20220814

香川県丸亀市にある丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて今井俊介の個展「スカートと風景」をみた。
今井のこの10年ほどの画業をまとめてみる機会となるこの展示だけれども、今井の絵画とは何かというと、覆いかくす(conceal)絵画だと思う。

そう考えたのは、昨年、宇佐美圭司のことをまとまって考える機会があったからだろう。この年、東京大学駒場博物館の「宇佐美圭司 よみがえる画家」展が開催され、わたしは以下のことを書いた。
https://tmtkknst.com/LL/blog/2021/07/03/keiji_usami/

要するに、宇佐美の芸術は身体を輪郭線でなぞってマスキングしたパターンを組み合わせることで、身体同士のもつれ合い、やがては身体の消滅が予言されているものだった。宇佐美の絵画に消滅が命題としてあるなら、今井の絵画は覆いかくす(conceal)ものだとわたしは思う。

何が何に覆いかくされているのかといえば、絵画そのものが絵の具によって覆いかくされている。今井の絵画はストライプ、ドット、図形の構成が、旗やカーテンといった「一枚のはためくもの」が重なっているようにみえる。これらの見方を変えると、風景画のようにもみえてくるが、その先にあるものを認識することはできない。
絵画は透視図法のように空間表現の技法が探求される歴史としてあるが、今井の絵画はあたらしいステージを提示している。それは、ストライプやドットといったパターンをかきわけるような感覚を持つと奥行きが現れるという見え方だ。ここまでは誰もが感じることだろう、ここには覆いかくす(conceal)ことが認められるように思われた。
だいじなのは、べったりと塗られていないことだ。薄く、均一に描かれていて、キャンバスの荒い素地としての、かすかな凹凸がある。しかも、キャンバス全てを絵の具で塗らないこともある。そこには、近代以来の紡績の歴史の層がある。そもそも近代日本の経済を支えた産業として紡績があるが、この紡績によって作られるキャンバスが今井の絵画によって、描かれているものが「一枚のはためくもの」にみえた瞬間に再び紡績に立ち返っていくように思われた。そのはためくものは紡績の主要な生産品としてあるからだ。もし、この絵画の中に入ることができ、はためくものを手で払いのけることができたとしても、そこには何もみえまい。なぜなら、絵画そのものが覆いかくされる対象であって、その先には何もないからだ。そのことを考えると、キャンバスの素地が感じられることはとても重要だ。

言い直そう。わたしは高松である人に「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館まで今井さんの展示を見に行くんですよ」と予定を伝えると、「ミモカ(MIMOCA)ね」といわれた。ミモカは同美術館の略語なのだが、その瞬間「ミモカ」と「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」がわたしの中で置き換わっていくのを感じていた。「ミモカ」=「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」ではなく、ミモカが「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」を覆いかくしてしまい、しまいにはミモカそのものになってしまう。今井の絵画と対面するということは、そういう体験に近い。

20220506

5月6日。ゴールデンウィークのあいまの金曜日。5日の日記は書かなかったけれども、両日とも史料のデータを整理したのち、画像を見つめながら検討を進める。一昨日は上野の東京都美術館までとびらプロジェクトのASR(アートスタディルーム)でのワークに参加したのち、用事があったので、そのまま歩いて黒田記念館の常設展で、「春、夏、秋、冬(構図) 」を見た。右から四季の移り変わりを描いて、理想を具現しようという構想だろうか。人物の動きには鉛筆が重ねられていて何かを見定めようと抗っている。その背後には川だろうか、インクでアクセントをつけている。こうした止まった動きというものを胸に秘めながらまた歩いて日暮里近くの朝倉彫塑館を訪れる。8メートルほどだろうか、3階まであるアトリエから書庫をぬけて中庭にある池に面する。池には水が張ってあって、風だったり小さな噴水や鯉の動きだったりで水面がゆらぎをはらんでいる。黒田の鉛筆のあとを池の水面が追いかけているようで、こうした動きの連続がわたしのなかで灯しはじめたようだった。外に出てから歩くたびに風景がうつろうことそのことがとても心地よく思われた。

20220503

5月3日。起床してシャツを着ようとタンスを開けたら、Tシャツが入っていたので、今日の暖かさなら大丈夫かなと袖を通す、が、寒い。窓を開けるとぬるい風ではなく、ひんやりさを秘めた風が入ってきて、地上のどこかに寒さが潜んでいるようだった。Tシャツの上に長袖のパーカーを羽織り。朝の支度をしつつ、昨日余ってしまったコーヒーをレンジで軽く温める。そのあいだにパンを薄く切って、トーストにする。熱くなって出てきたコーヒーを含みながら窓の外をみる、まだ夏は遠いかな、近いかな。朝の支度を終えたら、昨日に続いて懸念のウェブサイトのディテールを細かく検討していった。そのあとは週末の研究会の準備に着手する。収集しておいた文献を再度検討する。休憩時間、少しtwitterをのぞいてみるといろんな人が外でしたいことを謳歌しているようで外に出たくなる。太陽が濃さを醸し出すような夕方になっても日差しはまぶしく、18時になっても西は明るい。この分だと徐々に夏の足音が漂いはじめているといったところだろうか。この季節になるとツバメも見かけるはずだがまだ近所では見ない。

20220502

5月2日。今日もウェブサイトに手を入れており、公開できるレベルになった。ポストを開けると大きな封筒、水道代の通知、ハガキ、タウンニュースが入っていた。ほか、ダイレクトメールもある。
大きなものはゆうメールで古本が来ていたのだった。どうも最近、古本のツキが回ってきているらしく、欲しい本がどんどん安い値段で見つかるので遠慮なく買っている。今日は1冊だけ届いた。ビリビリと破って中身を確認する。けっこうヤケが強いが、わたしは読めることを大事にするので問題ない。少し前から執筆のために探しており、締切が今月なのでなかったら図書館で探そうと思っていたが、幸運にも500円で売っているのを見つけたのだった。机の横に置く。
ハガキは友達からの転居の連絡だった。もう10年以上の付き合いがあり、大学教員をしている、優れた研究者だ。「お元気ですか?」で始まるその字は出会ったときから変わらない。どうやら時間が経って少しずつ歳を取っても字は変わらないらしい。身体と筆跡は時間軸が違うようにと思う。住所をみると見覚えのある集合住宅の名前。建築家のあいだで話題になった集合住宅に似た名前があったのを覚えているので、それかもしれない。
タウンニュースは住んでいる地区の広報で、まちづくりや核施設からのお知らせで、ちゃんと読むようにしている。お知らせのなかにはこんな文章があった。

喫煙・飲酒は20歳から
4月1日から成年年齢が18歳に引き下げられましたが、これまでと変わらず20歳未満の者の喫煙・飲酒は法律で禁止されています

かつての成年年齢である20歳のときは、お酒を飲んでもタバコを吸っても何も言われることはなかったが、ひとつの思い出、節目だった。わたしはこのとき、スーツを着て記念写真を撮影したのだった。今もどこかにあると思う。けれども、今年度からは成人でありながらタバコと酒を禁じられている。それに合わせて「未成年者喫煙禁止法」も「二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律」になった。成人という人生の明瞭な境目であったものが、グラデーション化されていく生という状況になってしまっている。
ダイレクトメールはデリバリー関係のもの。電話番号がでかでかと書いてあり、アプリで注文もできることも書き添えてあった。目もくれず、ゴミ箱の底に置いた。

20220501

5月1日。5月は雨から始まった。朝はこれから雨になるの?と思うようなのどかな天気だったが、午後から雨が続いている。今日も日曜日を返上して準備しているウェブサイトの作業にかかりっきりだった。データを手作業で移行したり、文章を推敲するという作業を繰り返していた。芸術や詩文における表現で重要な概念であるこの反復は、身体を何かに乗せてドライヴしていく感覚が常にある。
おやつにイチゴ、はちみつ、きな粉、ヨーグルトを混ぜたものを食べる。わたしは「いちごにきな粉ヨーグルト」と呼んでいるが、これが大好きで。イチゴの酸っぱさと甘さ。はちみつのとろりとした濃厚な甘み。きな粉のザラザラした舌触り。ヨーグルトの酸っぱさとサラリとひんやりした味わい。本来は4つそれぞれの食材があるのだが、スプーンでかなりかき混ぜているので、口にするとそれは4つのものではなく融和して渾然一体としてやってくる。ひとつ、それは固体と液体といった物質的な状態の違うものが、混ざっているからだ。もうひとつはそれが「いちごにきな粉ヨーグルト」という名称という経験としてあるからだ。つまり、食材を買ったり調理して食べるといった過程の総和である。こうした渾然一体となったものは食事のときだけでなかろう。文章を読んでいるときにも同様の経験をしている。

「日露戦記文学の代表作とされる櫻井忠温の『肉弾』は、著者が一九〇四年五月に松山の歩兵第二二聯隊付の少尉として出征し、乃木希典率いる第三軍に加わり旅順攻囲戦に参加、同年八月の旅順第一回総攻撃において重傷を負うが九死に一生を得た体験を綴ったものである。」
堀井一摩『国民国家と不気味なもの』

この文章は123字ある。句点で終わる一文としては長いものだ。わたしは文章をなぞりながら、「日露」「代表作」「櫻井忠温」「肉弾」「一九〇四」「乃木希典」「旅順」「重傷」といったことが自分のなかで混ざりかけるのを感じている。読み終えたときに、櫻井が書いた『肉弾』の背景というものが、渾然一体となったひとつのことになる。なぜ渾然一体となるように感じられるかというと、文法によるセンテンスの構成が、わたしのなかでかたちづくられて、ひとつの構築体になるからだろう。それが渾然一体、ということだ。

20220430

4月30日。太陽がきれいな日。4月末になると雨が多かったので久しぶり。コーヒーも美味しく、連休のはじまりの日なので出だしも軽やかだが、ゆっくりする余裕もなく、準備しているウェブサイトの細かなセッティングやデータの移行に集中していた。洗濯物も溜まってしまった、1週間も洗濯をする余裕がなく、洗濯機を2度にわたってまわす。わたしの家にある家電では一番古いもので、学生のときからずっと使っているものだ。故障するだろうなと思いながらも買った当初からまったく壊れる気配はない。タイマーもまだ健在だし、買い換える理由がないまま今日にいたっている。途中、インターフォンの音に反応して光に変換して点滅する装置が反応する。フラッシュが何度もたたかれる。あれだな、お米だなと思いながら玄関に。佐川急便の方がそれを持ってこられていた。ドアを開けると60近い方で、頭はほとんど白髪で、目つきはたくましく、何年もこの仕事をされているようにみえた。わたしを認めると、すぐにダンボール箱に貼られているラベルを人差し指でさされて、宛名は合っていますかというような確認をされる。「〜というような」と書いたのは、その方がマスクをしていて、何をおっしゃっているのかわからないからだ。ただそのわずかな身振りと、この場面でしか想像されない会話、すべてが予定調和であるかのような時間だ。「はい」と答えると箱を渡されてそそくさと去っていかれた。キッチンで箱をあけて米袋を取り出したのち、椅子に戻ると、洗濯がもう終わっているだろう時間になっていた。太陽はもうすでに昇りきっている。

