9月14日の19時から21時まで、飯山由貴さんの個展「湯気 けむり 恩賜」(実家 JIKKA、末広町)にてトークをさせていただいた。
わたしが60分を目処にスクラップブックに関するトークをし、そのあと飯山さんが所有されておられるスクラップブックを紹介しながら、会場とわたしも含めて会話を展開するというタイムスケジュール。以下の項目を立てて話をすすめた。

1、自己紹介・スクラップ・ブックとの出会い
2、スクラップ・ブックの特徴
3、現代におけるスクラップ・ブックの傾向
4、スクラップ・ブックの基本構造
5、スクラップ・ブックの特徴・表現について
6、スクラップ・ブックの再生産
7、スクラップ・ブックに関する研究書

1、自己紹介と2、スクラップ・ブックの特徴について。ここでは、わたしがどのようにスクラップ・ブックと出会ったのか、自己紹介とともに。わたしがスクラップ・ブックを意識したのは、京都盲唖院の研究で名刺が貼り付けられた簿冊をみたのがきっかけ。近代日本におけるスクラップ・ブックを意識しはじめた瞬間であった。このトークでは、スクラップ・ブックを「リキッド」(流動体、液体、不安定)としてトークをしたいと表明したうえで本題に入る。

(断片の星図というタイトルについて。「星図」は北極星を中心に常に動きつづける星たちの位置関係であるが、スクラップ・ブックにおいても、スクラップは糊で貼られていてもめくることによってそれらが動いているように感じられることを意図している。)

3、現代におけるスクラップ・ブックの傾向
ここでは現在、スクラップ・ブックといわれたら何を思い浮かぶか、共有していただくことがねらいであった。傾向については以下の点が挙げられる。

A、ウェブ・スクラッピング:evernote、タンブラーなどを使い、ウェブサイトから情報を取得し、アーカイヴとする。
B、比喩としてのスクラップ・ブック:エッセイなど文学作品における字数の少ない文章をあつめた書籍に比喩として「〜切り貼り帳」と表現する。
C、「思い出(記憶)」あるいは「愛」としてのスクラップ・ブック:家族、ペット、恋人、友人、好きなタレントなど関心の対象をスクラップ・ブックにする。

Cについて補足しておくと、現代のスクラップ・ブックにアクセスする媒体として雑誌と動画サイトがあり、これらをみると家族、ペット、恋人を紹介する形をとるスクラップ・ブックが見受けられる。youtubeではスクラップ・ブックのメイキング映像なるものが多くのユーザー(愛好者)によってアップされている現状を紹介した(youtubeではスクラップ・ブックに関するトピックが自動生成されるようになっており、現在4000点ほどの映像をみることができる)。このユーザーたちはスクラップブックを作成するためのパーツを購入・使用しており、スクラップ・ブックをめぐるビジネスが成立している。

4、スクラップ・ブックの基本構造
どのスクラップブックにおいても共通する基本構造は、必ず作成者となる肉体が存在すること。その肉体がなにかを発見する、切る、貼るというアクションをとる。それはウェブ・スクラッピング、Facebookのようにポストをすれば自動にデザインされるようなものではなくて、まず何かがあり、それを集める人がいて、その人の身振りによってスクラップブックが徐々に形作られていくということ。それをよく示すのが高倉健「あにき」(1977)というドラマ。

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栄次(高倉健)は東京・下町の鳶職の親方。彼が住む東京の下町をめぐる恋愛、もめ事といった人間模様がテーマですが、そのなかに妹・かい(大原麗子)の恋愛ストーリーが伏線にある。かいは草刈正雄の大ファンで、草刈正雄のスクラップブックを作り、それは関心の強さを示すアイコンとして使われる。また、かいは結婚が決まったときにスクラップブックを処分し、それを拾った栄次はそれをめくることでかいの結婚に対する思いを感じる・・・かいの男性に対する心の揺れを表現するアイテムとしてスクラップ・ブックが使われている。そして、スクラップブックは「ブック」であり、頁をめくるとき、その人の嗜好性 ― イメージの流れが動きはじめる。

スクラップブックのプライヴァシーについて。また、かいはスクラップ・ブックを作っているときに隣家のおばさんがかけこんでくるが、そのときかいはスクラップ・ブックをあわてて隠している。つまり、かいの関心が視覚化されるアイテムであり、プライベートなものであることが強調される。

5、スクラップ・ブックの特徴・表現について
ここでは、いくつかのスクラップ・ブックを取り上げた。
まず、板谷家伝来資料『図案下絵切抜帳』(天和三年(1683)〜、折本・東京国立博物館蔵)

