《楽石社正門前》(大正中期)松沢忠太記念館蔵
中央、紋付に帽子をもつのが伊沢修二。

 

2014年度の共同研究助成として公益財団法人 交流協会に申請した「近代の台湾と日本における言語教育、盲・聾教育の関連性に関する研究   ― 伊澤修二を中心に ―」が採用され、このたび研究を完了しました。(現在は『伊沢修二と台湾』として出版されています。)
わたしにとっては初めての国際共同研究です。わたしが研究代表、山本和行(天理大学)、冨田哲(淡江大学)、黄馨儀(静宜大学)、李尚霖(開南大学)の4名の先生方と活動しました。

伊沢修二(いさわ・しゅうじ 1851-1917)は明治28年に台湾総督府に勤務し、亡くなるまで少なくとも7回にわたって台湾に滞在し、教育に携わっています。日本では官僚としての教育者、民間での教育(楽石社における吃音矯正の推進)という視点があり、台湾では日治時期の日本語教育を制度化させた人物という視点があり、両国において研究対象となっていました。しかし、台湾総督府を非職されるかたちで台湾を離れたあとの伊沢がどのように台湾と関わりをもち、台湾に対してどんなまなざしをもっていたのでしょうか。それを日本と台湾両国の史料から分析することであらたな伊沢の像(かたち)をつくりだすことができないかという動機がありました。

そこで、本研究では研究メンバーの専門性にかんがみて、伊沢と言語教育と盲・聾教育(あるいは盲唖教育)という視点に限定しました。日本と台湾における既往研究の総括、伊沢修二資料・周辺資料について現地調査、文献調査をつうじた分析をしています。様々な発見があり、またあらたな課題も見出される研究でした。

わたしにとっては本来身をおいている建築計画学・建築史とは離れた分野で取り組む形となり、中国語・日本語教育史、言語社会学をご専門にされる先生方の視点自体がひじょうに刺激的でした。

成果報告書はわたしを含む5名で執筆し、印刷・製本しています。近日中に関心をもたれる方々にお届けできるよう手配したいと考えています。どうぞよろしくお願いします。

1件のコメント

  1. 「近代の台湾と日本における言語教育、盲・聾教育の関連性に関する研究   ― 伊澤修二を中心に ―」の研究成果報告書が、まだ入手可能でしたら、ご恵送いただきたく、お願い申し上げます。

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