて買っておいたキャベツの千切りを添えていただく。ひき肉、たまねぎ、卵、パン粉でつくられたものにハンバーグという名詞が与えられている。名詞というのはひとつの認識体なのだと思う。わたしと何かを区切るための。
Along the Waysideの10回目について原稿を整えたが、確認したいところが出てきたので図書館に行く必要が出てきた。WorkFlowyで閲覧すべき本をメモする。
2月20日。今日の予定はオンライン・ミーティングひとつだけで今後のプランについて突っ込んだ話をする。ほか、京都新聞で連載しているAlong the Waysideの原稿の準備をはじめたほか、収集してあった史料をあらためて読む。
前に写真美術館でみた、潘逸舟 《トウモロコシ畑を編む》にかんするインタビューがよい。引用する。
2月7日。朝の気温があがっていて、気持ちよく起きられる。朝はいつも弁当を作りながら朝食を食べているという「〜ながら」。しかもこのときにスマホに入れている今日の予定も確認している。そういうわけでこの日は本年度の講義を終えたけれど、採点も待っている。もう少しというところだ。最近の授業で、1902年に出版されたヘレン・ケラーの自伝”The Story of My Life”について話したのだけど、これはタイトル通りの自伝ではなく、当事者が語られる/語ることによって視線が交わされるという構造になっているのが最大の特徴だと思う。というのも、目次構成が以下のようになっているのだが、ヘレンの自伝に該当するのは「I. THE STORY OF MY LIFE」だけでそれ以降はヘレンと関係者の往復書簡やヘレンの教育について書かれているからだ。
I. THE STORY OF MY LIFE
II. LETTERS(1887-1901)
III: A SUPPLEMENTARY ACCOUNT OF HELEN KELLER’S LIFE AND EDUCATION
CHAPTER I. The Writing of the Book
CHAPTER II. PERSONALITY
CHAPTER III. EDUCATION
CHAPTER IV. SPEECH
CHAPTER V. LITERARY STYLE
1月23日。授業の準備で、文献を読みながら色々と教えたいことがあって、その量と質をどうバランスをとるかを考える。ひととおりできたあとに、冷蔵庫の野菜室に入れてあったチョコクロワッサンをオーブンで温めようと取り出した。これはTHE CITY BAKERYのもので最近クロワッサン。クロワッサンは生地をバターとともに折り込んで焼くのでパリパリサクサクした食感がある。それで、手にしたそれは重力感があって、噛みしめた時に歯のなかで砕け散る感覚がやってくる。それは音楽ともいえるもので、クロワッサンの世界にカタルシスが起きているともいえる。『メトロポリス』の都市が崩壊していくように、『ドラキュラ』が日光を浴びて灰となるように、クロワッサンは砕け散るのを運命づけられている。その跡には、皿に落葉のように生地が散らばっていて、それをつまんで口に運んだ。
1月20日。起床してすぐにパンにコーヒー。今日はパンが硬くならずにすんだ。豆を挽いてコーヒーを淹れるとき、前髪がパラリと垂れる。だいぶ前髪が長くなり、前髪が口に届きそうな長さになっていることに気づき始めている。切るか伸ばすかの分かれ道にきているところだ。Along the Waysideの原稿がゲラになって戻ってきたので、朱を入れてすぐに戻す。校正は1度で集中も入る。途中、ニュースを見る新型コロナウイルスのオミクロン株の感染拡大がうなぎのぼりになっていて、キャスターが紹介する日本列島を模した地図のほとんどがオレンジ色になっており、各地で日あたりの感染者数の最多を更新したことを伝えていた。数字を示すキャスターの表情がどこか淡々としているのは、コロナが日常になったことにほかならないだろう。twitterで小川公代さんと少しやりとりをしてとても示唆になるコメントをいただいた、この瞬間がすごく楽しい。SNSの最大の功績は、面識のない人とやりとりができるようになった点にある。お互いがお互いのアカウントで、ひとつの空間(ポスト)で会話を繋げられて、周りもそれを見ていることができるものはこれまで無かった。しかも、会話に参加せずとも他人同士の会話を見ていることもできるところもこれまでわたしの経験の希薄なところだ。
昨日、図書館で取得した文献を読んでいく。春に進めたいと思っている調査のための予備調査として、関連する文献を集めているのだった。ルーズリーフの紙を束からすっとつまみ出し、文献から目に留まったことや疑問点を書いていく。ここ数年そういうことを繰り返して、圧搾されたものが論文になっている。ほか、論文の構成を考えた。すんなりとまとまった気がする。これが今日の一番の成果だ。明日から細部を詰めていく。
1月19日。週末の土曜日に掲載予定のAlong the Waysideの原稿を書いた。書いているときは手が止まるまではノンストップということもあり、つい朝食を食べ忘れてしまい、気づいたときにはパンが硬くなってしまっていたので皿にのせて直す。この連載は日出新聞という明治の京都でもっとも発行部数の多かった新聞紙を素材に京都について書くというものだ。これまでは記事からみえることを書いていたが、今回は趣向を変えて現在の京都をテーマに設定する。せっかくだからいろいろと試してみよう。夕方、図書館に向かう電車のなかでうたた寝をする。一駅分なので数分ぐらいのはずだったが、ずっと寝ていたような気もする。図書館は平日でも混んでいるはずなのだが、今日は少なめで机がよく空いていた。机に座っている人たちは何やら資格取得のための勉強に励んでいるようだった。データベースにアクセスしたり、これから書くもののために確認しなければならない文献をリクエストしたり。いろいろと目を通して考える。よく歩き回った。夜、硬くなってしまったパンをカフェオレに浸して食べる。
1月16日。今週の疲れが出たのか8時間も寝てしまう。目覚めてコーヒーを淹れる。普段は豆から挽いているが、ホテルのためスーパーに売っているドリップパックコーヒーを開ける、なかなか美味しい。サラダとパンを食べ、荷物をフロントに預けたのち、バスに乗ろうと道に出る。この瞬間、自分がどこにいるのか自覚する。ホテルのなかではなく、街路に出たときに自覚するのは、ホテルが場所性を持っていないからだろうか。ここが京都である、ということを示すものが何もなく、匿名の感じがする。日曜日だからゆっくりしたいところであるが、京都新聞に掲載しているAlong the Waysideの原稿を書かないといけないので岡崎に向かう。下車してすぐに京セラ美術館で加納俊輔の個展と、コレクション展を見たのち、向かいの府立図書館にて明治期京都の代表的な新聞のマイクロリールをリクエストして、マイクロリーダーを回しながら確認していく(近くの京都国立近代美術館での上野リチ展は、金曜日の夜間開館のときに見ていた)。マイクロフィルムはフィルムをトイレットペーパーのように長く巻いていて、それを解くと撮影されている画像を見ることができるのだが、そのためにはマイクロリーダーが必要。これは手回しと機械で回すタイプがあって、ここにあるのは機械。ジョグを回せば高速でマイクロを回せるぶん、細かく動かすことができない。手回し式が自転車とすれば、これは車に乗っているような感覚に近いかもしれない。ジョグを回しながら、回るマイクロのスピード感を掴んで機械と身体をフィットさせる必要がある。周りは市民の方々であろう、のどかな姿勢で新聞を読んでいる人たちに囲まれながら、わたしはマイクロリーダーの画面越しに明治の京都を流れていた時間とともに過ごしていた。