20220814

香川県丸亀市にある丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて今井俊介の個展「スカートと風景」をみた。
今井のこの10年ほどの画業をまとめてみる機会となるこの展示だけれども、今井の絵画とは何かというと、覆いかくす(conceal)絵画だと思う。

そう考えたのは、昨年、宇佐美圭司のことをまとまって考える機会があったからだろう。この年、東京大学駒場博物館の「宇佐美圭司 よみがえる画家」展が開催され、わたしは以下のことを書いた。
https://tmtkknst.com/LL/blog/2021/07/03/keiji_usami/

要するに、宇佐美の芸術は身体を輪郭線でなぞってマスキングしたパターンを組み合わせることで、身体同士のもつれ合い、やがては身体の消滅が予言されているものだった。宇佐美の絵画に消滅が命題としてあるなら、今井の絵画は覆いかくす(conceal)ものだとわたしは思う。

何が何に覆いかくされているのかといえば、絵画そのものが絵の具によって覆いかくされている。今井の絵画はストライプ、ドット、図形の構成が、旗やカーテンといった「一枚のはためくもの」が重なっているようにみえる。これらの見方を変えると、風景画のようにもみえてくるが、その先にあるものを認識することはできない。
絵画は透視図法のように空間表現の技法が探求される歴史としてあるが、今井の絵画はあたらしいステージを提示している。それは、ストライプやドットといったパターンをかきわけるような感覚を持つと奥行きが現れるという見え方だ。ここまでは誰もが感じることだろう、ここには覆いかくす(conceal)ことが認められるように思われた。
だいじなのは、べったりと塗られていないことだ。薄く、均一に描かれていて、キャンバスの荒い素地としての、かすかな凹凸がある。しかも、キャンバス全てを絵の具で塗らないこともある。そこには、近代以来の紡績の歴史の層がある。そもそも近代日本の経済を支えた産業として紡績があるが、この紡績によって作られるキャンバスが今井の絵画によって、描かれているものが「一枚のはためくもの」にみえた瞬間に再び紡績に立ち返っていくように思われた。そのはためくものは紡績の主要な生産品としてあるからだ。もし、この絵画の中に入ることができ、はためくものを手で払いのけることができたとしても、そこには何もみえまい。なぜなら、絵画そのものが覆いかくされる対象であって、その先には何もないからだ。そのことを考えると、キャンバスの素地が感じられることはとても重要だ。

言い直そう。わたしは高松である人に「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館まで今井さんの展示を見に行くんですよ」と予定を伝えると、「ミモカ(MIMOCA)ね」といわれた。ミモカは同美術館の略語なのだが、その瞬間「ミモカ」と「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」がわたしの中で置き換わっていくのを感じていた。「ミモカ」=「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」ではなく、ミモカが「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」を覆いかくしてしまい、しまいにはミモカそのものになってしまう。今井の絵画と対面するということは、そういう体験に近い。

身体を光で切り刻む — 宇佐美圭司の芸術

7月2日、雨の日。東京大学駒場博物館の「宇佐美圭司 よみがえる画家」を訪問する。

わたしは東大の史料編纂所や明治新聞雑誌文庫でリサーチをして昼食を食べるときに食堂を利用することがときどきあった。そこに宇佐美の《きずな》が置かれていた。一見したところ、絵画というよりは一種のダイアグラムのようにみえた。それは、わたしが建築学を専攻していてダイアグラムを多く見ているのと、片隅にシルエットの説明がつけられていたからだろう。けれども、食堂は人通りも慌ただしく、あまりゆっくり見ている時間はあまりなかった。そうしているうちに、それは撤去された。撤去されてしまわなければ、こうした今回の企画もまた無かったにちがいない。このことはこの厚い雲のようにわたしの気持ちを曇らせている。

駒場博物館に入ると、宇佐美展のポスターが置かれていたので1部いただく。失われた《きずな》の再現画像がメインビジュアルなので、できればいただいた方が良い。初期から晩年までを厳選し、構成された展示をみていくと、身体障害について考えるときに示唆深いものがある(わたし自身の視点がそれに依っているという点も自覚しているが)。
なぜなら、「身体障害」はその人の身体に在るのではなくて、大衆の認識、メディアといってもよいだろう、その中で形成されている身体だからだ。障害学では「社会モデル」という身体障害の捉え方があるが、それに近い考え方だ。

宇佐美の芸術を通してみることで、それがよくわかるように思う。補助線として、ふたつの視点を提示してみたい。ひとつは、プリベンション(予防装置)ということばを使っていることだ。それと、身体をなぞる輪郭線を使ってマスキングしたことだ。プリベンションについて、宇佐美は「芸術家の消滅」でこう書いている。

「プリベンション(予防装置)の概念を、障害物であると同時に、それと相反する、導入するとか、誘導するとかの意味を持った、克服されるよう計画された障害装置、という両義性において使用したいと思う」

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重力をつきぬける — 齋藤陽道『感動、』

齋藤陽道『感動、』(2019)より

フョードロフにとって重力とは原罪に似ていて、人類を下方へ、大地へ、横臥状態へ、最終的には死へと縛り付けるものであり、重力の克服とはとりもなおさず死の克服を意味していました。(本田晃子)
『人間の条件』における「墓碑」より

写真集をめくることをなんと表現するだろうか。読む、見る、ながめる・・・。齋藤陽道『感動、』(2019)は「突き抜ける」ではないか。そんな写真集だ。それはおりにふれて齋藤の写真を見てきたが、明確に言葉にしていなかったことを自省する時でもあった。

基本的な構成は前作『感動』(2011)と同じで、横長に写真を配置しているが、前作がソフトカバーだったのに対し、シルバーのかかったハードカバーで「感動、」の黒い字が箔押しされており、重量感のある仕上がりになっている。

ところで、わたしには『感動』と『感動、』はまったく異なって見えた。まず、見開きの色のバランスといった構成が深化しているというのもあるが、それよりもあちこちに散らばっていく生に対するシャッターとしての写真と呼応するかのように、レンズが、カメラが、透明度を高めていた。そう思えるのは、水のなかを撮っているように思われても、浮遊しているかのような写真やそこには空気があるのか、ないのか。重力があるのか分からなくなるような瞬間があった。
本来ならば、写真とわたしの間には、世界をあるきまわる齋藤の身体、彼の身体を支える足、視覚、聴覚、カメラを支える手、シャッターを押さんとする指、食べ物をほおばる口、咀嚼する胃、現像、プリント、印刷といった多くの身体と所作と機械が関わりあっているはずだ。なのに、わたしは齋藤の身体を突き抜けて、写真、いや重力すらも突き抜けて、その生に至っているように思えた。 Continue Reading →