20220429

4月29日。連休のはじまりだが、研究者にとっては、進行中の研究を進める機会にもなっている。外出の予定もある。ツイッターをみると皆さん忙しそうだ。
わたしには、起床したときに基本的なルーティンがある。たとえばわたしは毎朝に歯みがきや洗顔をするし、トイレにも行くのは毎日変わらない。歯ブラシと歯みがきは基本的に同じものだし(使い捨てではない)、洗顔料も然り。下着、靴下、ハンカチもよく似たもの、同じメーカーのものを使う。いっぽう、朝食はコーヒーとパンが朝食になるのだが、パンに載せるのをいちごジャムかマーマレードかというのがある。いずれも日記に書いた自分で作ったもの。それらは日かわりでいちご、マーマレード、マーマレード、いちご、マーマレード、いちご、いちご、といった具合でリズムが一定しない。だけれど、どちらでもいいと感じている。
ルーティンとは決まった作業(変えないところ)をこなすことではなく、何をしなければならないかが明快に最低限に定められていることだ。いちごとマーマレードどちらもでいいということは、ルーティンから除外されているということであろう。なぜ除外されているかというと、それらはすぐ無くなってしまうことがわかっているからだろう。

20220428

4月28日。依頼を受けた仕事を進めるため、夕方に図書館まで出かけて資料を収集した。最近は大正期の演劇について調べていて、論文で取り上げてみたいと思う。どうやって調べるかというと、本を読んでいて得られたことをデータベースに入れて反応を見たりするぐらいだがこれで論文の構想を練ることができるのは、これまで調べてきたことの蓄積とつなげて考えられるからだろう。北村紗衣『批評の教室』では、ある作品について取り上げるときには分析に必要な関連作品をおさえておく必要があると書かれている(129頁)。指摘のとおりで、常に網目を巡らせておく必要がある。それをわたしは「ひとりのサバイブ」で書いた。
データベースは特別なものではなく、グーグルやcinii、国会図書館のデータベースぐらいである。それらを眺めてどんなものがあるのか確認し、この文献にありそうだな、このあたり時代の雑誌に何か情報がありそうだなという目印をつけておいて、図書館で集中的に調べていき、網に引っかかったものはコピーする。または本を借りる。それを家に持ち帰ってゆっくり検討をして論文を少しずつ書いていく。書いてみればずいぶん平凡な感じに見える。帰路、繁華街の前を通ったらどの飲み屋さんにもお客さんがほどほど入っていて、店の照明に照らされた明るい笑顔にはもうコロナのことがさほど気にされていないか表情があった。テーブルに張り巡らして立っているアクリル板がコロナの思い出として在るようだった。機会があれば、アクリル板について論考を書いてみたい。

20220427

4月27日。ひさしぶりに九段下と神保町に降り立つ。九段下にある昭和館で以前から関心を持っていた雑誌記事からコピーする。そのまま、「SF・冒険・レトロフューチャー×リメイク ~挿絵画家 椛島勝一と小松崎茂の世界~」を見た。わたしは戦前を知らないこともあって、メディアを通じた戦前というとモノクロというイメージがあるのだが、椛島が少年向け雑誌に描いたものは基本的にモノクロで、水墨画の未来系のような印象もした。戦後になると小松崎の作品のようにかなり原色に近い色使いで、タミヤの模型のパッケージのイラストも担当していることを知った。子供の頃、プラモデル店でドイツ戦車のパッケージがかっこいいなあと思っていたが、それが小松崎のものだったのかもしれない。そのまま昭和館を出る。しょうけい館を横切るように東に向かって歩く。神保町に着いて、頼んでいた古書を引き取って外に出ると紙のサンプルを検討しなければならなかったことを思い出して、竹尾の見本帖本店が近かったので寄ってみる。この店舗は西沢立衛さんの設計になるもので、オープンしたばかりの時に見に行ったことがある。入ってみると乳白色の空間から浮き上がるように展示されている紙々の端が少し折れたりしていて、多くの人が出入りしてきたことを思う。奥の方には紙をカットするためのスペースがあり、空間に抗うように薄汚れた木の板や定規が武骨さをたたえていた。

20220426

4月26日。パソコンの画面をみつめている目。トラックパッドに触れて、キータッチをする手。もじょもじょと動くことのある足。右手にはマグカップが、左手には使っている資料が置かれている。今年度でおそらくいちばん大事になるだろう仕事の初動に取り組んでいるところでデスクワークをしている時間がとても長い。統計資料を見ながら入力と検討を進めている。資料もあちこちから取り寄せているところだ。何も音は聞こえない。ただ、キーを叩いたときのプラスチックのガチャガチャとした感じが指先から身体に入ってくるだけだ。窓を見ると雨がポツリと、塊のようにザアと強弱をつけて降っていた。どんな仕事にせよ、関わる人たちと必要な情報を共有して合意形成をはかることだったり、または必要な資料をよく理解することが大事なのだが、そうした地盤はゆるいので、もう少し時間をかけて考えないといけない。GWのあいだにまとめたい。年度のはじまりということもあるのか、タイミングがいいのかわからないが古本が安いのでいろいろと買ってしまう。読む時間が心配になってくるほどだ。

20220425

4月25日。晴れた月曜日。母の日が近いということもあり、欲しいと言っていた買い物グッズを通販で買って送ったら喜んでいた。春になると読書欲がいろいろと出ているのと古書が安いように感じる(年度の切り替わりで流通量が増えるのだろうか?)ので、探し求めているもので安くなったものをいろいろと買い求めている。ゴールデンウィークには研究会が1件、オンラインのイベント(参加のみ)が1件ずつあるが、基本的に読書で過ごそうと思っている。
先日、根津にあるFIVE COFFEE STAND&ROASTERYでキャラメルラテのアイスを飲む。これがひじょうに美味しかった。本も食べ物も人間も作品もそうだけど、これはいいと思ったものはいつになっても身体のどこかにそれと接したときの感覚が残存しているものだ。

20220424

4月24日。雨の日曜日。外出する気もなく、家でゆっくり過ごした。冷蔵庫をあけると洗面器ぐらいの大きなボウルがあった。中にはグラニュー糖とレモン汁で漬けてあったジャムが入っていた。そうか、22日の日記に書いたように、いちごジャムを作る途中だったのだ。家にいるからやってしまおうかと思い、いちごと汁を分け、深鍋に汁を先に入れてから沸かす。グツグツと泡がブクブクしてきたらジャムを入れてそのまま一気に仕上げる。アクがどんどん出てくるので掬う。スマホをほとんど見ることもせず、考えごとを時折していると、どろっとバラ色のようなきれいないちごジャムになっていく。1瓶で500gぐらいのイチゴを使っているかな。この時に作ったマーマレードに比べるとだいぶ楽である。マーマレードは果実と皮を分けたり、ワタを取らないといけないので工程がどうしても多くなる。いずれにしても、こうした料理ができるのは果物が流通するこの4〜5月に限られる。作れなくなったら春の終わり、夏のはじまりだ。
もう少し余裕ができたら、レモネードを飲むためのシロップも作ってみたいと思う。ロンドンを旅したときに、マークス&スペンサーで買ったスパークリング・レモネードが美味しかったのだ。それは、砂糖とレモンが手を取り合ってダンスして、舌のうえを甘みと爽やかさが滑り落ちていくようだった。

20220423

4月23日。気温が25度と春の終わりころのさわやかな風をスキップするように真夏がひたひたと近づいている日。上野の東京藝術大学まで講座を受講。そこでは、オーシル・カンスタ・ヨンセンによる絵本『キュッパのはくぶつかん』に基づくワークショップを受講したのだが、たいへん学びのある内容だった。上野公園まで出かけて自然のものを収集するものだ。「みる」「あつめる」「ならべる」のプロセスを経て、美術館の機能を理解する内容である(とわたしは理解した)。まず、公園を歩き回ってどんなものがあるのか、よくみる。石ころ、陶器の破片、落ち葉、木片、枝などがある。それらは大きさ、色、形状、重さを異にしている。それは知覚が行為によって肌理を変容させるというものだっただろうと思う。たとえば、何かを見るということは屈んで顔を地上に近づけたり、手にとってみないとわからないことだ。そうして集められたものをまずA3の紙に配置したのち、そこから選択して木箱のなかで整えてみて、物語をつくるように展覧会のタイトルと解説を書いてみる。集められたものからさらに圧搾していく過程は、自分の視点をより明瞭に浮かび上がらせる。わたしは野口英世像の周囲で集めたこともあり、「野口英世のなかまたち」というタイトルで構成したのだった。

20220422

4月22日。昨日、夜遅くにスーパーマーケットに寄ったら、1kgほどのいちごが800円だった。いちごジャムにするのを思いついて買う。買い物リストにはなく、買う予定はなかったものだ。なぜ買ったかというと、荷台のうえに陳列されている赤々しい塊のなかからいちごが知覚され、不揃いな形と、量がいちごジャムという想像と結びついたからである。その想像というのは、いちごジャムからいちごを認識することと、いちごからいちごジャムを認識するという運動である。
真っ赤ないちごを手にしてヘタを取ったり切ったりしていると、従姉妹のことが思い出されてくる。わたしの父には妹がおり、わたしのおばにあたる。おばの子どもは姉妹。何かの折に家に遊びに行ったときに姉がヨーグルトにいちごを入れるのを好むのに対し、妹はいちごが嫌いで、ヨーグルトにそれを入れたがらないのだったことを思い出した。それは、いちごを加工するという、いちごを知覚し続ける時間が連続していなければ出てこなかったことだ。昨日書いた雨の話題もそうだが、「もの」がわたしの知覚と連動しつづけることで記憶が引き出されてくるのかもしれない。
ある意味で、そのことと逆行するのが買い物リストなのではないかと思う。買いたいものの名前の羅列である。スーパーで買い物をするときに、買い物リストを作成しておくと忘れずにすむだろうけれども、それはスーパーで作成されるものではなくて、家かどこか別の場所で作成される。言いかえると、それはあるものを切らしているという欠存を探りながら、あれが欲しい、これが欲しいといった欲望をロールプレイしながら作られるのが買い物リストだ。しかしながら、買い物リストだけで買い物はできない。なぜなら、スーパーには買い物リスト以上のものがあるからだ。それらのおびただしいものから買い物リストに該当するものを選別していくうちに、それらの「もの」(いちご)を通じて、いちごジャムという認識に導かれていく。想像しなかったことだ。買い物とはそういう、知覚のハプニングが期待される場所であろう。