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日本画の土佐派から住吉家が独立し、その住吉家から分立したのが板谷家。その板谷家最後の当主が東京国立博物館に資料を寄贈し、2010年に展示されたのをわたしは見ている。折本という形式で横に広がる巻物でもあり、冊子の形式もとる、ハイブリッドなもの。ここに、日本におけるスクラップ・ブックの特徴があるのではないか(手鑑も同様)。

誰が作ったのか? 学術的な分析はまだこれから。ただ、このスクラップ・ブックは、右から面ごとに蝶、トンボ、セミ、イナゴ・・・とカテゴライズされるところが特徴。 作成者は本草学の知識をもった板谷家の人物と想定できるだろう。このスクラップブックから基本的な構造をみていく。

まず、スクラップブックにおける「イメージの融合と衝突」
1、融合:「水周り」の生態系をイメージしたスクラッピング イナゴ、カエル、蛍が同じ面に貼り付けられることから、「水周り」の生態系がみえる形でのスクラップといえる。

itaya_fカエルがいることについては、時代は下るが、『和漢三才図会 人』(巻五十三 化生虫 巻五十四 湿生虫、文政7年(1824))によれば、イナゴだけでなく、カエルも湿生虫 という湿ったところにいる虫という認識がされている。つまり、近世においてイナゴとカエルは虫というカテゴリーにいるのである。つまり、両生類と虫という認識ではなく、「虫」のスケッチのみが集められたスクラップブック。

2、衝突:イナゴの隣にカエルのスクラップがあるが、これらは捕食関係にあるため、イナゴをカエルがにらんでいる構図が生まれている。本来別々であっただろう絵が、スクラップ・ブックの場で出会うことにより、「田んぼのような水気のあるところでの生き物たち」という物語が生まれている。

次に、スクラップブックにおける「時間」

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1、書き込み:蝶のスクラップに呼応するかのように蝶が描き込まれる。 描き込まれた蝶が断片に重なっている。

2、断片の重層:貞享元年に写した紙と交わるかのように貼られるカエル。このカエルも貞享年代の前後に描かれたものと思われる。時間のつながりがみえる。 スクラップ・ブックは作成者の身振りによって、時間が折り重なるもの。時間というのは地層のように考えるべきである。

大竹伸朗(おおたけ・しんろう)のスクラップブック的なるもの。
大竹は、心に留まったものを張り、ペインティングをする。それによる効果を確認しており、実験的な要素を含む。 大竹は「スクラップブック的な本」と表現し、スクラップブックとは呼んでいないところに留意しなければならないが、都現代美術館の個展では「スクラップブック」とキャプションがあったと思う。どうしてなのだろうか。

・スクラップブックにおける記憶
例:神原文庫(香川大学)「新聞等切抜資料」 法学者・神原甚造(1884 – 1954)のコレクションである。これはスクラップブックではなく、新聞切り抜きがそのまま封筒に詰められ、封筒にテーマ「犯罪」「風俗」などと記事に照応するテーマが鉛筆で書かれている。つまり、これはスクラップブックにならなかったもの。

これに関して、サルトル『嘔吐』に注目しておきたい。これは、ロカンタンなる人の日記によって物語が進められる形である。以下の部分を読み上げた(引用した翻訳は、白井浩司訳、人文書院、1960年)。

水溜りのそばにじっと動かぬ一枚の紙片を見つけた。・・・・・・〈書取ー白い木菟(みみず く)〉という文字が読めた。・・・それから私は手ぶらで立上がった。・・・物体、それに 〈触れる〉べきではない。なぜなら、それは生きていないから。・・・それに触れることが、 私には耐え難いのだ。まったくそれが生きたけものであるかのように、物体と関係を持つことを私は怖れる。(16-17頁)

どこに私の過去を蔵っておこうか。過去はポケットの中にいられない。過去を整頓しておくためには一軒の家を持つことが必要である。私は自分のからだしか持たない。まったく孤独で自分の からだだけより他にはなにも持たない男に、思い出をとどめておくことはできない。(78頁)

後者について補足。記憶と空間は古代ギリシャにおける記憶術と関連する箇所。たとえば、キケロ『弁論家について』:(2巻 353-354) 記憶と場所が関連するというエピソードがある。シモニデスは宴会の席をちょっと外したときに宴会の天井が崩れ、参加者が一人残らず亡くなったうえ、誰が誰であるかわからなくなった。このとき、シモニデス は死体を識別し、埋葬する。 なぜ記憶していたかというと、列席者たちの席を記憶していたからだという。このことからシモニデスは記憶をもたらしてくれるものは順序だと気付く。

