昨晩、小説家の西村賢太さんが亡くなられたことを知った。わたしは西村さんの熱心な読者ではなかったが、「廃疾かかえて」「痴者の食卓」という身体障害を指し示す語句を表題にしているところに惹かれていた。というのも、明治・大正の日本では身体障害者を明瞭に定義する用語がなく、かつてからあった語句がひろく使われていた時代だった。そのひとつが廃疾だ。それを、障害者ではないものが自らを指していうことがあった。末廣鉄腸の『唖の旅行』という海外旅行の体験を書いた本がある。一見したところ、末が唖者(話せない人)が旅をした内容にみえる。しかし末廣は唖ではない。この表題を採用しているのは、外国語が話せない環境に着目してのことだ。つまり、異国の地においてその言語を話せない環境にいる自分を唖とたとえている。西村もまたあの時代の身体性と言語感覚を宿しているように思っていたのだった。ツイッターでは彼の逝去を悼むツイートがたくさんあった。砂糖をやや多めに入れた卵焼きが甘い。
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