ソローのことば — 『ウォールデン』より

Posted on 2012/11/04

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(・・・)世代というものはたがいに相手の事業を難破船のように見捨てるものだ。
もっと思いきって信頼してみても大丈夫だとぼくは思う。自分自身に気くばりすることはやめにして、むしろ自分以外のものに心を開く方がいい。自然はぼくらの長所ばかりか、弱点にも適応してくれる。ひっきりなしに心配し緊張している人など、いわばほとんど不治の病だ。どれほどの業績をあげるかが重要なのだと、ぼくらは誇大に考えるようしむけられている。重要なのに、し残していることがこんなにあるとか、もしも病気になったらどうしようかというぐあいにだ。一瞬の気のゆるみもない。信じることで生きるという姿勢を、許されるかぎりはご免こうむろうと心に決めて、昼間は気を張りつめつづけ、夜になると不承ぶしょうに祈りを唱えて、不安の褥(しとね)に身をゆだねるのだ。ここまで徹底し、おおまじめで、ぼくらはぼくらの人生に敬意を払い、変化の可能性など否定しつつ生きるよう強いられている。これがたった一つの生き方だというのがぼくらの言いぶんだが、実は一つの中心から引ける半径の数ほども生きかたはあるものだ。すべての変化がまさに奇蹟にほからなぬ壮観だが、しかもその奇蹟は不断に刻刻と起きている。講師の言葉にこんなのがある、「自分が知っていることは知っており、知らないことは知らないのだと知ることこそ本当の知だ」。想像上の事実をよく見究めて、理知にも事実だと認めさせる人が一人でもいれば、そのことを基礎にして、ついには万人が生きてゆくことになるとぼくは予想している。

ヘンリー・D・ソロー『ウォールデン 森で生きる』酒本雅之訳(下線部はわたしがひきました)

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