20220421

4月21日。図書館でリサーチを終えたわたしは外にでたとき、傘を忘れたことを濡れた路上をみて気づいたのだった。道に出るとナトリウムランプのオレンジに染まった水玉が軽く肌をうつ。その連続する水の運動が何かを思い出す、傘がなかった時の気持ちのことを。少し前のことになるが、グラスゴーの西にヘレンズバラという街がある。そこにはチャールズ・レニー・マッキントッシュの設計になるヒルハウスという住宅があるのだった。曇りの日だったが建築に美しさに見とれて昼下りに出るころは止みそうにもない雨が降っていた。そのとき、傘を持っていなかったことを思い出したのだった。というのも、昨日あたりだったか、傘をエディンバラ行きの電車のなかに置き忘れてしまい、取りに戻ったときはもう無かったのだ。その日はヒルハウス近くのヘレンズバラ・アッパー駅までの鉄道が終日止まっていて、1マイル(1.6km)歩いた先にあるヘレンズバラ中央駅から臨時のバスに乗らないといけないのだった。首をすくめながら道を歩く。髪が、ジャケットが、カバンが、靴が水で滴っていった思い出のことを。そうした、タンスのなかに蔵われていた記憶が開けられたのは雨によってであった。

20220420

4月20日。今日書くことは昨日に似た話かもしれない。ある雑誌に載っている連載小説がおもしろいと思っていた。その内容はある女性が盲になり、言葉も話せなくなるという話だ。ヘレン・ケラーのような身体とでもいおうか。それはともかく、身体障害の歴史を考えるうえでおもしろい素材ではないかと思い、九段下にある図書室でコピーしていた。この連載は単行本にもなっているのだが、入手が難しいのと、雑誌には挿絵が豊富で身体障害者がどう描かれているかという意味でもおもしろいかなと考え、雑誌からコピーしようと思っていたのだった。あとで検めると、わたしのミスでコピー漏れが少しだけあり、次に訪れたときその分を補完しようと思っていた。それで図書室でくだんの雑誌を請求しようと専用のパソコンで検索すると目当ての号が出てこない。あれ、この号だったのではと思いつつ探すも見当たらない。号を控えておいたはずだとノートを確かめるもやはり見当たらない。コピーしたそれは幻だったのだろうか。狐につままれたような顔でスタッフに確かめるとその号は現在修理中で、パソコンには表示されないようにしてあるという。脱力するような話であるが、ままあることだ。

20220419

4月19日。ポストを開けると、厚みのある封筒で古書店の名前が印刷されていた。手にした瞬間にわかった。少し前に頼んでいた社会福祉関係の本だなと思う。机のうえにちょっと置きっぱなしにして、お茶をいれてから袋を破る。タイトルは『社会福祉の〜』で始まるものなのだが、袋から出てきたのは『社会福祉を学ぶ』だった。初めてみる表紙、著者名。パラパラめくると中身も求めている本のそれではない。

まったく記憶にないことだ。わたしはこの本を注文した覚えはない。袋をさぐって明細を取り出すと、たしかに目当ての本の名前があった。古書店が間違えて他の本を送っているのだった。双方において予定されていなかったことだ。頼んでもいない本が手元にあることや、明細にプリントされている書籍名との不整合さ、この本が欲しいのではないというわたしの意思といったことが目的地につながる楔として繋がるように点在している。ほんらい起こるべきことが起こらず、別の出来事が起こったという事象を理解する拠り所になっているということだ。それらの楔を見て、わたしはどうしたら目的とするあの本が手に入るのかという方法を見つけようとする。登山家が他のルートを探したり、車がほんらいのルートから逸れて別の道に入らざるをえなくなり、そこから元のルートに戻るための方策を見つけるまでのあいだのようなことだ。予定されなかったことを現実のタイムラインにつなげるための間とでもいおうか。わたしは古書店に違うものが届いたことをメールしようと判断するまでのあいだ、ほんの数秒もかかっていない。連絡をすると「調査します、折り返します」という旨の返信があったから、向こうも同じような気分になっただろう。ほどなくして交換に応じるという返信があった。

20220418

 

4月18日。昨日の日曜日、愛媛県の清見オレンジをジャムにする。レシピはグラニュー糖を入れて煮込むものでおおよそ、3つのオレンジで1瓶のジャムができる。しかしながら、楽なレシピではない。
まず皮を丁寧に洗い、ヘタを取ったものを半分に切って、皮をむく。皮の裏にはワタが付いているのでそれを削ぐ。実から薄皮をはいでいく。皮は沸騰させた湯で柔らかくしておいて、千切りにする。薄皮をネットに包んで実とゆっくり煮込んでいくと水分が弾けてねっとりした感じになってくる。ひとつのオレンジを皮、ワタ、薄皮、実という4つのレイヤーに分けていく過程があること、グラニュー糖を加えてさらに水を飛ばしていくことを考えると、ジャムはjamという名前のごとく、減算と加算を絶え間なく繰り返すことで、何かを極端に押し込めてしまっている。ウキウキして旅行の準備をするときに圧縮袋に衣類を小さくするために空気を抜いたり、朝の都市の満員電車はほんらいの定員を超えて人たちを無理やり車内に押し込めている。パソコン上では容量の大きいものを圧縮アプリで小さくしたり、リサイズしている。わたしたちはジャムのような日常を生きている。

20220417

4月17日。

最近見た印象的な夢のこと。わたしは左手に何か重いものを持っている。あまりにも重くて目覚めたが、手には何もなかった。カーテンからの光が青白く、早朝であった。早起きする日ではないから、とゆっくりと寝なおすと道路の割れ目から白いものがみえてきた。近づくと雪の風景を模したディスプレイが地下に作られていた。かまくらのようでもあるが、丸みを帯びておらず服を強い力で引き裂いたような入口になっている。
その割れ目のある道路にはガラス張りのギャラリーが面していて、アーティスト本人らしい方が立っている。見ていって、と言いたげに戸を開ける。一面の雪の世界になっている部屋しかない。テレビニュースでみるような豪雪地帯のようになっている。足を踏み入れると雪ではなかった。積み重なっているそれに頭を近づけると和紙と細かな白いビーズのようなものを交互に重ねているようすがわかる。
ギャラリーに親子らしい三人組がやってきた。わたしがみたそれはビーズのようだったのだが、かれらは楽しそうに白いものにさわったり、パンの生地のように揉み込もうとしていた。
外に出るとアーティストが付いてきた。かの割れ目はなく、わたしの実家の近くの風景になっていたので記憶のまま、「あの角を曲がると親が住んでいるよ」と話すとアーティストは「近いねー、やばいねー」と驚いているようだったのを受けて、「そこで書道を学んでいたんだ」と反対の方向にある家を指さそうとしたら、そこはカフェになっていた。
「なくなったのかもしれないね」
歩き出すと古本屋と画材店がある。画材店は入ったところが小さな展示スペースになっていて真っ白な紙に赤、黄、青を一筆、ふた筆とのせていったような作品。パンにジャムを塗った感じがする。奥は和室になっており、茶道をしている人がいて、茶碗顔を覆うかのように近づけていた。

ここで目覚めた。春の光。

20220317

3月17日。シュワー・シュワー・アワーズの報告書やら書類一式を整えて提出する。終わりがみえてきた。また、横須賀美術館から教育普及事業の年報をいくつかいただいたのを拝見した。長年こうした取り組みを継続されている姿勢がすばらしい。「絵の具の海でおよごう」という、美術館前の広場に15m正方形の布を開いて色絵の具の入った水風船を投げつけたり絵を描いたりするイベント。爽快な気分になれそうだ。

昨晩、大きな地震があった。一度はすぐ収まったが二度目が大きかった。ぐらぐらと揺れる照明。船に揺られているような感覚があった。わたしたちは陸地にいるにもかかわらず、流動的なもののうえに立っているようだった。この感覚は初めて。だいぶ前に大分から四国まで夜行のフェリーで渡ったときにぐらぐら揺れてなかなか寝られなかったことを思い出す。長塚節の『土』を読むと、ひんやりして不動の大地があるものだと思っていたが、そうした大地という概念すら揺らいでいた。

米が届く日。時間も指定してあるのだが、問題は玄関のインターフォン音が聞こえないことにある。ろう者向けの福祉機器でインターフォン音に反応して光る機能のある機械をもらっていて、それを頼りにしているのだが、それに加えてiPhoneのサウンド認識機能を利用している。インターフォン音に反応して表示が出るので常にiPhoneを置くことになる。電子工学的には、音に反応し、それを他の感知可能な方法に変換するということになる。これらの機器が耳で聞くという機能がないこの身体の身代わりとして働くものとなっている。この身代わりあるいはDummyというものは身体障害と深い関連があるように思う。

20220316

3月16日。日記を書かねばならないのに3月があっという間に半分になってしまったのであせっている。3月5日にシュワー・シュワー・アワーズを終えることができ、ACYに課せられていた最終報告会も10日に終えることができた。執筆や書類作業、いろいろと締切を乗り越えてきているところにある。

あまりにも世の中の動きがめまぐるしい。どのニュースもロシアのウクライナ侵攻のことを逐次伝えているからだ。NATOの存在、ロシアの政治思想・歴史が複雑に絡んでいて、今日はロシアが欧州評議会を脱退したという報道。戦争から4週間が経とうとしているが、まったく収まる気配はなく、ウクライナ国内にある原子力発電所も攻撃されている。状況は膠着しており、日が経つにつれてロシアの立場は危うくなるばかりだが、南東部で着々と領土を占領しているのでどうなるかまだわからない。わたしはかつて、「知覚のクラッシュ」という論文で、辺境について権力が及びにくい曖昧な帯域だと引用して書いた。わたしたちの生活圏において、リキッドに作用しうる辺境の重要性を今回の出来事から思う。
昨日はロシア国内でも国営の「チャンネル1」に戦争反対と書かれた紙を掲げたスタッフが登場し、「プロパガンダを信じないで。ここの人たちは皆さんにうそをついている」と書かれた紙を掲げた。ツイッターをみると彼女を讃える内容がみられるのとうらはらに、キャスターが平然としゃべっているし、カメラも微動だにしないために強い違和感が残る。この紙を掲げたスタッフはいったんキャスターの後ろ側に立ったのに、すぐに横に移動している。書かれたメッセージがキャスターの頭に隠れてみえないのに気付いたようだった。つまり、スタッフの視線にはリアルタイムのテレビ画面が確認できたのではないか。そのことを考えると、キャスターが背後に気づかないことはありえないことで、カメラも反応しないのは違和感があった。彼らの感覚がスタンしているかのように。

前後する。10日は受けている研究助成でメンバーとひさしぶりにzoomをして、今後の計画について共有する。春になったら内輪で研究会をすることになったので、それまで集中しないといけない。

12日、江ノ島まで杉山和一ゆかりの跡を追うために友達と出かけた。その内容はこちらでも書いた。江ノ島は藤沢宿から逸れて参詣するコースにあって、目前に海が開けるとともに島が姿をあらわしてくるというパノラマがおもしろい。高橋由一が江ノ島を描いたとき横に細長かったことを思い出す。

13日にウィリアム・ハートの逝去が報じられた。ろう者のコミュニティではマーリー・マトリンとの共演である『愛は静けさの中に』で知られる俳優。2009年に出版された、マトリンの自伝”Ill Scream Later”もあらためてニュースになっていた。それはハートから性的虐待を受けていたことがあるというもの。この自伝によれば、マトリンは彼との2年間の関係を共依存(codependent)だったと表現している。交際当時、ハートは飲酒をコントロールできずにいたこと、マトリンはコカインやマリファナをしていたことも。二人の関係はスイッチのオン・オフが激しく、感情的なものだった。

