危口さん。久しぶり。
昨日、京都の家に帰宅したあとに危口さんが亡くなったことを知った。今日がお通夜で明日はお葬式とのことで荼毘にふされ、新たな世界に行かれるまえに書いておきたい。
わたしは危口さんと3年前に知り合い、ときおりお会いしては立ち話をする関係だっ た。危口さんの本名は木口で、わたしと同じく姓に「木」がついていることもあって、木の話題もときおりあった。とくにわたしが家の立ち退きをうけたとき、 小さな庭にあった梅の木が切られることの納得できなさを最初に相談したのは危口さんだった。あのときは移植先への道を示してくれたことに感謝しているけれど、迷惑もかけてしまった。ごめんなさい。
悪魔のしるし『わが父、ジャコメッティ』では危口さんがお父さんの横に立って、お父さんのプロフィールが書かれたボードを掲げて二人で頭を下げるシーンがある。そのとき 客席では笑っているひとがたくさんいたが、わたしはすこしも笑えなかった。なぜなら、葬儀のシーンにみえたからだった。
一般的に、葬儀の場では喪主が故人のことを紹介する時間が設けられている。『わが父、ジャコメッティ』では喪服を着ていないし、当の本人が横に立っている のだから葬儀のようには一見みえないけれど、危口さんに「お父さんのプロフィールを書いたボードを掲げるシーン、危口さんが喪主として父の葬儀をやっているよね。客席は笑っていたけど、わ たしはまったく笑えなかったよ。」と話すと、危口さんはニヤリと笑って「ご明察」と答えた。それなのに、明日はお父さんが危口さんの喪主を務めることになっている。
危口さん、そりゃあ無いよ。『わが父、ジャコメッティ』と逆じゃない?
去年の夏Kanzan Galleryでもお目にかかった。危口さんは手話ができないので、いつものように身ぶりに筆談をするのだけど、この日にかぎって筆談用のツールを忘れてしまっていた。危口さんは建築出身らしく(わたしもだけどね)、0.2か0.3の細いペンを常用していて字がかろやかだった。
筆談をするときにたまたまわたしが自分のペンを持っていなかったものだから、危口さんのペンを借りて書いたことがある。それをペンを紙にのせた瞬間のそのあまりのフラジャイルさに「おおっ」と思わず手の力を緩めたことがあった。紙に字をはしらせるというよりは、空をすべるようなかろやかな字。
その字に違わず、かろやかな人だった。
ときおり見せるはにかむような表情も好きだった、と言うと照れ笑いする顔が浮かぶ。
わたし、危口さんのそのかろやかさを忘れないで残りの人生を生きていくよ。
じゃあね。
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