帰省中、家族で夕食を食べたときに母から聞いた話。
母が小学生のころ、父(わたしから見れば母方の祖父、故人)の実家に帰省したときの話で、場所は大分の宇佐。
たまたま母が家を出て外にいたとき、隣家から30歳と思わしき女性が出てきて、いきなり「あーあー」と言ったという。言葉を話すことができないことが明らかで「どうしたんだろう」と怪訝そうにしていると、父が「あの人は耳が聞こえないんだ」と教えてくれたという。その人は教育を受けた経験もなく、ただ家にいるだけだったという。それっきりその女の人には会っていないとのこと。
これは、母が初めて聾者という存在を知ったという話で、どうして今まで話してくれなかったのかなあと思っていたけれども、ふっと思い出したという。
これは母に限らず、京都盲唖院関係の調査をしているときにときどき聞く話ではだけれども、母がそういう聾者をみたというのは知らなかったな。
わたしはこの会ったこともない女の人やその家に行ってみたくなった。学校に行かせなかったのだろうか。
・・・・・・・
もし、わたしが明治に聾者として生まれていたら。
あの女性のように「あーあー」と言いながら、ほとんど無意味に近い人生を送るのだろうか。それとも京都盲唖院か東京盲唖学校に通学しただろうか。これは、どんな家に生まれるか、あるいは何らかの出会いによるものだろうか。
まあ、そんなことを考えること自体とりたてて意味のあることではないが、日本語をこうして読み書きしていること自体が不思議なことに感じられるような、そんな話だった。
2013年 1月 06日(日) 23時09分00秒
癸巳の年 睦月 六日 壬申の日
子の刻 一つ
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