さて、ロカンタンはことばが書かれた紙片を、物体として捉え、生きていない ― 死んでいるという。キケロが書いたシモニデスのエピソードをスクラップ・ブックに照らし合わせて考えると、頁・面という場と空間に断片を配置することで、記憶と時間を留めるものとなっている。興味深いのは、シモニデスが死体をみていること。死体は動かない・・・。つまり、そこに留まることしかできない。ロカンタンは生きていないからそれに触れなかったのは、関係をもつのが怖かったというが、もっといえば記憶したくなかったのでは。ここは断片の物質性がみえるところではないのだろうか。わたしは祖母が亡くなったとき、季節は冬だった。葬儀 で祖母の体に触れたのだが、とても冷たかった・・・。氷になる手前のような肌。

・日本的なスクラップ・ブックについて
日本のスクラップブックの特徴には命名の方法が挙げられる。
例1:『捃拾帖』(くんじゅうちょう、東京大学附属図書館蔵)博物学者・田中芳男(1838-1916) が博物学の見地から、広告文、ビラなどを貼っているもの。 捃拾とは拾い集めるという意味。

例2:焦後鶏肋冊(しょうごけいろくさつ、国会図書館蔵)儒学者・東条琴台(きんだい、1795-1878)の蔵書印があるものだが、東条のものなのかは不明。文政・天保(19世紀)の暦、句会、書画会に関する広告の刷り物が貼り付けられるもの。表紙には漢文が墨書されている。

天保十四年歳在癸卯九月四日考閲故笥採存此雑紙於冊中亦一時之適意此□□南風前渓大漲 (□は虫食いのため判読不可)

天保十四年、1843年の9月4日にみとめられたらしい。もとより笥(け、竹で編んだ箱)のなかに紙片がつまっていたのをそのときの気持ちのままに張ったと読める(後半部は虫食いがあるためをどう解釈するかは議論があるだろう)。表題に鶏肋(鶏の肋骨)があることは、無駄だが捨てられないものだったという作成者の認識があるからだと考える。

例3:棄利張(きりちょう/きりはり)個人蔵 明治時代における美術工芸の新聞記者で批評家の金子静枝(1851-1909)が作成したもの。 3つの漢字が3つの身振りに呼応している。これは表象文化論学会で発表したことがある。

棄:捨てる
利:利用する
張:貼る

さらに、「棄利」は「きり」と発音した瞬間に「切り」という言葉が想起され、二重性を含んでいる。 「張」:「ピンと伸ばす」 「貼り」と同じ読み。 ノートとしての「帳」のイメージも喚起。 金子は洒落を使った命名をする(金子は戯作者でもあり、明治10年代には滑稽雑誌に投書していた)。 例1〜3より漢字、故事成語、洒落といった日本独特の言語感覚がスクラップ・ブックに表現される。

6、スクラップ・ブックの再生産
これらスクラップ・ブックが書籍としてリメイクされたり、あるいは美術の展覧会においてスケッチブックとして公開されることがある。このなかで、書籍として再生産されるときの問題が存在する。それは、編集の作業が入ることによってスクラップ・ブックにおける「リキッド」なものが崩壊することがあるのではないかということ。

例1:モンゴメリー『イマジニング・アン』

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モンゴメリーが『赤毛のアン』をかくときにつくったもので作品のイメージソースとされている。 ここにスクラップ・ブックの頁が紹介されるが、復刻のように忠実に再現するというよりは頁をセレクトして紹介しているので全体像は不明。

翻訳も出ているが、再編集されており、原書と同じではない。

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例2:トマス・ジェファソン ”The Life and Morals of Jesus of Nazareth”『ナザレのイエスの人生と道徳』

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新約聖書のうちルカ、ヨハネ、マルコなどの福音書からスクラップされているもの。ジェファソンはイギリスで経験主義の影響を強く受けているが、その影響で作られたのではないか。たとえば、ヨハネ、シメオン、天使が登場しない。イエスははりつけになったあと、埋葬されて終わり、復活しない。 人間としてのイエスが強調される聖書。これはもともと開披困難であったが、修理が終わったあとにデジタルデータとしてウェブサイトで公開されている。
公開時のカタログが同書で、冒頭に解説文をつけ、本文は再現(ファクシミリ)となる(これは過去に出版されたことがあるか?という質問があったが、活字を組み直したヴァージョンが出ている)。ただ、印刷物であるために断片は紙と一体化されてしまっており、スクラップブックと同一とみなすわけにはいかないが、それでもこの仕事は素晴らしく、いうことはない。逆にいえば、スクラップブックは「ブック」と複数の生産可能なもの(印刷にせよ、写本にせよ)であるにもかかわらず、一点しか存在しない。

