1月3日。浮かれるような気持ちが衰えて、日常がむっくりゆっくり立ち上がってくる時間が漂っている。昨日の夜からクロード・ランズマンの『ショア』を見始める。ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』にて言及されているのが知ったきっかけだが、上映を見逃したり、ソフトが手に入らなかったりで今になってしまった。ホロコーストを生き残ったユダヤ人の証言からはじまる。ほほ笑みながら過去のことを語る当事者に「なぜほほ笑むのですか」と尋ねると「泣きわめいた方がいいのですか?」と返す。笑う、泣くのあいだをよろめくようなシーンで、思わず停止ボタンを押してしまいそうになる。クローズアップも多く、人の口がよく見えるのは、ポストコロナのマスク社会で人の顔が見えなくなったということの返歌にみえる。
ツイッターで山本浩司さんが武井彩佳『歴史修正主義――ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』について書評していたのを読む。山本さんは誠実な仕事でいつも注目し、信頼している歴史家だ。本年刊行が予定されている辞書があり、担当している項目についてゲラを何度か読み返して精査する。字数がかなり限定されているので多くを盛り込むことはできず、その項目について研究をしたことがあるので背景や知識があっても、その髄となるものしか残らない。かなり圧搾されたシェープな文章になったと思う。これでいいと思うところまで確認を続けた。溜まってしまった洗濯物を洗い、布団を干す。この季節になると陽光が低く、部屋の奥まで光が射し込んでいて美しい。光が消える頃にはいつもの調査ノートを読み返し、今度の調査について方針を確認する。空が澄んでいる日の夕焼けは橙色が薄く、静かな今夜を予感させた。
コメントを残す