いま、ヴァールブルクのボッティチェッリ論を読んでいて思ったのだが、この関連書籍のひとつにディディ=ユベルマンの『イメージの前で』がある。
これは、美術史の発明者であるヴァザーリとその末裔で改革者であるパノフスキーのふたりが中心に論じられているもの。16世紀の画家でもあったヴァザーリと19世紀から20世紀にかけての美術史をリードしたパノフスキーというわけだけれど。
で、ディディ=ユベルマンはヴァザーリの『列伝』にあるテクストや挿絵を論じていて、とくに145−160頁はこの二人を繋ぐ橋として大変示唆的なくだりになっている。しかし、この橋をわたしが渡っていたとき、その途中でカント以外に、二人の間に位置されるべき重要な人物がいると思う。もちろん、橋の構成はディディ=ユベルマン流といえばさすがと思うけれども、わたしのような凡人にはヴァザーリが行った仕事の系譜上、そしてパノフスキー生前に取り上げるべき人がいる。しかし、あのディディ=ユベルマンが知らないとも思えない。どうしてだろう?わざとなのか。経由しないのはどうしてだろう・・・。
現代において、ヴァザーリを語るうえで欠かせない人物のはずだ。
そんな疑問が脳裏に浮かんだ。もっとこの本を読み込んでみたい。
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