わたしたちは曜日を「ようび」と読んでいますが、かつては「ようにち」と読むこともありました。日本において曜日を制定するのは明治九年のことですが、いつから「ようび」と読むようになったのでしょうか。この疑問に応えてくれる研究が、以下です。
松村明「明治初年における曜日の呼称」『近代語研究 第十集』507-529頁
松村明は『大辞林』をまとめた、著名な国語学者ですね。 さて、件の論文を読んでみましょう。
松村はまず、洋学資料に掲載されている曜日の呼称を調査し、どのように読まれているのか把握しようとします。 曜日という言い方そのものはいつが初出なのかについて、松村は断定を避けていますが、桂川中良『蛮語箋』(寛政十年)が古いものではないかとしています。しかし、これには振り仮名がなく、読み方がわかりません。 それで、松村は続けて調査を重ね、石橋政方『英語箋』(萬延二年)を調査し、これには日曜なら「ニチヤウ」と読むことを指摘します。この本は明治五年に改訂版が出るのですが、「日曜日」を「ニチヨウニチ」としています(この改訂版には下河部行輝『卜部氏の明治5年版の『改正増補英語箋』の改訂版について』があるもよう)。しかし、逆のことも判明します。それは、『和英語林集成』の再販が明治五年にでているのですが、これには「ニチヨウビ」と出ていることも言及されます。松村はこのように「ようび」「ようにち」がどのように出るのか資料分析を進め、いくつかのパターンにわけたのち、「ようび」という言い方が明治五年以降に増加することを見出します。
こうして、明治の十年代後半になると、「曜日」を「ようび」と読むことが一般的になるといいます。そして、明治二十年代になると「ようにち」という振り仮名が消え、すっかり「ようび」と読むようになると結論づけているのです。
話はかわりますが、この『近代語研究』はおもしろい論文がいくつもありますね。中世から現代、フィールドを異にする国語学者が集まって研究会をやっていたようです。
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