また、初恋の男性をはじめ、マトリンの恋愛遍歴も書かれているのだが、しかしそうした内容だと読むべきではなくて。現在を生きる、ろう女性の内面が伺える点がこの自伝の重要なところだろう。1988年のアカデミー賞の主演男優の授賞式のこと、マトリンは前年に主演女優賞を受賞しているのでプレゼンターをしている。その候補にウィリアム・ハートがいて、彼に受賞してほしくないと思っていたという。すでに破局していたが、それでも。しかしそれ以上にマトリンはろう者が口のきけない(mute)という思い込みにたいして、「声を出して話す」(aloud)することを決めていたことに意識があったようだ。プレゼンする前に言語聴覚士とトレーニングをしたという、そのときの映像が上に載せているもの。
また、印象的なのはミシェル・ファイファーと結婚したデヴィッド・ケリーとのエピソードだ。マトリンとケリーが恋人となり、ふたりの関係が深まってゆくと目と口による会話になってしまい、コミュニケーションがかえって難しくなったという。マトリンによれば、my languageつまり手話をケリーに覚えてもらい、ろう者の世界に入ってもらう必要があったけれど、ケリーが成功していくにつれて二人の関係が悪くなったことが書かれている。異なる身体、文化、言語、コミュニケーション方法によってすれ違いが起きることは、マトリンだけの経験ではない。ロシアとウクライナのように二者のあいだにある世界の同化・異化がけたたましく揺れぶられているのにわたしたちは巻き込まれている。

20220302

3月2日。前回は2月23日だからまるまる1週間、日記を書くことができなかった。ドラフトは書いていたのだが、言葉にできなかった。もっと言うと言葉を奪われていた。24日からロシアがウクライナに侵攻し、町に激しい攻撃を加えているさまがSNSや写真やニュース映像、報道が2月24日から朝夜問わずわたしのパソコンやスマートフォンの画面を滑っていき、これから熾烈になることは容易に予想された。消耗されたミサイルの数や破壊された戦車や装甲車、崩落した橋の映像はある一地方の社会・空間が崩壊したあとの断層をみせている。ショッキングだと一言でいえばすむかもしれない。けれども、それ以上にわたしが言葉を失ったのは、大国に立ちはだかるウクライナの人たちを讃える言葉や、兵士にまつわる美談である。パトリオティズムではなく、社会の不可視性のことだ。筒井淳也『社会を知るためには』にもあるように、社会はほんらい全てを見通すことはできないのに、戦争という状態は社会をひとつに圧縮しているように見せられることを目の当たりにしていたのだった。社会を完全に俯瞰することなどできないのに、すべての世界、すべての社会が戦争に頭が向けられている。また、戦争は真実として起きているのに、イメージの消耗品としても存在していて、ウクライナがロシアを撃退するというドラマが期待されているようにもみえたのだった(軍のシンクタンクの分析を見ればわかるようにそれはたいへん厳しい)。真実とイメージというふたつのことがかなたから亡霊のようにミサイルとして飛んできて、自分の足元がひどく脅かされているように思ったのだった。そうしたことにこの1週間、言葉を奪われてしまっていた。まとめていえば、この1週間、戦争はわたしを唖にしていたのだ。

20220223

2月23日。ロシアがウクライナに侵攻しようとしており、緊張感が高まっている。電光石火でしかも全面的に攻撃を仕掛けるようだ。予想されたことではあるが、戦争は終えるのが難しい。Along the Waysideで確認すべきところがあったので文献を読み、事実関係を考える。ほか、シュワー・シュワー・アワーズで必要な資料を収集。夜はスキャンしたものを整理した。ところで、図書館からの帰り道、Suicaの定期を拾った。名前にはフルカワとあり、年齢と学割のマークがあることから高校生のようだった。ちょうど古河太四郎(京都盲唖院の初代院長)が映る写真を買ったばかりなので軽く驚きつつも交番に届ける。奥から髪の乱れた巡査が出てくる。お疲れのようすだった。落とし主から謝礼は必要か、などと聞かれるが要らないと答えて出る。

20220222

2月22日。わたしの誕生日。だからというわけではないが、昨日スーパーで買い物をしていてひき肉がセール中だったのを買い求めてあったのでハンバーグにする。最近気に入っているレシピがリュウジさんのハンバーグで、ゼラチンを入れるというもの。これを厚めにして蒸し焼きにするのだが、ぎゅっと旨味が詰まっていて本当に美味しい。あわせて買っておいたキャベツの千切りを添えていただく。ひき肉、たまねぎ、卵、パン粉でつくられたものにハンバーグという名詞が与えられている。名詞というのはひとつの認識体なのだと思う。わたしと何かを区切るための。
Along the Waysideの10回目について原稿を整えたが、確認したいところが出てきたので図書館に行く必要が出てきた。WorkFlowyで閲覧すべき本をメモする。

20220221

2月21日。大学に出かけて諸々の作業を進める。電車で向かう途中、わたしはツイッターでたまたま流れてきた「現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか」という記事を読んでいた。残された印鑑の姓が珍しく、身元が特定されたという内容で、幸せな時期もあっただろうと思う。その女性の人生を親族や知人が振り返ることで、ひとつの人生が記事に圧縮されていた。それを読んでいたとき、大倉山駅で向かいの電車とすれ違う。向かいの電車のステンレスに陽光が反射し、光が窓を超えてこちら側になだれ込んでくる。さらに車内の手すりのステンレスやディスプレイにも反射が乱舞していく。幾重にも電車のなかをキラキラ、カラカラと走り抜けていき、あっという間に消えた。そのとき、わたしにはあの光がその女性の人生を彼方に運んでいったようにも思えたのだった。わたしはブラウザを止めて、iPhoneをコートのポケットに入れて外の風景を眺めていた。

20220220

2月20日。今日の予定はオンライン・ミーティングひとつだけで今後のプランについて突っ込んだ話をする。ほか、京都新聞で連載しているAlong the Waysideの原稿の準備をはじめたほか、収集してあった史料をあらためて読む。
前に写真美術館でみた、潘逸舟 《トウモロコシ畑を編む》にかんするインタビューがよい。引用する。

――メインとなるのは30分近いパフォーマンスの映像ですが、2m近くのトウモロコシの畑に隠れて、その中を進む潘さんの身体はほとんど見えません。変わりに聞こえるのが、複数のスピーカーから流れる、ガサゴソという音です。

潘:トウモロコシ畑の間を通りながら、自分がトウモロコシの葉と擦れていく音の痕跡を素材にサウンドインスタレーションとして構成しました。擦れる音は、摩擦であると同時に出会いでもあるんです。どんな土地にしても社会があり、それぞれにの土地に対して記憶があったという時に、その記憶はすごく個人的なものもあれば、共同体的な記憶もありますし、錯覚的に、この土地に初めて来たけど見覚えがあるということもありますよね。そういったものは、自分が生きてきた社会や教育されてきたもの、見てきたものとどこかで接続しているはずで、その接続がどういう作られ方をしているのかということも、やりながら考えています。

摩擦であると同時に出会いでもあるということにしっくりくる。鉛筆の炭が紙をこすることができるのは摩擦によるからだが、こう考えてみれば摩擦の存在しない社会では何も表現できず、思い描くものができないのではないか。

20220219

2月19日。東京都現代美術館でのシュワー・シュワー・アワーズ「身体から響く音楽をさがしてみよう」に向かう。クリスチャン・マークレー展に関連してのイベントである。電車のなかで新書を読みながら移動。清澄白河で降りて、東京都現代美術館まで歩いていく。気になっているベーカリーが駅近くにあるのだが、この日は休み。土曜日なのにめずらしい。先日通ったときは店主の怪我で休みますと掲示があったので怪我の具合が思わしくないのだろうか。踵を返して歩む、この道は下町の残影があって平坦で歩きやすく、いいカフェもある。住んでみたいところだ。タワマンを目指す。都現美に行くには美術館ではなく近所のタワマンを目印にすると自然に美術館がみえてくる。ある目的を達するためには目的そのものを目指すのではなく、その近場を目指すということだ。
美術館に着いて、関係者と会場のセッティングとして椅子とビデオカメラの位置を確認する。グラフィック・スコアの概念なり、クリスチャン・マークレーの作品はコンセプトにもあるように視覚と聴覚を行き来することができるという特徴がある。その背景には写真やレコードといった近代メディアによって見る/聞くということの分断があるということをマークレーのアイディアによってつなぎ直されているように思う。
時間になり、シュワー・シュワー・アワーズが始まる。展覧会を見てからトークをするプランなのでエントランスに集合して参加者の皆さんと挨拶。展覧会に案内していただく。キュレーターの藪前知子さんもいらしている、藪前さんがじっと作品の前に佇んでいるところを見かける。その後ろ姿からはいったいこの人は展覧会にどれだけの情熱、時間をかけただろうかと思う。トークの内容は身体から響く音楽を探そうということで、ある方が《グラフィティ・コンポジション》で短いパフォーマンスをされたのだが、雨に濡れたあとに乾いたらしい紙や破ける紙の表現も織り交ぜられていてすばらしかった。後片付けを終えて外に出ると雨が下町を濡らしていて、マークレーのその作品にあった雨に濡れて傷んだ紙が今もどこかにあるようだった。

20220218

2月18日。仕事の帰り道にスーパーでいちごを買った。通っているスーパーはレジ打ちに若い人もいれば、明らかに定年後の方もいる。後ろを見やると、疲れた顔でレジを待っている行列がある。レジを通しているあいだに、モゴモゴとマスクに覆われた口が動けば、わたしはポイントカードを差し出して、トレーに置く。行列を一瞥して、耳が聞こえないですと伝えるかどうか迷う。機械に通されたポイントカードを財布におさめる。意思疎通ができなかったら耳が聞こえないと伝えよう。わたしのカゴが空になると、またかのマスクが動く。支払方法を尋ねているのだと推測して、カードを示す。またマスクが動く。一括かどうかを尋ねているのだと考えて、「はい」と答えると正解ですと言わんばかりにわたしはレジを通ることができる。そのレジ打ちはわたしがろう者ということにおそらく気づいていないだろう。多くの身体障害者はいかにして「ふつう」に溶け込めるかということを教えられていて、障害を気付かせないことが善いことだと考えられている時代はまだ続いている。マスクだらけの社会になって気づくことだ。

20220217

2月17日。無人島プロダクションで開催中の荒木悠さんの個展を訪問しようと思ったが、恵比寿映像祭がもうすぐ終わるということに気づいて、予定を変更する。この展示は毎年訪れているが、今回は近代の展示の密度が目を引いた。小原真史さんが担当された「スペクタクルの博覧会」で作品が楕円になるように集めて構成するところが目をひいた。テーマのスペクタクルは視覚文化論でかならず引き合いにされる言葉だけど、この展示ではむしろ、視覚的なるものよりもそのオブジェ性、肌触りといったものがあった。それはひとえに、印刷技術によるものでざらついた感のあるポストカードやツヤっとした写真の表面のことだ。
スペクタクル以後の展示では、ひらのりょうの《Krasue(ガスー)》がとてもよかった。現実はそんなものさというラストシーンがとくに。その瞬間、前の席に座っていた女性がビクッとして、肩まで伸びたうねった茶髪がグラッと揺れたのだった。