わたしの2010年代

本棚とルイ・ブライユの胸像写真

 

2019年の年末。今年は2010年代を総括した一年であるといえるだろう。

2010年に提出した博士論文が受理され、博士号を取得した。あれから9年が経過したが、2010年代は取得以降の方針を定め、理論と方法を準備する期間であったといえるだろう。最近のアカデミーではよくいわれることであるが、取得することのみならず、「取得したあとの姿勢」も問われている。ちょうど、この2010年の3月は東京大学において博士号が取り消されるという残念な出来事があった。
これは、博士号の取得において、内容のみならず、取得以降の見通しもふくめた評価も必要とするものだったのではないか。それは追い込まれても展開できるしなやかさを備えた問題意識、倫理観、くわえて謙虚な研究姿勢といったこともふくめて提出された博士論文を評価しなければならない時代を告げるものであったように思われる。 Continue Reading →

少し開いた戸の向こう側 — 志村信裕《Nostalgia, Amnesia》(2019)

国立新美術館で配布された、21st DOMANI・明日展の配置図・出品リストを見て、志村信裕の展示場所を確かめると、こう書いてあった。

Nostalgia, Amnesia
2019
シングルチャンネル・ビデオ、サウンド、約40分

「約」という数字がもつ意味は、この作品が公開にあたりギリギリまで作られていたことを示しているのかなと思った。出品リストにおける映像の表示で「約」というのは見たことはなかったからだ。

以前、わたしは志村の《見島牛》を森美術館で見たときのことも書いた。あれから数年が過ぎた。そんなことを考えながら、展示を見て歩く。

ところで、あなたは夏目漱石の短編『永日小品』を読んだことがあるだろうか。これは漱石の思い出や日常が連作になっていて、漱石独特の質量の軽重のコントラストがよく表現されている。このなかの「行列」という章がすばらしい。これは漱石のいる書斎の戸が開いていて、そこから光や子供達が歩いていくのが見えるという、漱石の日常を切り取ったシーンだ。冒頭だけ読んでみよう。

広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮ぎられて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒(ゆたか)になる。

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紙をかき分ける — 村上友晴展「ひかり、降りそそぐ」

村上友晴展「ひかり、降りそそぐ」を見る。

これは絵画というよりは、一人の織りかさなる祈りのように思えた。

村上の祈りのあいだを歩きながら、わたしは点字のことを思い出していた。点字は、裏側から書く言語である。点字板に紙を挟み、針に似た形状の点筆を使って裏側から紙を向こう側に突き出しているからだ。紙を圧延するものである。紙の表面を凸のパターンにすることで、文字を触覚で読めるようにしている。その意味で点字は厚めの紙を必要としている。 Continue Reading →

風景の分解不可能性 — 「Hyper Landscape 超えてゆく風景展」

「Hyper Landscape 超えてゆく風景展」にて

 

ワタリウム美術館にて「Hyper Landscape 超えてゆく風景展」をみた。

この展覧会は梅ラボとTAKU OBATAの二人展となっているが、4階にあるTAKU OBATAの映像作品がおもしろい。ストライプに彫られた木のキューブが落ちていく瞬間をハイスピードで撮影している映像。落ちるキューブを撮影するアングルを変えて組み合わせているため、「横に落ちる」「上に落ちる」「奥に落ちる」といった加速度の表現が同時発生的に可能になっている。そうであるなら、電車が並行している状況や何かが飛んでいる状況とみなすこともできるし、台風で倒れそうなほどに揺れる木の枝のことも想起されよう。そうするともはや木のキューブは木ではなくなってしまう。今でも変わらないが、わたしたちは木に霊魂があることを強く信じている。それは別の意味では、擬人法ならぬ、木の擬物法であって木に加速度を加えることによって、物質性を託すことができる。

梅沢和木の「windows0」という立体作品はパソコンのディスプレイをもとにしている。これは前にも展示されたのを見たことがあったけど、ここで見るとワタリウムの展示空間そのものを凝縮した作品に見えるところがおもしろい。それとヒエロニムス・ボスの絵画のようなキリスト教の世界に基づきながらも得体の知れないものたちがいるが、あのようなわたしたちの感覚では感知できない存在への慈しみを梅ラボの作品から感じる。この作品は撮影禁止だったけど、作家本人が紹介しているものはこちら。これを作った当時、梅ラボは高校一年とのことでパソコンを買ってゲームなどいろいろとやっていたそうだ。 Continue Reading →

背中の思い出 あるいは、思い出の背中 — 村瀬恭子

村瀬恭子《In The Morning》
(1998、村瀬恭子展にて(ギャラリーαM))

 

ときおり射抜かれるような展覧会に出会うことがある。それはしばしば展示室に入った瞬間に決定される。ギャラリーαMにて「絵と、  vol.3 村瀬恭子」はそんな時間だった。

村瀬はグラファイト、色鉛筆、油彩をミックスしながら描いている。それらはざらっとした感触のコットン・キャンバスもしくは紙のうえで表現しているが、薄く伸ばしていて、じわじわとお互い侵食しているような描き方は琳派の人たちを思わせるところがある。
また、これらのメディウムの使い分けによって、奥行きや描かれていないはずの色が描かれている。わたしたちが子供の頃から持っている様々な空想の物語のイメージを仮託する容器たりえている。

何よりも語らなければならないのはこの絵だろう。

《In The Morning》(1998)だ。 Continue Reading →

偶発の組成 — 地主麻衣子「欲望の音」

Art Center Ongoing「53丁目のシルバーファクトリー」にて

HAGIWARA PROJECTSにて「欲望の音」スクリーニングを見る。上映が終わった時に思ったのは、ようやく地主麻衣子の作品に浸かったような気がする、言い換えると地主の作品がようやく身体に沈殿していくことが感じられるということだった。わたしが地主の作品を初めて見たのは黄金町バザール2014だと記憶している。

さて、「欲望の音」とはなんだろうか。作家本人が一部をVimeoにアップロードしているものはこちら。 Continue Reading →

思い出の触覚 − 椋本真理子「in the park」

国分寺のswitchpointへ。

椋本真理子の作品には、ニュートラル、非場所性、人工、といった言葉を思い浮かべるだろう。わたしもその一人だけれど、わたしが考えるのは水である。まず、水は椋本の彫刻において登場する回数が多い。また、椋本の作品の中で《private pool》という作品に一番感銘を受けているからというのもあろう。プールの表面を象ったような作品でいて、彫刻としてのプールサイドは存在しておらず、水そのものが現前している。

