マレーと血みどろのトランク

わたしはブリュッセルで一枚の絵をみた。ダヴィッドの「マレーの暗殺」(”Marat assassiné”1793 , 165 x 128 cm , ベルギー王立美術館)という絵。美術史では有名な絵で、見たいとおもっていたものだ。

マレーが入浴中に暗殺されたシーンであるけれども、湯船にある暗い血の色をなぜかよく覚えていて。

そう、こんな色だった。それで、来年6月の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレの作家に選出された、田中功起さん。わたしが田中さんを知ったきっかけは、「六本木クロッシング」(2004、森美術館)に出ていた「トランクと血と光」という作品だった。これが強烈だったんだよね。

これは確か、部屋の隅っこにプロジェクションされていて、入口に「気分が悪くなる恐れがありますので、ご注意ください」のような注意書きの看板がかけられていたのを覚えている。

中に入ると、湯船からドバドバと血があふれるかのような映像があった。

湯船で暗殺されたマレー。湯船からあふれる液体。これをみたとき、すぐマレーの暗殺を思い出したのはそういう繋がりからだった。でも、これはその液体が血なのかそうじゃないのか奇妙な境界をみせていた。

あるいは、トランクをあけると血があふれたり、トランクとともに道路に流れる血。


これはかき氷にかけてもらうストロベリーシロップのような感覚を受けたし、わたしが怪我をしたときに体内から出てくる血の色と違うし、マレーとも違う、妙な感じで「これは血ではない」「これは血だ」と迷うわたしがそこにいて、生理的な迷いがあった。あるいは血は紛争、スポーツでのアクシデントであったり、あるいは屠殺であったり・・・。赤い飲み物のような雰囲気もあった。
田中さんは血の色を最大限、再現できなかったのだろうか・・・それとも田中さんとわたしのあいだに血の色の感覚にずれがあるのか。

わたしが見ていたとき、ちょうど女性グループが入って来たのだけど、この映像にあからさまに嫌悪の表情をしてすぐ出て行ってしまった。血だと認識したのだろう。たしかに、これはみていて気持ちいいとかそういう感情にはなれない。それ以上にどうしてわたしたちはこれを「血」と認識してしまうのだろう。そういうことが田中さんとの出会いだった。

source: http://www.tokyo-source.com/interview.php?ts=6
http://www.zokei.net/friends_gallery/gallery/20_tanaka/detail/tanaka_4.htm


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