20220216

2月16日。新しいゲラが届いた。書けば書くほどゲラも届くことになる。学期のレポートも続々と集まってきて、断続的にメールも入ってくるのですぐに返せるものはその場で返信をする。そういうわけでデスクワークのみにならざるを得ず、昼がご飯に豚汁だけという軽い食事だったので、夕方にお腹がかなり空いてしまい、五郎島金時の焼芋を手にする。焼芋は「ねっとり」か「ほくほく」があるが、きのこの山とたけのこの里の論争のようなもので、わたしにとっては好みの問題。どちらも好きでわりと適当に食べてしまう。その焼芋の表面にある乾いた皮膚の感覚とその内側にある黄金色の甘味の対比にゾクゾクする。見た目も手ざわりも異なる一枚の皮を隔てて新たな世界があることに。

20220215

2月15日。寒い朝を起きるのに一苦労しているが朝のコーヒーを楽しみに起きているところだ。昨日通った美容院でシャンプーをしてもらい、帰宅する前だったので整髪料をつけないまま店を出たのだった。だいぶカットしたので街なかを冷たく漂っている風が首筋にあたる。風呂のときには頭を軽く流しただけだった。起床すると枕に短い髪の毛がパラパラと少し落ちていた。
ゲラがどたっと届く。来週までに確認しないといけない。夜遅くまで作業を続け、シュワー・シュワー・アワーズの準備も一段落しつつある。わたしの家は丘の上にあるのだが、机の横にある窓からレース越しに夜の街を見下ろすと星々の街灯がぼんやりと、わたしの部屋を宇宙のなかに投げ込んでいる。

20220214

2月14日。チョコレート。夜になりかける時間、今年はじめていつもの美容院に出かける。お世話になっていた方がご結婚されて千葉に引っ越されていかれた。その美容院はハワイアンな感じで、くすんだ色の木目で構成されているが、高いところに神棚もあってどこか異国から見た日本のような気配がしている。いろんな漫画を置いていて、カットしてもらいながらそれを読む。今日はいつもは挨拶だけだったスタイリストにカットをお願いする。どんな風にしますか?と聞かれ、いつもはセンターパートっぽいのか、耳の上長めで髪を立たせるぐらいのが多いですねと曖昧な答え方をすると、髪を見ながらじゃあ、このぐらい切りますか?と髪をつまんで提案される。ちょうどいい感じでのそれでお願いしますと答えて、ここだけは長めに残したいと耳の上を示す。わたしはくせっ毛で耳の上はとくに寝癖がつくとなかなか直らないので、長めにしてもらっているのだった。けっこう梳いてもらったぶん、やや短い感じだったけれどもそれなりの仕上がりだったので次もお願いしよう。いま、カットのときに読んでいる漫画は冨樫義博の『幽☆遊☆白書』だ。霊界探偵編の途中なのでまだ前半だが、幽助の生きる世界とパラレルにいろんな世界があって、登場人物たちがそれらの世界を自由に行き来できるわけではないのは、ろう者が聴者の世界を自由に行き来できないことに似ている気がする。図書館にて戦後の雑誌をたくさんリクエストし、リサーチをする。

20220213

2月13日。連休の最終日なので出かけようとも思ったが、寒いし、〆切の近い仕事も溜まっているので家の机で作業をする。このときに手元にA4の反古紙がないと作業がうまく捗らない。この反古紙というのはミスコピーの紙だったり、もう使わないプリントの裏側、どこかからのDMの裏などである。紙質も違う。これらを束にしたものをキーボードの前においていて、何かあれば鉛筆でメモをする。用済みになったらその部分を塗りつぶしたり、紙を破ったりして捨てる。この行為をしていて気づくのは記憶は内側だけにとどまっているものではなくて、外側からやってくるものと合わさってはじめて記憶になるということだ。もう少しいうと、わたしの思考と行為の結果、文字、録音、映像といったフォルムが残る。その外側にあったものが再びこちらに返ってくるとき(メモを見る、映像を観るなど)にわたしの身体と凹凸の関係になるように思う。

20220212

2月12日。雨が降り、雪もまた積もるというニュースで朝から体が冷える。今年の冬は雪が多いようだ、北陸や北海道で豪雪のあまり、地元の方が除雪に苦労されているという記事をよくみるようになった。朝から暖房の温度を少し上げ、リンゴをむいたお皿を手元において締切の近い書類作成やシュワー・シュワー・アワーズについての広報など雑多な作業に集中する。その意味ではあまり記憶に残らない、ごく平凡な一日。
浜口タカシ『北海讃歌』が届いた。北海道で撮影した写真集で、全体的にかなりざらついた写真で、眺めているだけで自分の身体がいっそう冷え込んでくるのにたいして、民謡や浜口の文章も少し入っていて、カイロのようなほのかな暖かさもある。深沢七郎の『楢山節考』でも民謡が差し込まれていて、息子が母を背負って冬の山に分け入ってゆくところは寒々とした荘厳さがあったことを思う。

20220211

2月11日。雪も解けており、陽射しの良い休日、本を抱えて外出する。電車に揺られながら北村紗衣 『批評の教室』を読む。新書なのでページをめくるのもはやい。府中市に着いて、府中市美術館にて「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」をみた。池内さんの作品はDOMANI・明日展(国立新美術館)や新・今日の作家展(横浜市民ギャラリー)などで見たことがあるけれど、個展は初めてみたのではないかと思う。わたしが動くたびに糸が見えて、風景が姿をあらわす。《Knotted Thread–red-east-west-catenary-h360cm》という作品がとりわけすばらしい。張力と重力が形となった作品が成立している。リーフレットにはそのサンプルとなる糸も貼られている。展示室で流れている動画には池内さんが糸を操る/巻く行為が記録されていて、その行いもまた作品の形として残存している。常設展で宇佐美圭司を見る、逆になった円錐の上を動くあの宇佐美独特の身体のシルエットが暴力というものを攪拌しているように思った。帰り、電車の中にサングラスにおかっぱ、黒いマスク、黒いコートの男性。ずっとメモを片手にスマホで何かを入力していた。お洒落なピンクのプリーツパンツを履いた女性。

20220210

2月10日。雨から始まる一日。天気予報では大雪の予報が出ている。今度、3月5日に予定しているシュワー・シュワー・アワーズの準備に集中していた。一言でいえば、これは美術館の展覧会をみて、その感想をざっくばらんに話し合う会だ。わたしは歴史家なので、何の関わりがあるのかと思われるかもしれない。だけれども、ろう者が社会との関わりを広げていくことと、いろんな人が在ることを実感できる社会を作っていくという意味では歴史研究とその成果(著書や論文の公開、研究発表など)を出していくこととさほど違わないように思う。窓を見やる。脇には積ん読の本がある。週末に読まなければならない。灰色が白に変化していき、雪がうっすらと積もりゆく。

20220209

2月9日。午後から横浜市民ギャラリーへ。月末から予定されている展覧会「モノクローム ―版画と写真を中心に」にあわせて実施するシュワー・シュワー・アワーズという、手話と日本語のある鑑賞会のために文献調査をすすめた。公刊されている資料を拝見しながら、全体のプランを考える。この展覧会では、一原有徳や斎藤義重の作品が展示される予定だ。かつてこのお二人の作品を見たことはあったけれども文献をこうして検めるのは初めてで、知らないことも多くあった。一原は小樽で約40年公務員として勤務しながら創作を続けたというが、こうした何かひとつのことに打ち込む人はいつの時代も眩しい。18時を回るまで読み、すっかり暗くなったギャラリーを出て図書館までの道でパンを食べながら歩いていく。街灯が遠く、パンの肌色がうっすらと青銅になっていて、チョコチップが真っ黒に粒々としていた。冬は未だ続く。

20220208

2月8日。昨日の授業が終わり、空気が抜けそうになっている風船のように少ししぼんでしまっていた。人前に立つというのは、オンラインでは得られない張り詰めたものがある。時間と空間を共有しているだけでなく、授業を受けているみんなの目は瞳がぬめっていて、わたしが映る鏡となっているということだ。「鏡の中に火を見ることもできた。」(フォークナー『響きと怒り』) わたしが小学校のときに使っていた物差しにシルバーに光る象さんのシルエットがあって、そこに太陽の光が当たっていた。それを動かしていると反射する光が壁から黒板に移ろいてゆき、授業をしている先生の目に到着すると先生が眩しがって「木下くん!」と怒られた。あのようなことだ。あのような、火を向けられるような体験を教壇に立つときにいつも思う。

20220207

2月7日。朝の気温があがっていて、気持ちよく起きられる。朝はいつも弁当を作りながら朝食を食べているという「〜ながら」。しかもこのときにスマホに入れている今日の予定も確認している。そういうわけでこの日は本年度の講義を終えたけれど、採点も待っている。もう少しというところだ。最近の授業で、1902年に出版されたヘレン・ケラーの自伝”The Story of My Life”について話したのだけど、これはタイトル通りの自伝ではなく、当事者が語られる/語ることによって視線が交わされるという構造になっているのが最大の特徴だと思う。というのも、目次構成が以下のようになっているのだが、ヘレンの自伝に該当するのは「I. THE STORY OF MY LIFE」だけでそれ以降はヘレンと関係者の往復書簡やヘレンの教育について書かれているからだ。

I. THE STORY OF MY LIFE
II. LETTERS(1887-1901)
III: A SUPPLEMENTARY ACCOUNT OF HELEN KELLER’S LIFE AND EDUCATION
 CHAPTER I. The Writing of the Book
 CHAPTER II. PERSONALITY
 CHAPTER III. EDUCATION
 CHAPTER IV. SPEECH
 CHAPTER V. LITERARY STYLE

Iが岩橋武夫の全訳になる『わたしの生涯』として刊行されている。これがわたしたちにとってヘレンのイメージ形成の元であろう。

20220206

昨晩、小説家の西村賢太さんが亡くなられたことを知った。わたしは西村さんの熱心な読者ではなかったが、「廃疾かかえて」「痴者の食卓」という身体障害を指し示す語句を表題にしているところに惹かれていた。というのも、明治・大正の日本では身体障害者を明瞭に定義する用語がなく、かつてからあった語句がひろく使われていた時代だった。そのひとつが廃疾だ。それを、障害者ではないものが自らを指していうことがあった。末廣鉄腸の『唖の旅行』という海外旅行の体験を書いた本がある。一見したところ、末が唖者(話せない人)が旅をした内容にみえる。しかし末廣は唖ではない。この表題を採用しているのは、外国語が話せない環境に着目してのことだ。つまり、異国の地においてその言語を話せない環境にいる自分を唖とたとえている。西村もまたあの時代の身体性と言語感覚を宿しているように思っていたのだった。ツイッターでは彼の逝去を悼むツイートがたくさんあった。砂糖をやや多めに入れた卵焼きが甘い。