なぜ、水なのか。ロレンス『黙示録論』では、古代人の意識として、触れるものはテオスであるとしている。引用しよう。

「今日の吾々には、あの古代ギリシャ人たちが神、すなわちテオスという言葉によって何を意味していたか、ほとんど測り知ることは出来ない。万物ことごとくがテオスであった。(・・・)ある瞬間、なにかがこころを打ってきたとする、そうすればそれが何でも神となるのだ。もしそれが湖沼の水であるとき、その湛々たる湖沼が深くこころを打ってこよう、そうしたらそれが神となるのだ。」 Continue Reading →

トランス/リアル - 非実体的美術の可能性 vol.5 伊東篤宏・角田俊也

誰かを抱いた時。

子供のころ、父や母に抱きついた時。愛おしい人に抱きついた時。

胸や背中が膨張を繰り返して呼吸しているのを覚えている。

角田さんの作品はそんな記憶を喚起させるものだった。スタッフに促されて手で木箱にそっと触れたり、スピーカーに触れるほど耳を近づけると振動があった。 Continue Reading →

岡山芸術交流 会場情報・アクセスについて

岡本太郎「躍進」(岡山駅にて)

岡山芸術交流においては、各会場の作品の配置を示したパンフレットが配布されていますが、一部展示の変更があったために修正したものも同時に配布されていました。この修正版はA3両面で、「更新版 会場情報・アクセス」というものです。
もちろん、公式サイトでも修正されているのですが、google mapを使っているためにやや重いです。そこで、この修正版を持って歩くととても周りやすくなるのでスキャンしたものをこちらにて紹介します。

okayama_art_summit2016_map.pdf

よい旅を!

瞼の非同期とインサーション

画像はαMギャラリーウェブサイトより

αMギャラリーでトランス/リアル - 非実体的美術の可能性 vol.4 相川勝・小沢裕子を見る。

ギャラリーに入ると点滅する部屋。休廊中?と最初は思った。それは違っていて、ギャラリーを出るときにスタッフから教えていただいたのだが、眼鏡に目の瞬きを感知する装置を入れていて、それと同期するように部屋全体が点滅するようになっていた。スタッフの男性に「集中できないんじゃないですか」と尋ねると「そんなことないですよ、同期しているのです」というような返事があった。確かに彼が目を閉じれば部屋は真っ暗になり、目を開けばまた明るくなる。蛍光灯だからその点滅の速度はきわめて早い。パッと点灯と消灯を繰り返す。

なんということだろう、と思った。 Continue Reading →

瞽女の声

momatの吉増剛造展に。吉増が収集してきたカセットテープの束を見ていたら、瞽女に関するものが7本もあった。杉本キクエの名前が見える。杉本に関しては音源が出ているけれども、これらのテープはどうであろうか?

声、声、声を収集する吉増剛造。

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盲人と自分を見つめる

momatの常設展に中村彝が描いたエロシェンコの肖像画がある。常設ではスタメン、登場する確率が高い絵画である(右)。その横が中村本人による自画像(左)。エロシェンコは沈思するような表情で佇んでいて、視線はこちらに向いていない(それこそが、盲人を描いた肖像画としての確固たる地位を占めているのだが)。一方、中村は口をやや意識的に結び、彼の目はこちらを向いている。顔の向きは反対で、二人はお互いにそっぽを向いているかのように配置されている。 Continue Reading →

光の集合と終わり — 志村信裕《見島牛》

六本木クロッシング2016を訪問する。オープニングに伺って以来、しばらく見る余裕がなかったが、終了間際になって訪れる。

やや長いエレベーターをあがりながら考える。わたしは、どんなふうにして、美術と向かい合っているのだろう、と。 Continue Reading →

刻まれる写真 — 東松照明の長崎

ちょうど、わたしは長崎で史料調査をしていた。わたしは全国の盲人・聾者の社会とコミュニティを盲唖学校を通じて研究しているが、それを長崎に求めにきたのであった。
時代としては明治・大正であって、原爆が落ちる前の長崎の姿をみようとしている。
そこから延々と広島で資料調査を行ったのち、時間のあいまをぬって広島市現代美術館の東松照明展に向かう。
広島平和記念資料館からのバス「めいぷるーぷ」に乗ると、丹下の建築のまえで子供たちがピースをしている。深刻そうな表情をしている子はおらず、楽しげに走り回っている。このような風景がずっと続くべきだ。

バスに揺られながら考える。広島で長崎の写真が展示されることについて、原爆という二文字は欠かせないことになっていることは本来ならあってはいけないことなのだが、それ以上にわたしは東松の死後、という時間を考える。写真家の死は、現在を生きている被写体にとっては二度と東松のファインダーにとらえられる瞬間はおとずれないことを意味している。そして、被写体やわたしにとっては新たな時間が流れることでもあった。だが同時にこうとも思う。「原爆が落ちなかったら東松は長崎でシャッターと切らなかったのではないか?」 Continue Reading →

手の重さ、部分の記憶体 — サイ・トゥオンブリ

1週間近く、雨や曇りが続いていたけれども、金曜日になって夏の日射しが感じられるようになった。サイ・トゥオンブリー展(原美術館)をみる。原美術館へはいつも品川駅の高輪口から歩いていくのですが、駅前から美術館への道で喧噪する空間が日射しとともにほどけていくさまが感じられる。
原美術館は障害者手帳を出すと半額になるので、550円支払って中に。いつもここは変わらない。常設もいつものまま。宮島さんの赤く表示される数字たちも相変わらず時を刻んでいる。わたしはトゥオンブリーについてまとまった作品をみたことがないので態度を留保していた。

絵をみていくと、絵には始まりもなければ終わりもないということを教えてくれるように思えた。グレーのペンキにチョークのような線がリズミカルに動いている絵をみれば、始まりの線、終わりの線は常に画面の外にあって、紙のうえにあるのはその中途であった。絵画を目の前にしたときに広がる世界はそこで完結しているのではなくて、絵の外にある世界のことに目を向けさせてくれる。手の動きが感じられる、という感想はたぶん多いかもしれない。自分でまねて見るとわかるが、トゥオンブリーのように大きく手を動かすと手の動きというよりは、手の重力や手の存在そのものが身体に実感されてくる。骨と筋肉、神経によって支えられているわたしたちの手があるということだ。この絵画に視線を戻してみるとそういうものが一切省かれていて「手の動き」「運動」というものだけが残っている。

