あの作曲家について

佐村河内。名前を書くだけでも抵抗がある。

いまのテーマに「耳が聞こえない、いや、聞こえる」という議論があるけど、まるで近代日本でしばしばみられた、聾者のふりをしてお恵みをもらう犯罪を重ねてきた男とそれを看破しようとする盲唖学校の先生のエピソードを思わせる。

どちらにせよ、「耳が聞こえない」身体であることを告白し、しかも障害者という色眼鏡でみられるからこの告白はしたくなかったともいう。楽器もなく、ただ瞑 想するかのように作曲を行ったようにみせている。「闇から光をみつける」というような、聞こえないことは乗り越えるものであると設定のもとになされたプロモーション、ドラマティックなバラエティ番組・・・。
頭がクラクラした。

そして、このニュース。弁護士があの作曲家について質問を受けているシーン(0:30あたり)で、こんなやりとりがある。

140207-0003

Q:ゴーストライターをしていた新垣 隆氏の会見を聞いた?
A:ご本人は聞いていません。あ、聞けるわけないんですが。

確かに聾者だったら声を聞くことはできないだろう。しかし、それを口にし、女性とともに苦笑いともとれるような笑いをした瞬間、とてもゾッとした。

聞けるわけがない言葉をきいてしまった自分自身に。
字幕によって、わたしはあの弁護士の言葉を自分のなかに取り込むことができる。わたしはこれを聞く、と比喩することがある。それで、あの「(聾者だから)聞けるわけがない」という声が混じっていたのを聞いた瞬間に、わたしは聞こえないのに聞いているという自己矛盾を引き起こしてしまって、ゾッとした。

おぞましい笑い方だと思う。


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