20220204

2月4日。補講のために大学へ。授業の準備などで時間をかけたので、執筆とリーディングを休んでいる。しかもメールの返信も遅れているものがいくつかある。新型コロナウイルス感染症の関係で授業内容の録画もする。自分が話しているところを見ると、どうも手話が小さすぎるのではないか。もっと大きく、のびのび見せたい。
帰宅するのが遅くなってしまう。今夜、北京オリンピックの開会式について、ろう者が手話通訳のフィーダーと組んで通訳をするいわゆる「ろう通訳」が昨年の東京オリンピック閉会式と同様の方法で付けられていた。少しずつ進展しているのを実感するが、まだ課題も多い。たとえば、「ろう通訳」の認識性だ。SNSでは「ろう通訳」を「手話の人」とするものが散見される、手話が言語であることがまだ充分に認識されていないのではないか。たいへん釈然としないものをおぼえる。

20220205

2月5日。とんでもなく美しい風景を夢でみることがある。今日は岬の上に建つホテルで白を基調にした部屋で横に細長い窓から海が見える。夏の空のようにもみえる海で重力が入れ替わったかのようだった。だけど、トイレの横にある縦に細長い窓に近づくと黒に近い青の海だった。そこで両親と3人できていた。父がこれから転職しようかと思うと言い、どんな仕事がいいと思うかなと問う。わたしはまず思いつくだけ言ってみようと紙に書き出した。ホテルのロビーに出るとわたしはお笑い芸人になっており、多くの人たちの前でパフォーマンスをせざるをえない状況に置かれていた。また、その様子をわたしは写真家として撮影をしており、撮影したものもロビーに掲げられている。誰か分からないが著名な写真家がそれに点をつけており、わたしのものは素人だと批判されていた。ようやくわたしの撮影した写真1枚だけが評価される。
このあたりで目覚めた。夢の余韻を引きずりながら、オンラインでの研究会に参加し、ひさしぶりに他の先生方の発表や議論をうかがう。クローズドの研究会だったのでここではその内容を書くことはできないのだが、問題意識の射程のある研究は人を引き付けるし、突っ込まれてもそこから広がりを獲得していけると改めて思う。研究会が終わり、クロワッサンを食す。

20220203

2月3日。スーパーで太い大根が安買ったのでサラダにしようと一本買ってあったものを冷蔵庫から取り出す。葉に近いところを切り出して千切りにするために皮を薄くむいて、円筒に見立てる。それを上から真っ二つにするように端から薄く切っていく。それを倒したものをさらに切っていくと細長くなっていく。軽く水にさらし、水を切ったものを皿に盛り付けて、オリジナルの和風ドレッシングを軽く添えると大根サラダになる。シャリとひとつひとつが細長いものが絡まりあっているところに、褐色のドレッシングが侵入せんと白い領域を犯してくる。この一週間ほどは時間がブツブツと途切れ途切れで、何かをしていると断続的に別のことが入ってくるからだ。24時間から成る1日が外からの出来事によって千切りにされていき、束ねても元に戻ることはない。それを箸でつまんで、口に運んでいるとこのサラダが、最近の時間のありようにもみえてきたのだった。もう少し丁寧に作らないといけない。

20220202

2月2日。2が続くのは、この日と22日。世の中は新型コロナウイルス感染症が軸となって高速度で回転していて、何がどうなるのか見通しが立ちにくい。あちこちと連絡を取り合い、書類を作成することに集中する。新しいプロジェクトが4、5つほど同時進行しているので、見失わないようにするのがたいへん。
アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの身体表象について博論を書き、学術書を刊行されているサラ・ポラックさんのトークをみた。著書によれば、ルーズベルトは肢体不自由があり、車椅子を使用していた。彼はラジオによる演説を好んだが、その背景にはラジオというメディアの特質として、自らの身体を見られることがないという点を指摘されている。その車椅子に乗る様子は写真に撮られないように細心の注意を払っていたが、没後に車椅子に乗っている写真が見出されてたあとは、その障害を克服するというメタファー、困難に立ち向かうヒーローとしてのルーズベルトといった演出がみられる。例として、彫刻や映画といった文化表現として。また、ルーズベルトは1928年から45年にわたる自らの演説や公文書を書籍にまとめ、自らの図書館を設立している。ルーズベルトは自らのイメージをコントロールしようとしていたという分析をされている。それを伺ってすぐに伊藤博文のことを思いだす。伊藤も自らの関係文書を大量に残しており、生前に自らの全集を編纂しているからだ。それに、昨今のSNSでのわたしたちのペルソナとしての振る舞いがそこかしこにある。そんなわけで、自らのパソコンの画面を眺めている時間が長くなると、窓から遠くの風景を眺めて、最近やりたい研究のことを考える。
夜は4時間ほどキッチンに立ち、料理に集中する。そのなかでも豚汁は体が温まるのでこの季節によくつくっている。作りたての豚汁はラードのような脂が熱を逃がすのをシャットアウトしているためか、体に流しこむと温まってくる、とてもおいしい。

20220201

2月1日。パスタにチーズをかけて食べながらニュースを見ていたら、熊本県産のアサリの97パーセントが外国産であるということが伝えられていた。中国産のアサリを熊本県の干潟にまいたものを熊本産として出荷していたという内容で、中国産と表記すると売れないことを顔のブラインドされた業者が話している。最後に、ある業者が産地偽装をしなくても成り立つ業界にしたいと決意表明をして終わる。こうしなければならない理由として、輸入食品については検疫所がモニタリングをするというのが一般的な理解であるにもかかわらず、安全性にたいする強い不安がひとつはあるだろうし、味の違いもあろう。でも、地名という言葉のイメージもあるのだと思う。バフチンの『小説の言葉』で、「諸言語の裡(うら)には、具体的な社会的・歴史的な衣装をまとった話者のイメージを見てとることができる」(平凡社ライブラリー、p.149)と書いているように、それが生まれ育った土地を示す地名はその社会・文化をもまとっていると考えてみれば、そのまとうものは一枚ではない。その地名が属する国家と、わたしが立っている土地が属する国家との物理的距離、政治・文化的交流、ひいては中国、熊本といった地名にたいする個人の思い出が幾重に覆い包まれている(それにしても「中国産」はあまりにも広すぎる。このアサリは中国のどこで生まれたのだろうか)。今を生きるわたしたちだけでなく、過去を生きたわたしたちがその地名において形成してきた事柄が、「中国産」のアサリに「熊本産」をまとわせてしまっている。あの広大な領土をもつ中国を、日本のひとつの地方公共団体である熊本が覆い包んでしまっている! チーズを手にとって残ったパスタにかける。テーブルに置こうとしたとき、チーズの容器の背中をひっくり返してラベルを確かめる。そこにはニュージーランドと書いてあった。

20220131

1月31日。月曜日は平日というよりも、「ザ・平日」のようだ。起床してコーヒーにトースト。その合間に冷凍庫からご飯を取り出してレンジの「解凍」「温め」がセットになっているようなモードであつあつにしたのを元に弁当をつくる。それが済んだら身だしなみを整えて外へかけだす。これが基本的なことなのだが、今朝はマフラーが見当たらない。まあいいやとピーコートの襟を立ててまだ寒い道を歩いていったのだけれど、電車の中で読書するためにリュックを開けるとそれが入っていた。こんなところにいたのか。それを首に巻きなおした瞬間、冬の日常が羽音を立ててやってきた気がする。
授業でジョン・ヴァーリイ『残像』について検討することもあり、再読をする。ケラーなるコミューンを訪問する男の話だが、このケラーというのはヘレン・ケラーから来ているのだろう。1978年に書かれたのだからヘレンの没後になるわけだが、これを読むと濃厚にヘレンの香りがしてくるのだ。たとえば『残像』では線路の両脇にある柵に手をあてながら機関車を動かしているシーンがある。一方で、ヘレンは柵を手がかりに毎朝の散歩をする映像と照応できる。こうした、ヘレンの事業がこの小説の随所に散りばめられているように思う。

20220130

1月30日。起床してゆっくり洗濯機を動かす。水が注がれはじめるところに溜まりに溜まってしまった服を投げこんでいく。その間に、コーヒーを淹れ、昨日のツナサンドの具が残っていたのでそれを朝食にする。将棋の王将戦の2日目を見ていたいのを我慢し、ここのところできていなかった読書をする。借りていた本や課題図書が山になってしまったので崩すべくまとめ読みをしていく。ツイッターを見ていると読みたい本がいろいろ出てくるのですぐ買わないようにしなければならない。頃合いをみて、洗濯物を干して、昼はアサリのチャーハンを挟む。また、このサイトの文字が小さいので大きくするべくcssを調整したが、こうした作業に慣れておらず、悪戦苦闘する。各ポストのフォントサイズを大きくできたが、トップページのは一部しか変更できなかった。このポストは大きく見えるはずだ。

20220129

1月29日。土曜日の朝はいつも楽しみがある。今朝は普段のように目覚めたのち、新聞を読んでいたらツナサンドを食べたくなったので、バターで炒めたパン粉のツナサンドを作る。ついでに卵サンド。ネットニュースを見たら、将棋の王将戦3局が始まっている、ゆっくりとした出だし。この出だしのようにわたしも外出し、佐々木健「合流点」を見に行く。元はと言えば、田中功起さんのツイートが知ったきっかけで、相模原での殺人事件を対象にしていることもあって見に行きたいと思っていた。だけどその年末年始は仕事が多くて会期間際になってようやく行けたという体たらくである。そのあいだに『美術手帖』で佐々木さんが飯山由貴さんと対談しているのがおもしろかったし、少し前に梅ラボさんが黒嵜想さんと一緒に出かけたとツイートをしているのを見ており、行かなければならないなと思っていた。というか、黒嵜さん、横浜に来てくれたんなら一言声をかけてくれ!
京急線で金沢八景駅まで。横浜市立大学の最寄駅で、そこの図書館は横浜市民が利用できるようになっているが、この新型コロナウイルス感染症の状況からして利用できないだろう。また、大学のすぐ南側に1軒、蔵のあるよい門構えの家が電車からみえる。なんだろうか。その駅で降りてすぐに京急バス、鎌24番に乗る。この路線は初めてなので、グーグルマップを見ながら景色を眺めていた。途中にブックオフがあるようだ。このあたりでバラの花が全身にプリントされたコートという奇抜ないでたちの男性が乗ってこられた。一目見たら忘れられない柄。この路線に乗るたびにそのことを思い出すかもしれない。鎌倉霊園のあたりで坂を上下し、十二所神社を通り過ぎると会場「五味家」である。どういうご縁かなと思ったが、佐々木さんの祖父母が住まわれていた家で、いまは佐々木家で管理しているとのこと。玄関のドアが開いていて、それなりに靴が並んでいた。繁盛しているようだった。6畳もないぐらいの小さな応接間に通されると、ホームビデオの上映にどこかからの土産品、文庫が並んでいて、天井に近いところには佐々木さんのお兄さんが書いたものを佐々木さんが「模写」した絵画作品。さあっと見渡していると、高齢の女性(あとでわかったが佐々木さんのお母様とのこと)がお茶とお菓子を運んで来られたので、展覧会に来たというよりは誰かの家に遊びに行ったようだ。くつろぎながら映像を見ていた、女性がスピーチの練習をしていて、途中でお兄さんが我関せずとしているという対比。
お母様が作成された佐々木さんのお兄さんのプロフィールを冊子にしたものをみる。随所に愛情がにじみ出ている。そのにじみ出ているものは、知識の引き出しのひとつを開かせた。それは坂本義夫が書いた、岡山孤児院の本で明治40年に出版されたものだ。この中に、ある地からたった一人で周りの助けを借りながら岡山孤児院にやってきた子供の物語がある。その子の首には「履歴袋」というものが下げられていて、子供の名前、両親のこと、家庭のことが記されている。それによれば、父がダイナマイト事故で失明してしまい、母は子供を捨てて逃げてしまったこと、父もまた事故で亡くなり、子供だけが残されたことが書いてあった。この子の運命をわたしは知らない。