Bolsenaというイタリアのボルセーナで描かれた2枚の絵の前にたつ。この2枚は四角形の枠に数字がランダムに並んでいて、下に沈殿していくかのような構図になっている。この絵の前にたつと、部分と部分それ自体は意味をなさないということ。それらが視線や意識によって結び合わせられることによって、化学反応のようにイメージがでてくる。すなわち、脳裏にある記憶そのものが現出しているように思われたのだった。

最後の手段《おにわ》

(画像は有坂亜由夢さんのタンブラーより

イメージの祖父。
祖父のイメージ。

老いた男性が棺桶らしいものに包まれる。これは宇宙人『じじい -おわりのはじまり-』の映像でつかわれたものだと思う。連さんがそのときに一瞬顔をのぞかせる。《おにわ》はこのようなところから始まる。死を考えざるをえない。
祖父は自分の棺桶 — 箱のなかで庭をつくる。
わたしの祖父も自分の庭をもっていた。
女性(おいたま)が祖父と出会う。

わたしは去年の11月、祖父を亡くした。そのときは台湾に滞在する準備で慌ただしいときで東海道線で母に「台湾にいるとき、祖父にもしものことがあったらどうしようかな」と冗談めかしたことをLINEで送ったら、しばらくして東京駅かそのあたりで母からLINEで返信がある。

「いま、おじいさんがなくなったよ」

とあった。振り返って車窓から外を見上げたら、雲一つない空が広がっていた。ああ、おじいさん・・・台湾にいるから気をつかってくれたのかなと思いながら、芸大まで吉田晋之介さん《午前3時3分の底 -ひも億-》を見に行った。おかげで彼の絵と祖父の命日はつながっている。

祖父の火葬のとき、祖父の頭蓋骨が焼け崩れることなく、そのままごろんと転がっていた。

「おにわ」の「まつげ男」(とわたしは呼んでいる)の口元はけっこうな美少年を思わせる。稲妻のような絵が壁に描かれたコンビニエンストア。超巨大な木造建築物をかけあがっていくまつげ男。ふわふわした犬。滝のようにあふれるコーヒー。箱につつまれていく女。祖父が手 にする湯のみのおにわ。引き抜かれる富士山。さわると砕け散るスマートフォン。女性は箱に包まれて鍾乳洞をおりていく。口紅をつけるおいたま(セクシー・・・)。古代において鏡の力は、そのものが映ることだったとされる。キラーンとした窓。積木の彩り。あいかわらず何かが常に飛んでいるのも最後の手段らしい。

「おにわ」については、製作中のレポートで有坂さんが語っているところがある。

・・・『おにわ』は影なんです。光に対しての影、つまり裏面といいますか。民話や神話の要素に加えて実写映像も入れて、よりディープな作品にしたいと思っています。

祖父のおにわの空が一気に開かれると同時に、祖父の精神も弾けていて、希望に包まれている。わたしが亡くなるときもこうであってほしい、できることなら。

祖父は母に「ともたけは?」ときいたという。
それが最後の言葉だった。わたしは祖父の頭蓋骨をみながら、動かない口から紡がれる言葉を見ていた。

イメージの祖父。
祖父のイメージ。

來自四方:近代臺灣移民的故事特展

去年12月、台南の国立台湾歴史博物館で移民をテーマにした「來自四方:近代臺灣移民的故事特展」という、近代から現代台湾における移民についてフォーカスをあてた展覧会の写真です。撮影自由でした。
渡航証や戸籍などプライベート性が高い史料が多く使われている。日本ではなかなか難しいテーマ。

冒頭の女の子の写真。史料をよむと、おさげの少女が廈門から台湾の新竹に向かおうとする史料。親に会うために。船で台湾に向かう少女と、ガラスに映り込んだカメラを構えるわたしの姿が交錯している。

2014年の展評

年の瀬となりました。2014年に見た展覧会のなかで、心に残ったものをいくつか選んでみます。

1、内藤廣 「アタマの現場」(ギャラリー間)
内藤さんの建築に関する回顧展。建築の展覧会では、模型をすっきりみせたり、動線に配慮した展示をみせるのに対し、内藤さんはスチールラックに所狭しと並べる。あるいは壁に直接はりつけるようにしている。これは、博物館における古代生物の展示ブースのようで、氏の仕事の蓄積とともに数百年後、氏の建築が紹介されるときの状況を思い起こさせるものであった。

2、八幡亜樹「パランプセスト―重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き Vol.7」(gallery αM)
もっとも新鮮な衝撃を受けた個展だった。ギャラリーに入ると目の前にAdobeプレミアの古いヴァージョンで編集している画面で全体構図を示しつつ、そこから映像を飛ばす。まるで記憶を飛ばすように。鑑賞者は各部分の映像を繋ぎ合わせ、冒険しながらひとつの「記憶」を八幡さんと共有しているかのような身振りをとっている。

3、「日本国宝展」(東京国立博物館)
これまで国宝展は何度か開催されているが、今年は「愛国心」が話題になったためか、美術と政治について考えさせられた展覧会。
「国宝」「重要文化財」の認定基準として、年代やそのものがもつ背景が明らかであるという明瞭性がある。これらを辿ることでたしかに日本の歴史そのものを追認できるが、おのれの背後に存在する、いつのまにか刷り込まれた歴史観、幾多の過ぎ去ったものたちを回顧するものだった。 Continue Reading →

繋がらない男女 — 齋藤陽道×百瀬文

2014年9月13日、ギャラリーハシモトで齋藤×百瀬のイベントにて。何を行うのかは事前に告知されず、それゆえに見てみたかったのだけれど。

本来、この企画は19時に開場するとアナウンスされていたが、一日前になってギャラリーからメールで19時半から開場するということが伝えられた。こんな文面である。

各位

お世話になっております。
この度は「ことづけが見えない」関連イベントにご予約いただきありがとうござ
います。

明日のイベント開始時間ですが、準備の都合上
19:30~となりましたので、ご了承くださいませ。
イベント自体は、1時間程を予定しております。
受付は、10分前より開始いたします。

