ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスの『卒業』(1964)。いつだったろうか、まだ成人式を迎える前にみたことがあって。まだ見ていない人にとってはネタバレで申し訳ないけれども、教会に押し掛けて花嫁を連れ去ってしまうというのが当時はインパクトだった。好きとか一緒にいたいっていうのはこういうことなのかなあって思いながらこの映画をみていた。
でも、インパクトに残ったのは男が女をかっ攫うシーンじゃなくて、そのあと二人が乗り込んだ公共バスのなかで二人が見つめ合う、残り香のようなシーンだった。
それを5つのスクリーンショットで連続してみてみよう。
二人は微笑み合い・・・
正面を向いて・・・
男は何かを思い出したように笑みが消えて行く。
それを彼女がみて・・・
ふたりは眼差しを正面に向けている。
わたしはこのふたりは結婚式から逃げたという、きっと両家から許されないだろう行動をとったことから、これからの運命や生活といった現実に引き戻されているようにわたしには見えた。
そう、だから、人を好きになることは、好きという言葉を示したり、抱いたりすること、ときめくことだけではなく、その人との生活を思い描くことなのだなと未成年だったわたしは思っていた。このスクリーンショットが示しているように、ときめくということはまさに生活に花を添えるためにあるのかもしれない。
男女関係は「戦友」のような存在なのかもしれない。
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