佐々木さんのお兄さんのことがまとめられたその冊子が、施設や周りの人との交流において機能しうる意味において、またプロフィールという語の本来の意味である、その人の輪郭、その人を語るという構造において、明治の一人の孤児の物語の変形質のように思ったのだった。遠い未来のいつかの日、佐々木さんのご両親がこの世からいなくなり、お兄さんと佐々木さんの二人だけがいる世界において、その冊子がますます光をもってくるさまをわたしは想像していた。たまたま隣にいた人が知人であったことに気づき、しばらく話をしていたのも何か人の家に遊びに行ったという感覚を強くしていた。
応接間を出て居間に出る、6畳と8畳をつないだ部屋で床の間や縁側も含めたら20畳はあろうか。お兄さんの肖像画、相模原での殺人事件の現場のすぐ近くにある相模川の風景画や佐々木さんの文章などが展示されている。その文章は昨年の7月末に書かれたものだった。相模原での殺人事件から崇高の問題にアプローチされていて、3年前にテートブリテンに通って近世絵画を見ていた時間と重ねてながら見ていた。庭をうろうろして、戻ったところで男性に腕をたたかれて呼び止められる。その人が佐々木さんだった。立ち話からソファに座って展示の話や障害者教育の動向など長話をする。ソファの真向かいにある、観覧車やジェットコースターの描かれたこんもりした森の風景は雲の重厚感がかなり出ていて何かを押しつぶそうとしているようだった。それは足場工事に使われる建地のようなものに絵画をかけていたが、横にある相模川の絵画と方位の関係をもっていると言われたとき、絵画と絵画のあいだにあるはずの描かれなかった風景が現前されてくる。途中、横浜美術館の方々がこられたのと、外の空気を吸いたくなったので佐々木さんと別れて朝夷奈切通まで歩いていく。ちょうどがっしりした靴だったので歩きたくなったのだった。民家のある途中まですれ違う人たちがみんな挨拶をしてこられるので、わたしも頭を下げる。なかなかないことだ。切通は傾斜があり、ぬかるみも多い。すり減った鎌倉石から石から飛び歩いていく。シダとシダのあいだを歩いていく。頂上には仏像が刻まれた岩とニッチな空間。次第に体が重くなりそうだというところで、高速道路と切通が交差しているところがゴールだ(このポストの上の写真がそれ)。古道と近現代という時代の全く違う道。人が歩く道。車が風景をキャンセルして走り抜ける道。コンクリートと鉄でできた、自然をはねつけようとする道。あちこちに石がコロコロしているボコボコした道。あるいはこうとも言えるだろう。障害者として生まれなかった人が歩いていく道と、一生において障害者である人が歩く道。どちらがそうかはわからない。でも、2つの道が間違いなくあった。それは障害者をめぐる制度的な意味もあるが、たんにその人間の運命である。生まれた時に自分の耳が聞こえていたら、現在のわたしが歩いていない一方の道にいたに違いない。だからこそ見てみたい、このふたつの道が合流するところを、分かれるところを。

20220128

1月28日。26日から集中的に取り組んでいた作業について多角的に確認を終えた。一息ついたところで、前髪が目の前に垂れてきて、美容院に行きたくなってくるのは頭の中にあるメモリが解放されて他のことがどっと入ってくる感覚に近い。夕方、Tabioのチョコレート柄のソックスが目に留まり、もうすぐバレンタインが近いのだと気づく。とても可愛くて気になったが、自分でチョコレートを買おうとしているようで恥ずかしくなって買うのをやめてしまった。書店で佐藤良明先生のベイトソン『精神の生態学』が岩波文庫で出ていたのを手にとる。ベイトソンのコミュニケーション論、メタメッセージやダブルバインドの概念はろう者におけるコミュニケーションを考えるときに興味深い論だと思う。ろう教育における口話で、メタメッセージをどう理論化できるのだろうかと思う。この本の訳者の佐藤先生はかねてよりとてもお世話になっている。京都だったろうか、関西からの夜行バスで東京の渋谷に戻ってきてそのまま国会図書館に行くために朝食と休息をとるべくタリーズに入ると、佐藤先生が朝食をしておられた。当時、わたしは表象文化論学会に入会したいと考えており、手話通訳を学会大会に配置してもらいたいという希望を持っていたのだった。それは一度、断られたのだが、やはり入会したいという希望が消えなかった。それで佐藤先生は当時、学会の理事だったので挨拶にうかがったのだった。なぜお顔を存じ上げているかというとその時期の何かの英語番組に登壇していたからだと思う。それが最初のきっかけで、もしわたしがタリーズに入らなかったら、佐藤先生がタリーズに入らなかったら、わたしは表象文化論学会に入会していないだろう。入会できたのは当時の学会の関係者のおかげだと思っており、その中でも佐藤先生との偶然の出会いは大きかった。ひさしぶりに横浜駅の上にあるNEWoManまで出かけ、ももひきを買い足す。ここはレディスのファッションが多いが、小物が結構よいのでついでにいろいろと見て回る。そのまま降りてスーパーで大きな大根と長芋を求める。すぐにサラダにして頂いた。
今夜、あの小さな窓は光がまったくない。もう引っ越していったかもしれない。向こうはわたしの窓に気づいていたのだろうか。むろんそれを知るすべはない。

20220127

1月27日。昨日と同じく、学期末に向けた事務作業が中心の1日で、研究関係のことは残念ながら書けることがない。ただ、古いノートを見なければならず、そこにはまだ訪問していない文書館の名前と調査したい史料の名前が書いてあった。ああ、これまだ見に行っていないんだよなあという軽いため息。思い切って東北、関東、北信越というふうに地域ごとにプランを立てて旅しないと達成できなさそうだ。できるとしても、目の前の目標があるので当分先のことだろう。それと、昨日の日記に書いた、あの小さな窓はまだ光があって、部屋が少しずつ整理されているのがわかる。そのうち不在の部屋になる。
最近の朝食では、食パンにチーズをのせて、オーブンで焼いたあとにハチミツをのせて食べている。そのハチミツがときどき結晶化するのが楽しみな季節でもあった。シャリシャリとした味わいが好みだからだが、以前あえて結晶化することができないかと思い、冷蔵庫に入れたりもしてみたがまったく効果がなかった。どうやら、ハチミツの種類によって結晶化しやすいものとしにくいものがあるようだ。養蜂をされている方のブログには以下のように書いてあった。

花蜜由来から考察すると、ブドウ糖と果糖の比率により結晶化するスピードに変化がある。果糖比率が高い方が結晶しにくくなります。あくまでも一般的には、草花の花蜜の方が木の花の蜜より結晶しやすい傾向があります。日本で代表的な結晶しにくいはちみつと言えば、アカシア蜜です。その一方最も結晶しやすい蜜と言えば、菜の花蜜です。

一方、ビンに詰まったはちみつは、お客様に届くまでに揺れ、気温の変化を受けているので結晶化してしまうのです。

結晶化には動きと気温の変化が重要らしく、13〜14度がもっとも結晶化しやすい温度とのこと。こちらの知恵袋にはわたしと同じ質問をした人がいた。これらを読んでいて思い出したのは、4年ぐらい前に山本浩司さんと纓田宗紀さんと歴史家ワークショップで企画した「迷える子羊たちのために 論文執筆の処方箋」のことだ。これは、論文をうまく書けない時にどうしていたかということがテーマなのだが、登壇した青谷秀紀さんが生活の中でのリフレッシュとして散歩することを挙げていたと記憶している。散歩というのはまず、家から出て歩くことである。それは動くことであって、かつ気温の変化を身体で受けることだ。机のうえで史料を読んでいて難渋していることから一旦離れることによって、糸口を再発見できることを思い出した。もうお気づきだと思うが、ハチミツの結晶化という、何かが析出してある形を形成するプロセスで、動きと気温の変化が関わっているということとわたしたち研究者が論文を編み出すそれは似るように思ったからだった。自分の経験からいっても、家の中だけでまったく動かないで論文を書くことはできない。

20220126

1月26日。学期末を迎えたもろもろの作業に集中しなければならず、執筆・読書をする余裕がとれずにいる。起床して着替えを終えたときにカーテンをあけて外の風景を見る。いつものことだ。住んでいる家は小高い丘の上に建てられたマンションで、街を見下ろせるロケーションなのだが、その風景には小さな窓の付いた、小さなアパートがある。その窓にはレースがかけられていて、夜遅くまで蛍光灯の白い光がレースの模様を写しだしていたので小さいながらも目立っていたのだった。その住人はサラリーマン風の男性で、夜遅くに帰ってくるのを一度だけ見かけたことがある。
今日、そのレースが取り外され、ガラス越しには暗くなっていた。引っ越したのだろうか。夜になって、洗濯物を取り込むためにベランダに出るとその窓の向こう側に男性がスマホを手に寝そべっているのがチラッと見えた。周りはダンボール箱がいくつか置いてあった。どうやら引っ越すらしい。洗濯物を取り終えた頃には、作業を再開するように箱の中に荷物を詰め込んでいた。それで思い出すのだが、その家には長い間、レースが取り付けられていなかった。夜にはパソコンのディスプレイから万華鏡のように色のパターンがカラカラとよく変化していて、アニメを鑑賞しているように見えた。雨の日のような視界の悪い日はぼんやりと窓が光を放っていた。ある日には、床が見えないほどのゴミが散らかっていることもあった。余裕のない日々だったのだろう。こうした窓にまつわる記憶はその人からもわたしからも消え失せてゆき、誰も見知らぬ出来事としてあの小さなガラスの表面にだけ刻まれていくのであろう。

20220125

1月25日。写真は松濤美術館エントランスにある、オニキスの石材を薄くカットした天井。外は軽い雨が注いでいるなか、デスクワークとしてメールのやり取りや書類の整理に終始する。集中力をピークに持っていくことはせず、淡々と作業をこなす。あらかじめ何をすると紙に書き出しておかないとエンドレスに感じてしまいがちだ。紙はA4横1枚のまっさらなもので、そこにすることを書き出しておいて、それを終えると鉛筆で横線を入れて消す。全部横線が入るまで作業をするといったことだ。
すこし前に古書店の目録が届いたので、めくっているとわたしの研究分野ど真ん中の史料があった。ほとんど流通していないうえにあまり値段も高くなかった。さっそく注文をしていたのだが、それが今日届いた。プチプチで梱包されていて、領収書・納品書が同封されていた。テープを丁寧にはがして史料を取り出す。それは明治30年代に撮影されたある写真だ。学術書にも掲載されているもので、史料としての重要度はさほど高くない。これを手にしていると、120年あまり前の時代の輪郭がわたしをたどり直すような思いがする。