お席のご案内は、先着順とさせていただきますので
立ち見の可能性がありますこと、ご了承くださいませ。

狭いスペースの為、ご不便おかけすることもあるかと思いますが
どうぞ楽しみにいらしてくださいませ。お待ちしております。

ああ、そうなの、とその時は思っていた。 Continue Reading →

二人から撮られる — 齋藤陽道と百瀬文

齋藤陽道。
百瀬文。

二人はわたしのなかでは、別の繋がりにいた。齋藤くんとは青山で会ってそのままマックに流れ込んだときの付き合い、百瀬さんとは彼女の個展をきっかけに。その二人が、東日本橋のギャラリーハシモトで展覧会をされている(27日まで)。わたしにとっては交差点のような風景が感じられる。そう、鋏の支点のような出来事だった。
二人の人生はここで交錯して、そしてまた離れてゆくのだろう。交錯したことを祝いたい。

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俺式札幌国際芸術祭での食事

7月21日から26日まで札幌に滞在していました。
ちょうど、札幌国際芸術祭(SAIF)が開催されているときです。といっても、仕事がメインでSAIFをみるために訪問したのではありませんでした。なので、展示をみたのは21、25の夜、26日だけでした。ここでは、SAIFをご覧になる方にむけ、情報を記しておきます。 Continue Reading →

クリスチャン・マークレー「電話」(1995)

わたしにとって、電話にまつわるもっとも古い思い出は、母の述懐による。母によれば、電話をしていたときに幼いわたしが「だれ?」と声を出して尋ねたらしい。この何気ない質問は、母にとって強烈な記憶になっているらしく、思わず泣いてしまったという。
もちろん、わたしはこのことを覚えていない。

ただ、電話というメディアは相手の姿がみえず、補聴器を介しても声の内容をつかむこともできないという意味で、わたしにとってはもっともメディアらしくないメディアだった。今も基本的に変わらず、どなたかと遠距離でやりとりをするときは「すみません、わたしは電話ができないんです」と断っている。

さて、クリスチャン・マークレーのこの作品はいろんな映画の電話をするシーンを切り取って、編集している。あとからやってきたものの特権でいえば、あの有名な「ザ・クロック」が見え隠れしている。

これをみていると、電話を「かける」「探す」「とる」「おろす」といった身振りがあって、単に会話をするためのメディアじゃないんだなと感じる。この編集も巧妙で、最初は「かける」身振りになっているが、終盤になると電話を終える形になっている。ラストはふっつりと切れた電話、もう届かない声のむなしさ。

電話は不思議な装置だ。福田裕大さんが最近刊行されたシャルル・クロ論でも示されているように、電話という機械は聾者の影がつきまとっているにもかかわらず、わたしはその電話そのものにふれることができない。これをつかって、コミュニケーションをしているひとたちは頭に何を思い描いているのだろうか。それはわたしの想像をはるかに超えている。

唇を読むことを依頼する恐ろしさ ― アンリ・サラ

東京国立近代美術館「映画をめぐる美術 ― マルセル・ブロータースから始める」をみる。真っ黒なカーテンが通路を覆うのは、デヴィッド・リンチ「ツイン・ピークス」を思わせる。その先には光があって、何かが動いている。ムービーや写真である。

今日はこのうち1つ、アンリ・サラ《インテルヴィスタ》をとりあげる。この作品は、サラの母が政治的な活動をしていたときのヴィデオフィルムを発見し、母にみせる。それには母へのインタビューもあるのだが、音声がなく、何を言っているのかわからない。母は自分が何を言っているのか知りたいという。そこで、サラはインタビュアーやカメラマンに会い、母のインタビューの背景にあるものを探っていく。 Continue Reading →

真実ほどまやかしのものがあるかしら? ― 武田陽介「Stay Gold」

武田陽介「Stay Gold」へ。
そもそもといえば、わたしがFacebookで武田陽介さんを武田雄介さんと勘違いしてしまったのが出会い。あのときはほんとうに武田さんに失礼なことをしてしまった。

ギャラリーに入ってすぐ、一番奥にきらめいている木漏れ日のような写真がみえる。脇には、街、天体、白熊の写真・・・。スタッフたちがパソコンを操作しているところを通り過ぎながら、これは夢か、現実だろうか。わたしは今まさに、何を認識しているのか。どこにいるのかと無意識に考えながら見ていく。日本語では「写真を見る」などと眼を使った動詞で表現してしまうけれども、武田さんの写真はその動詞がまったくふさわしくなかった。そうではなくて、武田さんが捉えた時間は、わたしの網膜にスティグマとして焼き付けていた。わたしは現実にいる。知覚上でも写真をみつめて、眼をサッと閉じると網膜に武田さんの光や残像が焼き付けられる。ゆっくり眼を開くと、その風景がみえて、でも、フレームがみえはじめるとそこはタカイシイ・ギャラリーであった(ちなみにエレベーターに乗るとき小山登美夫さんと居合わせた)。
あたりまえのことだよね。でも、そんなこと、他の写真で考えたことがなかった。米田知子さんのように、作家のメガネを通じて原稿を撮影している写真で、その光景のように思えてしまうことはあるけれど、でもそれは写真をみている主体(わたし)がいてこそ。武田さんの写真はそれが感じられない。気付けば、その現実そのものになっているように思えた。
写真と自分を仕切っているはずのガラス、あまり反射しない素材だったのだろうか。わたし、ベーコンがいうようにガラスのなかに自分を映して作品と同化するように遊んでいることがあるのだけど、武田さんの写真はまったくそういうことを思いつかさせてくれなかった。不思議だな。ロバート・ブラウニングが詩でうたった言葉が出てくる。

「真実ほどまやかしのものがあるかしら?」

思わず、カタログを求めてしまう。新井卓さん、横谷宣さんのように、入手が難しい材料があるという写真の現状に対して、かつての技法を研究しながら作品を作る人たちがいる。かれらの存在をかんがえると、武田さんはデジタル写真の技法をどのように捉えているのだろうか。そういう展覧会だった。

口のなかにきらめく光

からりとした天気の土曜日なのに、朝から明治の史料を読み、図書館に出かけて史料を複写して、ノートを取って・・・「んー」と悩んで。図書館が閉まると同時にそのまま横浜美術館の百瀬文展の初日へ向かう。

新作《The Recording》は、展示室に入った瞬間、ああ!と声を出しそうになる構成になっていた。最後のところで百瀬さんの口ぶりから、新井卓さんの写真がグワッときた。百瀬さんがある単語を呟いたとき、その口の奥に・・・新井さんによって写真の技法を再解釈されることによるあたらしい写真が、豆電球に反射したかのようにキラッときらめいた。
もうひとつの新作は・・・これはタイトルを書かないほうがいいだろう。あることに集中している女性の姿からプラトンとフロイトのエロスを両存させたようなことを思った。意外だな、この女性をみて、そんなことを考えるような人だったのだろうか、わたしは。

