不安げな画家 — Ferenczy Károly

Gyermekeim

Noemi

Ferenczy Károly(1862-1917)という、ハンガリーの画家がとても気になるこのごろ。ハンガリーには彼の美術館もあるようで、著名らしい。日本では紹介されたことがあるのだろうか? 果たしてどのくらい知られているのであろうか。実物をみたことはないけれど、境界の曖昧さと身ぶりがなす雰囲気は、印象派の・・・そうだね、スーラとかのインスピレーションを受けつつも近代における「不安」が感じられ、ムンクのようでもある。

宗教画も描いているようだ。これは東方の三博士だろう。

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ポリツィアーノとボッティチェッリ

PolizianoPoliziano “Stanze per la giostra di Giuliano de’Medici”
(Firenze, Antonio Tubini, lorenzo d’Alopa, Andrea Ghirlandi, c.1500)

いま、集中している研究があり、そのなかで少し気になることがあったので、アビ・ヴァールブルク『サンドロ・ボッティチェッリの“ウェヌスの誕生”と“春”―イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』を読み始める。原書は1932年、ライプツィヒで出版されたもの。わたしにとってヴァールブルクの出会いはだいぶ前で『蛇儀礼』が最初の読書だった。
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セライオ《プシュケーの物語》について

ヤコポ・デル・セライオ《プシュケーの物語》(1490年頃、ボストン美術館)について記録しておきたい。セライオの生没年は1441–1493というが、確定していないそう。もしそうであれば、15世紀に活躍したフィレンツェの画家とまずは覚えておこう。むろんこういう人いっぱいいるけども。セライオのこの絵はもともと家具の一部だったらしい。横に細長い家具だったと想像される。

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高橋由一と三島通庸

いま、東京芸大であっている、高橋由一展に向けて『三島通庸と高橋由一 ― 西那須野開拓百年記念事業』という本を前に読んだのでここにメモしておきたい。
これは、三島が土木工事で切り開いた道、栃木、福島、山形の道を高橋由一が描いたことを中心に論じている本。高橋は200点ほど描き、そのなかから128点をピックアップした『三県道路完成記念帖』(三巻)を出版した。
裏返してみれば、三島が油彩画によるイメージの敷衍という効果を知っていたからではないかということが論じられている。

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なぜ屏風は「六曲」が多いのか?

日本画で屏風という形式を考えるとき、どうして六曲がメインのフォーマットになっているのかということがある。二曲、四曲、八曲の屏風があるにもかかわらず、どうして六曲が定着したのか、という話。それで、『日本美術襍稿: 佐々木剛三先生古稀記念論文集』には村重寧さんの「二曲一双」が収録されているのが参考になる論文。これは本来は宗達、光琳、抱一の二曲屏風について考察するのが目的だが、前半に屏風に六曲が多いのかという理由を書いている。以下、村重さんの話をまとめる。

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(展覧会)ビザンチウムとイスラム美術

Pillars from the Church of Saint Polyeuktos,
Constantinople, now in the Piazzetta di San Marco, Venice. Photograph by spoliast

メトロポリタンにて開催されている 「ビザンチウムとイスラム美術」は面白そう。公式ブログをみると情報量があってよい。

写真はヴェネツィアのサン・マルコ広場の「ピラストリ・アクリタニ」だね。第四次十字軍によってヴェネツィアまで運ばれたコンスタンチノープルの中心にあった教会、アオギス・ポリエウクトス(Saint Polyeuktos)の柱。ユスティニアヌス帝の娘、アニキア・ユリアナによって524-527年頃に建てられた教会だと教えられた。でも、この教会はすでに失われてしまっていて、全貌がわからない。もし何かの史料よりわかったらば、それはそれはすごい論文になると思う。しかしこのような意匠の柱がいくつも並んでいるところに出たらば、どこを見るべきか眩暈がするかもしれない。

source: http://www.metmuseum.org/en/exhibitions/listings/2012/byzantium-and-islam

フィリッポ・リッピの天使

ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。一目してギョッとした。これはわたしが今行っている研究において重要だという直感。

 

 

セーヌ河のほとりで帽子をかぶる人

ジョルジュ・スーラ《アニエールの水浴》(”Bathers at Asnières” 1884, ナショナルギャラリー, ロンドン)
セーヌ河で水浴をする人たちと河畔にくつろぐ人たち、そのなかでひとりだけ雰囲気が違う人がいる。男の人だろうか?それとも肌や指の形からして女の人なのだろうか?でも、男の人だろうか。この人は何を考えているのだろう・・・。

帽子をかぶる人。

わたしにはその人の表情がよくみえない・・・。口元が奥にある花と草と混じりかけていて表情すら曖昧だ。

source: http://www.nationalgallery.org.uk/content/conobject/313

光のなかにいる鳩

1629年、バルトロミュース・W・ドレンドによる銅版より。マリアの頭上に現れる、光に包まれた鳩。太陽に包まれたかのようなデザインがされる。

こうしてみると、光源に近いニードルの動きは一定したラインが外にむけて動いている。そして、外になるにつれて、乱れはじめ、空白が生まれる。それはウニのトゲのようだよね。その周囲には網型の身ぶりを伴ったニードルの動きがあってメリハリがある。

source: http://www.rijksmuseum.nl/collectie/RP-P-OB-67.618/uitstorting-van-de-heilige-geest

錦正社 『蒙古襲来絵詞と竹崎季長の研究』(佐藤鉄太郎著)

18世紀に加筆されたという説を提唱しているが、説得力があると思う。これはわたしのパソコンに入っていたデータだが、どの新聞記事なのかわからなくなってしまっている・・・。

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これをやって世界史の勉強をしたいというのは、だめかな?