20220124

1月24日。昨日、寝るのがおそくてやや睡眠不足。朝はふとんのなかでモゾモゾしていた。寝巻きで布団から出るのは寒いこの上ないのだが、服に着替えおえるとあの寒さはどこかに消えてしまう。リュックを背負い、外出しようとドアをあけた瞬間にゴミ出しの日であることを思い出した。突然やってくる、思い出すというのは。ゴミ袋をまとめたときにはもう電車に遅れることがわかっていた。遅れた電車のなかでリーディングをする。それと、これはわたしの悪い癖だろうと思っているが、授業のことを考えると脳裏で授業をしてしまうのはなんとかしたい。月曜日ということもあり、iPhoneには山のようにメールの着信がやってくる。授業の準備をして、手話通訳者とも会話をする。雑談ともいえるこの時間は大事にしていて、ろう者にとってのオアシスのような感覚がある。授業を終えたあと、図書館にて文献をリサーチする。部屋に戻るころ、夕焼けが濃いオレンジ色の地平を滲み出していた。先日の書評パネルで伊藤慎吾さんが『舞の本』での麻原美子さんの解説について言及しており、とても関心を寄せたのでその箇所を図書館で借りてきたのを読む。また、ロレイン・ダストン/ピーター・ギャリソン『客観性』を読む。以前からたいへんお世話になっている坂本邦暢さん、有賀暢迪さんが訳者として参加されている。お二人の仕事はとてもすばらしい、この時代をとおりぬける眩しさがある。同書だが、想像以上に議論の射程が広く、障害学に引きつけながら読むとおもしろいのではないかと思う。わたしと時計の長針と短針の三者の追いかけっこをしていたら、太陽を地平線のはるか向こう側に追いやってしまっており、空腹のドアベルが何度も鳴らされていた。

20220123

1月23日。授業の準備で、文献を読みながら色々と教えたいことがあって、その量と質をどうバランスをとるかを考える。ひととおりできたあとに、冷蔵庫の野菜室に入れてあったチョコクロワッサンをオーブンで温めようと取り出した。これはTHE CITY BAKERYのもので最近クロワッサン。クロワッサンは生地をバターとともに折り込んで焼くのでパリパリサクサクした食感がある。それで、手にしたそれは重力感があって、噛みしめた時に歯のなかで砕け散る感覚がやってくる。それは音楽ともいえるもので、クロワッサンの世界にカタルシスが起きているともいえる。『メトロポリス』の都市が崩壊していくように、『ドラキュラ』が日光を浴びて灰となるように、クロワッサンは砕け散るのを運命づけられている。その跡には、皿に落葉のように生地が散らばっていて、それをつまんで口に運んだ。

20220122

2022年1月22日。今日はよく喉が渇いた。昼ごはんのハンバーグが濃かったからだと思う。午後、国際日本文化研究センターが主催する総括シンポジウム「日本大衆文化研究の最前線—新しい日本像の創出にむけて―」のうち、『大衆文化研究叢書』書評パネルに参加した。5冊刊行されている叢書の1冊に1章を担当している。書評の松村薫子先生から自分の論文についてコメントをいただいた。それは、いざりくるまへの蔑視は視線の高低もあったのではないかというものだった。蔑視における姿勢・視線の問題について整理することの必要性を思った。また、この叢書がなぜ作られたのか、その構想を同叢書の各巻を担当された先生方のプレゼンテーションを通じて共有できたのがわたしにとって一番得られたことだ。これからの研究の発展において、自分の専門性から貢献できることがあればと思う。それと登壇された方々の話を伺っていると、大衆文化というのは、小松和彦先生が指摘されたようにその時代に生まれた人々にとって目にできるものから始まるだろう。しかしながら、伊藤慎吾先生が大衆というのは近代都市の中間層であって、地方に関する言及が少ないという指摘を考えると、大衆文化というのは現代のように国の端から端まですっと行き渡るものではなくて、凹凸を形成しながらもそれらが繋がっていって文化が構築されていくという大きな枠組を自分のなかで持つことができたように思う。
身体障害者が出てくる映画で知らなかったものがいろいろと溜まってきたので、DVDをレンタルした。山のようにあってなかなか整理しきれないけれど、これについてもまとめてみたい。

20220121

1月21日。松濤美術館の「白井晟一入門」を訪れるために渋谷まで出かける。このころは天気がいいのに空気が冷たい。Youtubeで見かけたMCハマーのMVでのパワフルなダンスがかっこよく、その動きを真似して(ほんとうに真似!)ポカポカにしながら歩く。松濤美術館に行くときは東急本店にも寄るので、送迎バスに乗るのだけどバスがもうなくなっていた。踵を返して、109を目指して歩いていくとちょうどスクランブルの信号が青になったときで、待っていた人だかりがわあっと一斉に渡っていくのにつられて歩みを早める。スクランブルを渡り終えて、歩みを緩めたとき、「もう令和なんだ」という言葉が横切った。なぜだろう、とゆっくりした歩みを止めて辺りを見回す。若い人たちのファッションだろうか。アムラーのように平成の女性たちに流行した、長いブーツが再流行しているからだろうか。スマホをしている人がいるからだろうか。わたしはあたりを見回してみた。そこに入ってきたのは、渋谷スクランブルスクエアの広告だった。カーテンウォールのうねりを利用して、逆三角形の広告が点滅していた。そのシェープさ、鮮やかなカラーリング。しかし、先ほどのスクランブルはまったく変わっていない。変わっていった風景と変わらない風景が重なったところにわたしは立っていたのだった。

20220120

1月20日。起床してすぐにパンにコーヒー。今日はパンが硬くならずにすんだ。豆を挽いてコーヒーを淹れるとき、前髪がパラリと垂れる。だいぶ前髪が長くなり、前髪が口に届きそうな長さになっていることに気づき始めている。切るか伸ばすかの分かれ道にきているところだ。Along the Waysideの原稿がゲラになって戻ってきたので、朱を入れてすぐに戻す。校正は1度で集中も入る。途中、ニュースを見る新型コロナウイルスのオミクロン株の感染拡大がうなぎのぼりになっていて、キャスターが紹介する日本列島を模した地図のほとんどがオレンジ色になっており、各地で日あたりの感染者数の最多を更新したことを伝えていた。数字を示すキャスターの表情がどこか淡々としているのは、コロナが日常になったことにほかならないだろう。twitterで小川公代さんと少しやりとりをしてとても示唆になるコメントをいただいた、この瞬間がすごく楽しい。SNSの最大の功績は、面識のない人とやりとりができるようになった点にある。お互いがお互いのアカウントで、ひとつの空間(ポスト)で会話を繋げられて、周りもそれを見ていることができるものはこれまで無かった。しかも、会話に参加せずとも他人同士の会話を見ていることもできるところもこれまでわたしの経験の希薄なところだ。
昨日、図書館で取得した文献を読んでいく。春に進めたいと思っている調査のための予備調査として、関連する文献を集めているのだった。ルーズリーフの紙を束からすっとつまみ出し、文献から目に留まったことや疑問点を書いていく。ここ数年そういうことを繰り返して、圧搾されたものが論文になっている。ほか、論文の構成を考えた。すんなりとまとまった気がする。これが今日の一番の成果だ。明日から細部を詰めていく。

20220119

1月19日。週末の土曜日に掲載予定のAlong the Waysideの原稿を書いた。書いているときは手が止まるまではノンストップということもあり、つい朝食を食べ忘れてしまい、気づいたときにはパンが硬くなってしまっていたので皿にのせて直す。この連載は日出新聞という明治の京都でもっとも発行部数の多かった新聞紙を素材に京都について書くというものだ。これまでは記事からみえることを書いていたが、今回は趣向を変えて現在の京都をテーマに設定する。せっかくだからいろいろと試してみよう。夕方、図書館に向かう電車のなかでうたた寝をする。一駅分なので数分ぐらいのはずだったが、ずっと寝ていたような気もする。図書館は平日でも混んでいるはずなのだが、今日は少なめで机がよく空いていた。机に座っている人たちは何やら資格取得のための勉強に励んでいるようだった。データベースにアクセスしたり、これから書くもののために確認しなければならない文献をリクエストしたり。いろいろと目を通して考える。よく歩き回った。夜、硬くなってしまったパンをカフェオレに浸して食べる。

20220118

指先が乾燥しやすいせいであろうか、何かとものを落とす一日だった。卵パックから冷蔵庫に移すときに1つを冷蔵庫の端にぶつけてしまい、卵が滑りおちてしまった。手をすべらせたその瞬間、わたしの脳裏にその卵を待っている結果をすでに見ていた。指から落ちて、床にぶつかるまでのあいだ、わたしは未来を予見するようにこの卵の運命がわかっていたのだ。それはわたしがふだん料理のために卵を割るときの力加減で黄身と白身が出てくることと、卵が落下していくなかでどれだけの力が加わりうるのかその力学を理解しているということもあろう。いや、それだけではない。他にも、割れる卵の映像を見ていたことだ。ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープの「クレイマー・クレイマー」では妻が家を出て、夫が息子と朝食を作るシーンがある。そこでフレンチトーストを作るために卵を割るのだが、その割り方が下手で殻がコップに入ってしまう。そんなシーンを知っているからでもあろう。卵をめぐるわたしの経験とイメージが指先から滑り落ちる卵の運命を見出してしまっていた。しばししてから下を見ると、白身がじわっと床に広がっているところだった。

20220117

京都から自宅に戻る。ソフトキャリーにあるものを荷ほどきするまでが旅。夕食を軽く食べたのちすぐに寝る。なんだか変な夢を見た気がするが忘れてしまった。起床したらとても喉が乾いていたのでパジャマのまま冷蔵庫から水を取り出して一口、二口と身体に沁みてゆく。身支度をしながら、ドリップパックコーヒーを淹れる。豆を挽いたときのかおりはとてもいいが、このパックもけっこう余ってしまったのでバタバタしている朝はこれでいこう。出かけ際にポストに入っていた郵便物のチェックをしていたら、遅刻しそうになったので古書店からの目録だけを片手に家を飛び出て、電車のなかで欲しいものがあるかどうかめくる。近世の人文学の文献を扱う書店で、ほとんど知らないタイトルばかり。欲しいものがなく、早々にバッグにつっこむ。なかなか目当てのものには会えない。もうだいぶ前になるが、わたしが研究している範囲の中でとても珍しい史料もあったのだが、注文した時点ですでに売れていた。植民地の盲唖学校で発行されていた雑誌だが、もう出会うことはないかもしれない。これもまた人と同じく縁だろう。京都で収集した史料をスキャンし、整理したのちに授業。一ヶ月ぐらい間が空いてしまったので復習に時間をかけて対話をしていった。