オープニングパーティでは、横浜美術館の柏木さんにお会いした。わたしは学生のとき、柏木さんの近代美術史を受けていて、レポートも出した。そのレポートを返却されたときに柏木さんが赤ペンであることを指摘されていて、すごく笑ったことがあって。その話をした、懐かしい。
ほか、学芸員の庄司さんと初対面。ほか、宮下さん、天重くんなどと久しぶりに会う。袴田先生もいらしていたが、人に囲まれていて、声をおかけするタイミングを失う。最近、人と会話らしい会話をしていなかったので、よいリフレッシュとなりました。

さて、21日の上映会は行くつもりでいる、緊張と楽しみが半々と。

うまく動けない ― 今井俊介展(資生堂ギャラリー)

今井さんはインタビューでこんなことを言っていた。

たまたま知り合いの女の子が穿いているチェックのスカートが目に入った。チェックの模様がフワ~っと波打っていて「ああ綺麗だな……」と思ったんですよ。こ んなに綺麗な色と形があるんだから、自分で考えなくてもいいな、この模様をそのまま描いちゃえばいいや、と閃いたんです。

波打つスカート?なんというエロティックな・・・。そういう今井さんの作品を、資生堂ギャラリーにて見る。まず、驚いたのは蛍光灯を使っていたこと。スポットライトは使っていないようにみえた。あまり影をつくらない蛍光灯の面的な光によって、はじめて、資生堂ギャラリーの展示空間を認識できたような気もした。

階段を下りきって、今井さんの絵の前に立つ。メリハリの効いたストライプの旗をいろんな角度からみたようすを描いたものだという。
色彩が限定されているようにみえるのは、その旗をそもそも対象にしているからだけれども、不思議なものだよなあ・・・。その場からうまく動くことができない。手をひろげても包まれるぐらいのたっぷりとしたサイズ。側面からキャンバス地をみると、ピンと張っている。キャンバスがどうも張りすぎていると思ってきいてみると、木枠ではなくてパネルにキャンバスを張っているのだという。先ほどの面的な蛍光灯のライティングとも相まって、絵そのものが影をどこかに追いやっているようにも見えた。これほど影が感じられないのに、どこかに空間の裂け目がみえるのは、たぶんに、わたしが子供のときからみてきた紙芝居やテレビであったり、平面的なイメージのなかに、空間を創りだしてきたからだろう、頭のなかで。あるいは、何かが起きそうな期待。
そして、アクリルの明るいというよりはあまりにも強い色。目を動かすたびに、色が残像となって壁に、絵の他の地に浸食していく。だからなのか、わたしは動けなかったのかもしれない。
じっと息をひそめるように、自分の体を止めようとおもうが、でも止めることはできない。

(画像はCinra.netのインタビューより引用しました、問題があれば対応します)

今年の桜

kido

keyword:ハギワラプロジェクツ/城戸保

 

ミケランジェロ「階段の聖母」における聖母の身振り

国立西洋美術館でミケランジェロ展がスタートしました。今年、わたしがもっとも楽しみにしていた展覧会のひとつです。この展覧会においては、階段の聖母(カーサ・ブオナロティ)が目玉とされています。

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マストの帆のようにはためく絵 ― 三瀬夏之介展

夏の薫風のままに。

平塚市美術館の日本の絵 三瀬夏之介展へ。三瀬夏之介さんのサイトもある。入口に芳名帳が置かれてあり、日本美術史・辻惟雄さんのお名前があったのをみた瞬間、入口にかけられている作品が一気に、何百年も時を過ぎた作品だと錯覚した。それは近世を中心に活躍された辻さんが、わたしと三瀬さんの作品を遠くに連れていくようだったから。

展覧会のフライヤーは完成作や目玉を掲載しそうなものなのに、この展覧会では製作中の写真を掲載していて、人の大きさとの対比や無機質な足場が爆発しているかのような絵の前にそびえている。なぜそう思ったのか自分でもわからないのだけど、あの終わりの見えない福島原発とそれを覆っている構造体と重なっているようだ(ちなみにこれは本展での写真ではなく、青森公立国際芸術センター青森で撮影されたもの)。

一体何人ぐらい訪れるのだろうとおもい、スタッフに尋ねると、一日に500人ぐらいみえるという。盛況ではなかろうか。 Continue Reading →

百瀬文「ホームビデオ」

気のままに。

明治から平成に戻って(古い史料を読み終えて)、百瀬文「ホームビデオ」に。
ギャラリーの前にはガラスの引き戸になっていて、それをあけるとカーテンがかかっている。中から音はなにもしない。左手でそれをあけると薄暗いバーのような空間におばあさんが話している映像が目に入る。

“The interview about grand mothers”  彼女の二人の祖母が彼女のインタビューを受けている映像。奥に目をやると人に囲まれている彼女がみえたので手をふって挨拶をする。

わたしはすぐこの映像に入って行く。活発そうな祖母はソファに座っていて背後には陽光がさしていて、その微妙なボケ具合に彼女らしさがあった。そう、わたしをとった二回目のデモシーンにどことなく似ている。わたしの背後の壁がうっすらと遠くなっていて。そんなことを思いながら、ふたりの会話をみる。
祖母は・・・どちらが父方の祖母か、母方の祖母か。二人が二人で語っている。そうだよね、楽器であれ、肉体であれ、音は必ず「機構」があるんだよね。声の主体が。そして、この作品はどちらもご存命でなければできないような同時性がさしこまれている。もし、隣に百瀬さんがいたら、「川村さんに何を言ったの?」ときいたかも。
でもまあ、単に素朴な気持ちでみているとこのふたりはまったく違うね。わりと派手目の化粧に服装、活発そうな祖母と控えめで物静かそうな祖母・・・。
(これは字幕がないが、テキストが用意されているので聾者はそれを見てもらいたい)

