新居に越してもうすぐ一年になろうとしている。出窓からの風景を見ながらコーヒーを飲んだり、朝食をとるのが楽しいのがこの季節かもしれない。夏になると日差しが強いだろうから。写真は12月のものだが。
最近読んだもの。大阪の盲人が書いた文章で、子どものときに親に連れられて当時大阪盲唖院の院長だった古河太四郎を訪問したという短い回想を読んだ。それによれば、「ぼん、これが何かわかるか」とあるものに触れられたという。それは瓢箪で「瓢箪です」と答えると、おお、よくわかるな、と返されたことを覚えている、というもの。
古河のユーモラスな側面があった。そう思えるのは、わたしと古河が短い付き合いではなくなったということでもあるのだろう。
はじめて古河のことを知ったのは、わたしが講師をしていた手話サークルで教養講座をすることになり、手話の歴史を知りたいという声があがったことがきっかけ。ひとまず、障害児教育史の参考文献を調べ、古河のことを知った。あの時の感覚は、単に京都の一小学校の教師だった、手勢という方法で物と概念を教えようとした、という印象しかない。その継ぎ合わせの知識で手話サークルで説明をしたことを覚えているが、こんなの知識じゃない、絶対に。血にも肉にもならない。知識の本質は、その人が何をしたか、ではなくてその人が何を目指したかを見せてくれるものだから。それを見つけるには、古河の家族構成や学歴、職歴からみた生の体系に近づかなければならない。そうすることで知識は知識として、はじめて言葉としてこの体から語らせてくれる。わたし自身が語るのではなくて、わたしの体が語ってくれる。
古河の言葉がしてくる。
「ぼん、これが何かわかるか」
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