小鉢の破片

kakera

久しぶりの休日。部屋を整理し、夏に向けて大掃除をしていたら、なにか硬いものが落ちていた。手にすると、床に落として割ってしまった小鉢の破片だった。
そうだった、冬に小鉢を落としたんだったなと思い出す。と同時に、歴史の不確実性を見た気がした。たとえば、美術史や考古学において、すでに失われてしまった何かの破片を対象に研究をして、全体イメージを構想したり、その模様から年代を推定するなど、いろんなアプローチがある。

それで、わたしが使っていたこの小鉢を知らない人はこの破片からは小鉢の全体を伺うことはできないが、わたしはこの破片から元の小鉢の形を脳裏で再現することができる。さらにこれは小鉢のどの部分なのかを指摘することもできるだろう。いうならば、それは歴史において、わたしという主体と他人という客体において、この立場がいかに相容れない存在であるか(ほんとうに客体という存在がありうるかはともかくとしても)。
たったひとつの破片。小鉢の一部分。この存在の全てでさえ、他の人に伝えることはできないことをあらためて思うと、その裂け目をこの破片の先に見てしまったようだ。

2013年 5月 26日(日) 23時27分04秒
癸巳の年 皐月 二十六日 壬辰の日
子の刻 一つ


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です