その祖母たちの斜め向かいには「定点観測(父の場合)」。物静かそうな、でもときどき激しい内面も見せそうな男性の後ろ姿。173項目だったか、彼女が構成した質問用紙に記入して、その答えだけを発声している。それに伴って字幕が表出される。マシンガンのように。これをみていて思ったのだが、わたしはメルロ=ポンティが指摘する、視覚の分離性と聴覚の統合性を実感することはできないじゃない。要するに、視覚を獲得するには目を動かして風景を認識する必要があるのに、聴覚は音から身体に向かってくるという話よね。音が向かってくるのを物理の授業で知っていても、実感することはできない。
でも、あの字幕をみると、これはわたしにとって視覚だろうか?聴覚だろうか? それに音は、そう、消えるものだよね。いつまでもそこにはいない。あの字幕は、徐々にフェードアウトするエフェクトではなくて、瞬殺。次の瞬間には無かったことになっていて、よけいその気持ちを強くさせた。打ち上げ花火のように、ぱあって上がって余韻を残すものではなくて、花火がひろがったと思えば、もうそこにはいない。
最後のエンドロールをみて、ハッとしたんだけど。父の場合、とあるけど、社会的なこととしての父の存在が・・・。そのことを彼女に問おうとしたが、あいにく彼女はたくさんの人たちと会話しているところであった。
一番奥には彼女しか登場しない映像。これはあまり詳しく書かないほうがいいだろう。彼女が寝ていて。途中で無関係のような、意味ありげなシーンが差し込まれるのは、あの赤いマニキュアのシーンのような。そこでフッとなぜか笑ってしまった。そうそう、宮下さんにあの映像でやっていることは気持ちいいと思うというと否定されたけど。

彼女に軽く挨拶をしてから雨にぬれる国分寺をあとにする。
中央線のなかで、ふうっ、と安堵している自分がいた。

それは、今回の個展にわたしをとった映像が出ていないことによる解放感だったのかもしれない。

2013年 6月 21日(金) 23時49分48秒
癸巳の年 水無月 二十一日 戊午の日
子の刻 二つ

 

梅佳代展

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Keyword:梅佳代/東京オペラシティ

絵画と街とわたしの切れ目 — 今井俊介

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keyword:HAGIWARA PROJECTS/今井俊介/初台

2013年 4月 28日(日) 20時23分12秒
癸巳の年 卯月 二十八日 甲子の日
戌の刻 三つ

【お知らせ】百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」

百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」が上映されます。スクリーンで上映され、環境は良いと考えています。どうぞよろしくお願い致します。

平成24年度 武蔵野美術大学 造形学部卒業制作・大学院修了制作 優秀作品展

会期:2013年4月3日(水)~4月25日(木)
休館日:日曜日
時間:10:00~18:00(土曜日は17:00閉館)
入館料:無料
会場:武蔵野美術大学美術館 展示室3
アクセス:〒187-8505 東京都小平市小川町1-736
交通についてこちらを参照してください。

※当作品は、上映時間約 25 分の映像です。
※上映開始時間は、毎時間【:00】【:30】からになります。作品の構成上、途中入場が出来ませんのでご了承ください。

スチールはこちらをどうぞ。

瞽女とざらつき

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keyword:橋本照嵩/瞽女

2013年 4月 03日(水) 22時41分23秒
癸巳の年 卯月 三日 己亥の日
亥の刻 四つ

「盲」と接続する(ソフィ・カル展)

原美術館で開催されているソフィ・カル展をみにいく。
彼女の盲人を撮影した写真というのは、わたしにとっては京都盲唖院のすでに忘れ去られた人たちのような存在をあらためて召還しているようにも思えた。障害者の記録として、というよりも、目が見えないという盲の身体が織りなす物語が明治から平成に連続しているということなのだと思う。

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エリヤと天使(ルーベンス展)

20130325Rubens

rubens_angel“Le prophète Elie reçoit d’un ange du pain et de l’eau”(vers 1626/1628)
ペーター・パウル・ルーベンス《天使からパンと水を受取る預言者エリヤ》

keyword:ルーベンス展/bunkamura

2013年 3月 25日(月) 21時39分31秒
癸巳の年 弥生 二十五日 庚寅の日
亥の刻 二つ

理想の醜さ

20130325

kewword:TOKYO ANIMA!/最後の手段/深山にて

2013年 3月 25日(月) 00時08分24秒
癸巳の年 弥生 二十五日 庚寅の日
子の刻 三つ

ミケランジェロ《ピエタ》におけるキリストは死んでいるのか?

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篠原治道『解剖学者がみたミケランジェロ』(2009)ではサン・ピエトロ大聖堂の《ピエタ》において、キリストは「死んでいるのか?」ということを論じているところも面白いところです。これを観察すると、右の膝から足首にかけて、筋のシルエットがみえるといいます。これは筋収縮によるものであるといいます。これは生存している人にみられます。
また、それはマリアの右手が「キリストの右の側胸部から腕にかけて脇の縁を豊かにたわませている」ところで、これほど豊かなたわみとなると、生存している可能性が高いとします。
また、「キリストの右手の甲には指の付け根から手首に向かって次第に粗くなっていく、菱形(りょうけい)をした静脈の網目が微妙に表現されている」といい、これが浮き出ているということは呼吸があるはずで、生きているはずだと結論づけます。このようにピエタを観察し、筋収縮、たわみ、静脈の3点でピエタは生きている、と篠原は考えているのです。

Scala miche

ミケランジェロが16歳のときに制作した《階段の聖母》(カーサ・ブオナロッティ、フィレンツェ)においては、右足に力が入っているところで、土踏まずの形からみて、マリアはこの場を立ち去ろうとしているところであることを指摘しています。

2013年 3月 20日(水) 22時40分08秒
癸巳の年 弥生 二十日 乙酉の日
亥の刻 四つ

ミケランジェロによる男性器(陰茎・陰毛)の表現について

篠原治道『解剖学者がみたミケランジェロ』(2009)を読みました。この本はタイトルの通り、篠原がミケランジェロの幼年期と彫刻について解剖学的に論じるというものです。美術史では見えてこないいくつかの要素があるといえるでしょう。

LLでは木下直之『股間若衆』をご紹介したことがあります。この本は絵画と彫刻における裸体像の性器の表現をめぐる政治的・倫理的な面を取り上げています。この本に関連して読むことができるのが『解剖学者がみたミケランジェロ』で、具体的には、ダビデやキリストなどの彫像やシスティナの天井画における裸体の陰部の表現です。
木下の同書では主に近代日本における様相を扱っていましたが、ルネサンス美術の一例としてミケランジェロを取り上げてみましょう。 Continue Reading →

