1月15日。昨日の雪はもう見えなくなっていた。朝、ゆっくりとクロワッサンとコーヒーを飲みながら考える。歴彩館まで調査に出かける。昨年、途中まで翻刻していた古文書を予約していたのを出してもらい、続きに取り組んでいた。翻刻は古文書をそのまま写すことで、ノートに書くかパソコンを使うかの方法があると思うのだけど、iPadとApple Penが出てからはこの方法が一番良いように思う。テキスト化しつつ、手を動かすことでその文が体内に入ってくるように思うからだ。丹念に読んでいくことで史料の位置付けも想定できてくる。やり終えて間違いがないか確認作業も終え、明治・大正期の行政文書も閲覧し、ノートを取る。昼、セミナー室では「写真の撮り方」なる講座をやっており、けっこう混んでいたのを横目に昼食をする。以前、ここは京都府総合資料館という名で、今の建物のすぐ北側に建物があった。今は旧建物だけが残っているのだが、そこにもよく通った。1階はいつも高校生がたくさんいて自習をしていて、わたしは2階にある閲覧室にこもっていたのだった。この一帯はこれから再開発として府立大の芸術関係施設ができるという話を聞いたことがあったが、まったく進んでいないようだ。コロナもあるし、当分そのままだろう。旧建物の階段を登るところにシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画の一部の原寸大が飾ってあった。あまり忠実とはいえないが、妙に印象に残る空間だった。調査を終え、次に閲覧したいものの予約をして出る。
地下鉄で有斐斎弘道館まで。今出川駅を出ると、同志社の茶色の建物がみえる。コロナウイルスの流行があってからは調査に行けなくなったので本当に久しぶり。途中、金剛能楽堂の前も通る。一度だけ訪問したことがあったが、宗家と奧さまはお元気だろうか。調査で訪れた時にいただいた洋菓子の濃厚さが舌に蘇ってくる。弘道館につくとたくさんの靴が並んでいた。見学かなと思いきや、課外授業とのこと。汲古庵という、床の間に格子があるというおもしろい設えの茶室で太田達さん、太田梨紗子さん親子にお会いする。最近書いたテクストをお渡しする。また、和菓子のお店をされている方なので何を持っていくかどうか迷ったが、自分自身が美味しいと思うものということでマールブランシュの小さなパイも持っていった。太田さんは以前、応挙寺こと大乗寺のご論文を書いておられ、わたしの論文を引用している。わたしのは10年前に書いたものだが、お話をうかがっていると、当時の自分が考えていたことの成果や課題が感じられてくる。書く前はわからないことが多かったのに、今はだいぶあの寺のことが鮮明に見えつつある。思考の痕跡を形にしておくことは大事だ。ほか、太田さんから若冲の研究についても少しお話を伺い、わたしが長年考えているテーマとも相関がありそうで興味を深めた。話のさなかで、花びら餅と抹茶をいただく。花びら餅は正月にいただくものだという。ごぼうは正月の縁起物としてわたしの実家でも出てくるけれど、餅に巻くとはまったく想像していなかった。ごぼうの切り方がきれいで甘く、思わずにやけてしまう味。ところで、弘道館の建物は幕末から昭和にかけて少しずつ増築しており、かつては皆川淇園の学問所の跡地でもあったという。日本史の儒学は明治とともに衰退し、学校教育としての修身に置き換わっていくが、明治末期は顕彰事業とともに京都では儒学が流行した兆しがあって、街のあちこちに塾があったことを思い出す。こうした私塾の成り立ちと淇園について考えるのもおもしろいだろう。誰かが書いていたが、ローマ、ロンドン、京都という何世紀にも渡って町としてあったところは時代ごとの時間が折り重なっている、ミルクレープのように。
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