若杉準治編『絵巻物の鑑賞基礎知識』を手にする機会がありました。
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「基礎知識」とあるだけに内容はわかりやすいものに仕上がっていますが、現在絶版で高価で取引されているのが残念ですね。復刊したほうがいい本だと思います。
目次は以下のようになります。
1、形式と様式に関する基礎知識
2、主題に関する基礎知識
3、文字と歴史から見た絵巻物
4、生活・風俗を知るための基礎知識
このうち、1の一部、絵巻の形式について書かれたところを読みました。
日本美術史の方にとっては常識とおもいますが、展覧会でキャプションをみるときに「題簽」「料紙」といった専門用語が出てくることがあります。これについて確実に理解しておくために基本的な知識を以下のように復習としてまとめておきました。
・絵巻の外形
絵巻は横に長く継いだ紙を軸に巻き、内部を保護するための表紙をつけ、紐で結んだものであるといいます。
物語の題はこの表紙に紙を貼り、記されます。これを「題簽」といいます(これは和本など書籍でも同じように言います)。
本紙を巻くための軸の上下に露出する部分を「軸先」といいます。軸は一般には杉が使用されるといいますが、軸先には象牙や香木が使われるとあります。
・本紙の縦幅について
時代や地域で違いはあるものの、縦29〜34cm、横50〜60cmであるといいます。しかし、室町時代には縦が14〜17cmしかない小型の絵巻が作られるようになり、「小絵」と呼ばれていたものと考えられるといいます。例として擬古物語(「遊女物語絵巻」「中宮物語」)やお伽草紙がそれにあたると推測されます。またお伽草紙を主題とする小絵のひとつ、硯破草紙には巻末によれば、小絵は将軍家や皇室の子女のためのものとも指摘されているといいます。
・本紙の横長について
平安時代の説話絵巻(信貴山縁起、伴大納言絵巻)には60cmほどの長さをもつ料紙が使われるといいます。一般的には時代が下るほど大きくなるのですが、縦寸法が長い合戦絵巻には横幅も長いといいます。「平治物語絵巻」は69.5cm、「後三年合戦絵巻」(東博)は75.6cmであるといいますが、とくに「蒙古襲来絵詞」は85.6cmであり、他に例がない長さだといいます。
・絵巻そのものの長さについて
平安時代には25m前後であったといいますが、鎌倉には15mとなり、室町には主題の多様化より10mに満たないものから25mを超えるものまで様々になるといいます。
・絵と詞について
詞を置いて、続けて詞の内容を示した絵を置くというのが一般的な配置です。これを「一段」といいます。しかし、紛失などの理由で詞がなく、絵から絵巻がはじまっているものがあるといいます。
・画中詞について
この本では画中詞の解説が細かくされています。
詞と絵が分離しておらず、絵のなかに詞があるようなタイプの絵巻がありますが、この詞を「画中詞」といいます。この画中詞には3つの形式があります。
1、一段のなかに詞はあるが、絵が長く、場所や人物の名前が書かれる
2、独立した詞書によって段は分かれているが、画中詞として人物や会話のみを書き込むもの(例:遊女物語絵巻、尹大納言絵巻)
3、独立した詞がなく、画中詞のみで物語、会話を記す(例:福富草紙)
若杉は1から2、3に派生したと考えています。
この3つについて、解説をします。
・最古とされる例 1の形式
この画中詞で一番古い作例が「彦火々出見尊絵巻」であるといいます。
12世紀末に作られたと思われる原本は江戸幕府に献上後、行方不明のもので、模本によればそれぞれの場面に画中詞があり、「龍王のひめきみ」という人物説明以外は「何々するところ」といった場面の説明のみであるといいます。
・画中詞の発展 2の形式
鎌倉時代の「華厳宗祖師絵伝」をみると、画中詞の数も多くなっているといいます。会話の部分に「一」「二」「三」と会話順が示されており、2の形式の初例であるといいます。
・詞書と画中詞が一体化 3の形式
鎌倉時代「能恵法師絵詞」では、台詞と地の文がそのままつながるように書かれており、要するに詞書が絵のなかに記されているということができるといいます。
また鎌倉時代末期の「天狗草紙」は会話がよくみられ、この時代には画中詞の中心を会話が示しつつあるのではないかと指摘されます。
・画中詞のまとめ
画中詞をもつ絵巻は鎌倉時代にはごく一部の作品にみられ、室町には白描物語絵巻とお伽草紙に限られており、絵巻のなかでは主流ではないといいます。画中詞について逆にいえば、絵師と詞書筆者が密接な関係を保ちつつ、絵巻の制作にあたっていることが考えられるが、制作現場の問題とからめて今後の研究がなさなければならないといいます。
ちなみに、この書籍の画中詞に関する箇所は、『古筆学叢林 〈第4巻〉 古筆と絵巻』にある若杉の「矢田地蔵縁起成立考」にもほとんど同じ文章があります。この本が出たのが1994年なので、この文章が先に執筆されたものと思われます。
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