木下直之『股間若衆 男の裸は芸術か』

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会田誠展にわいせつな表現があるということで抗議されたということもあり、性器表現についてどういう概念が働いているかを勉強しようと思っていました。また、2011年に東京国立近代美術館「ぬぐ絵画 – 日本のヌード 1880-1945」が開催されていることも思い出しながら読みたい本です(わたしにとって読書というのは、単に読むのではなくて、問題意識をもって読むということが重要なところと思います)。 Continue Reading →

突然炎のごとく — 梅本洋一

20130312

keyword:梅本洋一/デプレシャン/魂を救え

2013年 3月 12日(火) 23時25分00秒
癸巳の年 弥生 十二日 丁丑の日
子の刻 一つ

わたしは女性を探している — 川村麻純展

昨日、資生堂ギャラリーで開催された川村麻純さんの個展へ。
わたしは川村さんの展示を二度訪問したことがある。最初はBankartで開催された芸大先端の制作展。これについては「見えない女性たち」という感想を書いた。そのときはヴィトーレ・カルパッチョや小瀬村真美さんのことを引き合いに女性たちの生死の表現が気になったし、川村さんの「声を撮りたい」という言葉に驚いたのだった。

その次は、LIXILでの個展だった。このときは、平日の昼ということもあり、あまり人がいないことをいいことに「女性の目と自分の目を合わせてみるとどうなるかな・・・」ってあのスクリーンに接近したら、その女性からずっと見つめられているというドキドキ感があった。時間を越えてわたしとその女性が見つめ合っているということになろうか。川村さんが被写体にカメラを見つめてくださいと指示していることがよくわかる撮影なんだと実感している。
ということで、今回は3回目の訪問になる。

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感想(2) ― 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》

東京五美術大学連合卒業・修了制作展に出品されていた百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》の上映が終わりました。武蔵野美術大学のブースで、しかもテレビとヘッドホンによる上映という、作家にとっては「好ましくない環境」でした。

それゆえ、出演者としてもあまり積極的にPRはしなかったのですが、ヘッドホンがある、ないだけで全く違うように見えてしまうことであったり、あるいはヘッドホンがない人にとっては、聞こえない人が映像をみるかのような状況になっているという指摘もありました。また、ヘッドホンをつけてもなお、声を聞くことはできないという指摘もあったように周囲の反応がよく、広報させていただいたという経緯があります。

今日でその上映も終わりましたし、百瀬さんがKABEGIWAのポッドキャストで、ある程度、作品の背景について語っていると聞いていますので、ここでも少し3点、応答しておきたいと思います。ネタバレにならないように書いておきます。

(なお、まだ見ていない人は読まない方がいいでしょう)

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大乗寺の儚さ

愛知県立美術館にて「円山応挙展―江戸時代絵画 真の実力者―」が始まりました(2013年3月1日―4月14日)。

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エル・グレコ

elgreco
keyword:エル・グレコ展/ギリシア/クレタ/ウィトルウィウス/ヴァザーリ

2013年 2月 27日(水) 00時13分03秒
癸巳の年 如月 二十七日 甲子の日
子の刻 三つ

VHSの摩擦

河合政之さんのヴィデオ・インスタレーション。
パソコンなど準備されたイメージは使わず、VHSというアナログなものを使って、映像を映し出すという。ザァァァという音がするかもしれない、わたしのようにアンテナを使ってアナログテレビを見ていた世代として最後のほうにあたる人からみると、これはテレビのあの歪んだ像ではなくて、VHSと再生装置のあいだで人為的なスパークを起こさせたときの電子的な歪みなんだろうと思う。言葉が出てこなかったりするときがあるだろう?そんなときのなんともいえない、言葉へのしにくさのようなこと。一度河合さんのパフォーマンスをみてみようと思う。

2013年 2月 21日(木) 19時12分17秒
癸巳の年 如月 二十一日 戊午の日
戌の刻 一つ

写真と風景のあいだ

20130218

keyword:鈴木理策/ギャラリー小柳/アトリエのセザンヌ

光を消す – ゲルハルト・リヒターのストライプ

20130126keyword:ゲルハルト・リヒター/Gerhard Richter/ワコウ・ワークス・オブ・アート/WAKO WORKS OF ART/Strip/”New Strip Paintings and 8 Glass Panels”

2013年 1月 26日(土) 23時35分37秒
癸巳の年 睦月 二十六日 壬辰の日
子の刻 二つ

感想 ― 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》

平成24年度 武蔵野美術大学 卒業・修了制作展において、百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》をみた。

わたしは、この作品で「木下さん」と呼ばれる出演者だ。

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百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》について

武蔵野美術大学大学院の院生、百瀬文さんが修士制作として、わたしとの対談を映像作品として制作されました。
優秀賞にきまったとのことで、おめでとうございます。後日再上映もあるそうですが、今回はじめての上映ということでご案内致します。
撮影後の編集については、一切何も知りませんし、まだわたしはこの作品を見ていません。スクリーンに映し出された過去の自分とその内容についてどのような感情を抱くのかをいま、想像しています。

どうぞよろしくお願い致します。

以下、引用。
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皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

このたび、平成24年度武蔵野美術大学卒業・修了制作展にて新作の映像作品を上映いたします。
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絵の見せ方 — ある家の方法

道を歩いていたら、こんな家をみかけた。立派な構えで、戦前の建築のようにもみえる。庭の木が剪定されていることや郵便受けの具合からして、人が住んでいる気配がする。この家の前をとおったとき、玄関先に目をひくものがあった。黄色いものだ。

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一見してすぐわかるけれど、正月を意識した油彩画だった(注連縄が飾っていなかったけど)。この絵は二枚あり、バックが同じ黄色なのでペアで制作されたものであろうか。
たしかにこの玄関先に華を添えている。 Continue Reading →

遠近法の静かな崩壊 — ポール・デルヴォー

下関市立美術館にてデルヴォー展をみる。府中市美術館では「夢にデルヴォー」と「夢に出るぞー」と語呂合わせしたコピーが使われていたけれど、下関ではそのようなものが使われず。どうも地域によって広告のやり方が違うようだ。東京だとあまりにもオーバーフローしているためか、奇を衒うようなやり方がマッチングしているのだろうか。それはさておき、府中市美術館で見逃していた展覧会を下関でみたというわけだ。

デルヴォーについての思い出がある。それはだいぶ前、横浜でのことだった。
みなとみらいにある横浜美術館の常設展示にデルヴォーの絵画がよく展示されている。それで、ある日、シャンパンを飲み過ぎて、少し頼りない足取りで横浜美術館を訪問したことがあり、デルヴォーの絵の前にたったことがある。 Continue Reading →