フランス、ル・トロネ修道院にて
木下知威(きのした・ともたけ)
1977年、福岡県北九州市生まれ
専攻
建築計画学/19世紀日本建築史/視覚文化論(電送写真、スクラップブック)
連絡先
mailアットマークtmtkknst.com
最終学歴
2010年3月 横浜国立大学大学院 工学府 社会空間システム学(建築) 博士後期課程 修了
学位
博士(工学)
学位論文『盲・聾の空間 - 京都盲唖院の形成過程』
賞歴
2010年3月 横浜国立大学大学院 優秀学生賞
2012年9月 日本建築学会 奨励賞
関心のある分野
建築計画学/日本・西洋建築史/日本・西洋美術史/表象文化論/視覚文化論
建築を中心に、学際的な研究を行うことができたらと考えています。とりわけ、京都盲唖院、電送写真、スクラップブックに関する研究を行っています。
わたしをめぐるエトセトラ
名前の由来
薬剤師の父とピアノ教師の母の子供として生まれました。名前の由来は、父の大好きな孔子『論語』から来ています。このなかにある、「知にして威ならず」と孔子が語っているところからつけられました。これは「知識はあるけれど、威張っていない」という意味ですが、このように生きるのは本当に難しいことと痛感しています。
耳
生まれつき、耳が聞こえません。手元にある資料によれば、昭和54年11月19日に判明したものと思われます。母の回想によれば、九州大学病院でそういう診断が下されたとのことでした。
いま、コミュニケーションは手話と筆談、口話で行っていますが、幼少期は手話ができませんでした。そのあたりの経験は、北村紗衣・編『共感覚の地平』の「声を剥がす」で書いたことがあります。
どうやって日本語を身につけたのかについてよく聞かれますが、両親の回想によれば、子供のときから新聞が大好きでテレビ欄を眺めることで言葉と時間の概念を身につけたのではないかとのことでした。今は、京都盲唖院の研究で明治の新聞を読みこなしているので、やっぱり新聞が好きだなと自分でも感じます。明治ですから、テレビ欄はありませんけどね。
建築
両親によれば、レゴブロックが大好きでキャラクターに名前をつけて、自分で物語を作るのが好きな子供だったといいます。いま、建築を専門にしていますが、建築を目指すようになったのはおそらく、レゴの影響が大きいのでしょう。
また、地元・北九州市にある、巨大な工場群を眺めながら通学していたことや、磯崎新設計の「北九州市立中央図書館」によく入り浸っていたことも少なからず心情に影響しているでしょう。
ペリエ
子供のとき、土曜日は絵画教室に通う日でした。その前後に母から「スプライト」「ジンジャーエール」という炭酸飲料をよく買ってもらっていました。口にふくんだときのあの弾けた感じ!弾ける! いま、炭酸飲料はペリエをよく飲み、たまにシャンパンなどスパークリングワインを嗜んでいますが、それはたぶん子供のときに飲んでいた「スプライト」の影響があるのでしょう。
美術館/博物館
わたしにとって、美術館に通うときはとても特別な気持ちになるひとときでした。まだ小学校にあがるかどうかというころですが、両親と車で、北九州市立美術館に通うのが我が家の休日の行事でした。
そのとき、両親はいつもかっこいい服を着せてくれました。このときだけ、ぼくはおしゃれするんです。どんなのを見たのかいまは全然覚えていませんが、ただひとつだけ、あの小高い丘にある美術館のエレベーターをあがっていくとき、この先にはまだまだ知らないところがたくさんあるのだなと感じていた事をいまも強烈に記憶しています。美術館や博物館に、足を踏み入れるときのドキドキ感は今も変わりません。
ところで、この美術館にはカフェがあって、見晴らしのよい席で北九州の戸畑から若松の風景を眺めながら、サンドイッチを食べるのをとても楽しみにしていました。今もやっぱり、サンドイッチを頼んでいるのです。
どうぞよろしくお願い致します。
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