おおかみこどもの雨と雪

Posted on 2012/08/05

Twitter上で話題になっていたし、予告編が良かったので日本語字幕付き上映を待ってすぐ見に行った。
劇場は横浜ブルク13。下のフロアが紀伊国屋書店なので長居してしまいそうなスペース。スクリーンは11、席はIの11番。11番がちょうどスクリーンの中心。高さもちょうどよい感じでベストの席だったと思う。さて、この映画について感想を書いておきたい。

ネタバレ含みます。

この「おおかみこどもの雨と雪」は、家族の形をとってはいるけれど、マルチストーリーのようになっていて、花、雨、雪の物語がそれぞれ折り重なっているところから少しずつ別れていく。それぞれの道をみつけていく。人と人が出会って、別れて行く話だなあと思う。

女子大生・花が大学で哲学の講義を受けているところに男の人に出会う。それがかれだった。かれは出席票を出さずに教室を出たのをみた花はかれに声をかける。しかし、かれは大学生ではなく、いわゆるモグリとして授業を受けていたのだった。花は、一緒に授業を受けませんかと話しかけるのだが、それがふたりのはじまり。
ほんと、男女の出会いは些細なところから始まるよね。

雪と雨が生まれたとき、花と彼は自然分娩で生んだのだけど、その理由はおおかみの姿だと産婦人科の人たちがびっくりしてしまうからだという。
ぼく、京都盲唖院の研究をしているから、明治の資料をみるのだけど、そのなかに明治の小新聞をみる。小新聞(こしんぶん)というのは、要するに、ゴシップ性の強い新聞紙。新聞記者も戯作者など物語をつくる人たちが近代になって転職するパターンが多い。それで、記事のなかに奇形の子供が生まれた!というものがときどき見出される。たとえば、指が人よりも多いとか掲載される。しかも実名なんだよね。
だから、掲載された人たちの心情はいかばかりだったろう。そんなことが思われた。

この映画の映像は全体的に、本棚のタイトルがわかるようなぎりぎりの認識ができる細かな書き込みと、曖昧なパステル調も混じっていて、そこがわたしたちの目を誘うような効果を出していたように思う。
本棚のなかみはここで詳しく調べられている。例えば、薄い紺の『広辞苑』があるのがすぐわかった。箱じゃなくて裸本になっているから、古本なのかな?と思ったりして・・・。そんなくたびれた感じとともに、実在する本がそこにあって、ぐわーとリアリティがあって。こう、本棚がわたしたちと花とかれの世界をつなぐ糸のようにも思えた。花は何かあると本をみて勉強をする、誰かに頼ることなく、自分の力でやっていこうとする。でも、雪と雨がおおかみの姿を現すことができるようになると、近所の目が気になって、田舎に引っ越するわけだけれど、そこでの自給自足の生活はなかなかうまくいかない。野菜を作ろうとしても失敗する。雪が思わず「わたしたちどうなるの?」と不安げにするところ、これまでの厳しくも幸せだった生活が揺らいだ一瞬が感じられた。

花はいつも笑っているけれど、それだけで生きていける世の中じゃない。最初、笑顔を否定するのがあの韮崎のおじいさんだ。雪が「あのおじいさん怖い」というほどの韮崎さんが花に野菜の育て方を教えるところ、わたしの立場でいえば、本を読んで、本にかじりついていても何もできやしないということを強く思わせられる。とくに、わたしのような、何かを研究している人にとっては・・・。本を読んだり、論文を検索して、そんな細かいことよりも・・・生きていくためにはもっと頭と手と足、体をフルに動かしてゆかないと何もできやしないことを思わせられた。
本棚を否定するわけではないが、この本棚は後になって、雪と雨が「おおかみか、人間か」という激しいケンカによって本棚ごと倒されてしまうのだけれども、これは何か象徴的だったね。花はもう本棚に頼るだけの女性ではなくて、田舎のなかで生きている。

雪と雨が通う小学校は富山県の滑川市立田中小学校がイメージされているとのこと。
この小学校で、雪と転校生の草平が、「なんで避けてるんだ?」「避けてない!」とやりとりして、草平がしつこくつきまとい、ついおおかみになって彼を傷つけてしまうところ、「おみやげみっつ、たこみっつ」のおまじないをしてなんとか抑えようとしている雪がそこにいた。それから、ラストシーン。雨はおおかみの道を選び、山に暮らす道を選ぶ。そして、花は息子の遠吠えに耳を澄ましている。雪は中学校の寮に暮らすことになり、家を出る。おおかみの道、ひとの道を選んだようにみえるけれども、もしかすると、かれらのなかにいる「おおかみ」はもしかしたら、あの実在したおおかみのことではなくて、わたしたちの心にひそむ、けものの記憶が表出したものなのだと思う。
雪が草平におおかみであることを告白するシーンが好きだ。

そして、花が夢をみていて、あの死んだ彼が現れて立ち去るところ。あれは、ガンダムのなかでシャアが立ち去るところを妹のセイラ・マスが「キャスバル兄さああん」と叫びながら追いかけるのを反対の側からみているようで、切ない。

終わったあと、席を立とうとしたら、前の列の女の子がずっと泣いていた。ぼくも泣いちゃったよと心で話しかけて立ち去る。

細田さんへのインタビューで、「(映画を見終わったあと)レストランでオーダーするときも、ちょっと渋い声を出して、おおかみおとこっぽい声でオーダーしていただきたい。自分たちどうしの大切なことについて考えていただけると、いいことがあるんじゃないかな。」とある。
渋い声ってどうやって意識的に出すんだろうね。

よい映画だった。またいつか、思い出すこともあるだろう。

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