御徒町の3331にて。ここは、天内大樹さんと訪問したことがある。天内さんと話していると、自分が思っていないことまで話してしまうのだから、ある意味危ないのかもしれない。
それはともかく、ここを訪問したのは、大友克洋GENGA展をみるためだった。かの『AKIRA』はワイヤーが張られた段のガラスケースに原画を載せていて、原画が浮いているかのような構成。
原画はほとんどA4で、見開きはA3横で描かれている。アキラは夢中になって読んだ漫画で、子供のころだったんだよね。クスッと笑ってしまうようなシーンもあるけれど、人が撃たれて死ぬシーンなんか、不条理というものを実感した強い思い出がある。
その原画をみたとき、はじめてアキラを見たという気持ちになった。漫画で読んで内容を知っていたことがふきとんだ感覚。ひとこま、ひとこま、世界がそこにある。絵画をみるとき、たとえばレオナルドのモナリザはたくさんの美術本に載っているけれども、実物をみると・・・というじゃない。でも、そういうオリジナリティがもつアウラともまた違うものだった。
アキラは漫画でもなくて、絵でもなく、実際にあったんだという感覚がすごくした。現実と空想が入り混じっているのではなくて、現実そのものなんだよね、アキラは。そこにまた別の東京の像があったから。原画の向こうに時間があって、わたしたちの世界と別の世界がそこにあった。
セリフのところ、印刷された文字を切り貼りしていて。そこだけ色が違うし、浮いている。フォントパターンは同じだけど、大きさや文字と文字の間隔を変えていたり、切り貼りの跡にも試行錯誤したかのような、のりの跡があったりして、相当練られていた。
ところで、6巻で、鉄雄が一瞬だけ意識を取り戻してカオリの死を認識するシーンがある。
哀しいところで、「カオリ・・・聞こえるか・・・」「鉄雄様」といった吹き出しが原画には入っていなかった。つまり、セリフは枠の外に吹き出しが鉛筆で入っていて、大友による、なにか、二人への愛情のように思われた。このセリフが入った経緯はわたしは知らない。ヤングマガジンに掲載されたときはセリフがなかったのだろうか?この原画展で明らかになったのではないか。
そう考えていたのはわたしだけではないようで、 @JunyaTheSphere さんが会場で『アキラ』のコミックを手にしながら赤鉛筆で細かく修正痕をチェックしていた。彼とTwitterでやりとりをしたところ、彼が運営しているサイト、大友克洋DBで考察を公開するようだ。Twitter上かもしれないけれど、いずれにしても楽しみ。
鉄雄がはじめてカプセルを噛んで、「うわあああ」と頭を抱えるシーンやタカシが撃たれてアキラが力を出すシーン。それはわたしの思い出じゃなくって、現実なんだね。リアリティなんていうと嘘くさくなってしまう。そこにいたんだよね。
アキラと鉄雄がはじめて会うシーンは、鉄雄の口元と目に小さく修正がされていた。驚きを控えめにし、畏怖感を出しているような。
ところで大友の初期作品をみると、色使いや構図からして、横尾忠則の影響をよく受けているのではないかと思う。
コメントを残す