例3:セバスチャーノ・レスタ『Codice(画帖)』『移動美術館』

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これは、ローマで活動した神父・セバスチャーノ・レスタ(1635-1714)が収集したルネサンス期の画家たちのドローイング集。ジネヴラ・ウォーウィックが博士論文でこのドローイング集にフォーカスをあて、コレクションと販売について論じた。アンブロシアーナとパレルモ図書館が所蔵し、後者は原型を留めている。
アンブロジアーナ蔵は、Galleria Portaile(移動美術館)と呼ばれ、レスタはCodice(画帖)と呼んでいたという。284点の素描に2点の彩画、3点の版画をおさめていたが、1570年頃にミラノにいた建築家・地図製作者によってバラバラにされ、額装されているので、スクラップ・ブックとしての形は崩壊している。
これは一部が2013年春のレオナルド・ダ=ヴィンチ展(都美術館)でミケランジェロの国葬の構想スケッチなどが展示された。保存のために頁ごとに額装され、全体像は不明(ファクシミリはある)。パレルモにあるものはカタログが出版されている。

th_resta_SBSimonetta Prosperi, Valenti Rodinò “I disegni del Codice Resta di Palermo” (2007)

それぞれの断片に解説文がつけられるもの。資料集としてはよいのであるが、断片をレイアウトしているために、板谷家の『図案下絵切抜帳』 におけるイメージの喧嘩が見えない。このように、スクラップ・ブックの良さが掻き消えてしまうというデメリットが生じる。このようにスクラップ・ブックがもつ、断片同士のぶつかり合いによる新たなイメージの生起という魔法が解けてしまう。
解説をとるか、全体にあるリキッドをとるかというジレンマがあるのではないか。

7、スクラップ・ブックに関する研究書
いくつか紹介した。一番上は、スクラップブックに関する総覧といえるもので、その次は近代アメリカのスクラップブックに特化して研究されたもの。

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まとめ
ここでは、スクラップ・ブックを「リキッド」(流動体、液体、不安定)という視点から捉えた。作成者によってあちこちから断片が集められた過去が空間をもつために作られるのがスクラップブック。神原文庫の新聞切抜は、スクラップブックになっていないために何処に何があるのか、わからず、きわめて不安定なアーカイヴだった。それが冊子になることで、断片がはじめてわたしたちのものになるのではないか。それは場と記憶を重視した古代ギリシャの記憶術と分ちがたい関係をもっている。それは不思議なことに、断片同士がぶつかったり、融合することで物語を形成する。また、スクラップブックに描き込みがなされることによって、時間の層がみえるとともに、作成者の記憶が強化されるのではないか。
プライベートなものとして作られたそれは、いつしか作成者の手を離れていく。それはわたしたちの手にあり、手によってめくられることで作成者のもっていた関心や嗜好のイメージが走り始める。かいのスクラップブックをめくる高倉健のように。

トークはここまで。

飯山さんのスクラップブックの紹介。
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よく集めているなあと思う、ヤフーオークションや市場で買っているとのことで戦前であってもそんなに高くないもよう。紙と紙のあいだに厚紙(まくら)を差し込むという特許で作られたスクラップブックがあった。現在、コクヨが出しているものと似た構造。また、昭和天皇に関する記事をスクラップ・ブックにしたものをご紹介された。天皇の活動に関するものがあり、そして天皇のご不例に関する記事が延々と続いている。しかし、崩御した記事はなく途中で終わっている。これについて思わず「作成者が先に亡くなったんじゃないの」とくだらないことを言ってしまったが、あのスクラップブックのなかでは天皇は永遠に生き続けていて、作成者は崩御を受けいれることができなかったのではないかと感じる。

会場からの応答。板谷家に関して、どこで活動していたのかという質問。この家についての細かい研究は出ていないのだが、板谷は住吉家から分かれたので、住吉が江戸に移った17世紀あたりに分家したのであれば、江戸だろうと思われる。
また、スクラップブックをつくっていたという女性がいらっしゃった。飯山さんもスクラップブックを作ったことはあるというが、長続きしなかったという。スクラップ・ブックにおける身振りとして指摘した「発見する、切る、捨てる、貼る」という流れのための労働力の大きさがある。江戸川乱歩のスクラップブック『貼雑年譜』の話題も。

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