1月12日。部屋で工作をしていて。それはソフトキャリーのタイヤを修理することだった。けっこうすり減っていたのでパテを埋めて形を整えるのにカッターを扱っていた。プラスチックを削っていたわけで、黒いタイヤに白いパテがまだら模様になっていたところだった。そこで、何かが飛んできて眼に刺さってしまった。カッターが突然折れて飛んだのである。あっと気づくとカッターの欠片がテーブルに落ちる。さほど痛みはなかったが、しかしじっと眼を動かすたびに痛く、経験したことのないことだった。近所の眼科に行って説明をすると、眼科医が心配そうな顔で検査をしてくれた。結果、かなり危なかったとのことで角膜に傷があるといわれた。点眼薬を2つ処方されて通院する必要があるとのこと。そのあと、日本で視覚障害者の生活支援をするライトハウスを興した岩橋武夫のことを思い出した。岩橋は早稲田在学中に失明して中退しているのだが、その自伝的小説『動き行く墓場』を1925年に出している。岩橋が出した初めての本で、眼に異変があり、見えなくなるまでのことが書かれている。眼科の話に戻るが、その検査というのがフルオレセイン試験紙を角膜にたらして、青色の光を当てる検査で、普通の検査ではわかりにくい角膜(黒目のこと)の傷の具合が判明するというものだった。わたしは初めて受けたが、青い光が眼全体を覆っていて、スペクトルというか、自分の世界が青で満たされていてちょっと忘れがたいものだった。その青を浴びたとき、わたしのこの経験が岩橋の眼が見えることと、見えないことの間で苦悩していることのはざまにあるように思われたのだった。
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