立命館大学の生存学研究センターからお呼びいただき、「明治10年代の京都盲唖院の発展と縮小に関する諸様相」という講演をさせていただくことになりました。以下、案内させていただきます。
京都盲唖院にかぎらず、周辺とどうからみあっていたのかということに注視したいなとおもっています。どうぞよろしくお願い致します。
(画像は、『京都府区組分細図』(明治12年)より京都盲唖院が京都中学(現:京都府庁)の右下にあることが示されている地図。ほんとは位置が少し微妙ですが)
以下、本文になります。
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■「明治10年代の京都盲唖院の発展と縮小に関する諸様相」
病と社会・環境・科学技術に関する近代史研究会(若手研究者研究力強化型プロジェクト)
日時:2012年12月22日(土) 2013年1月12日(土)14:00~17:00(日程が変更になりました、ご注意ください)
場所:立命館大学衣笠キャンパス創思館401・402 リンク先の24番の建物です、円形の建築)
「病と社会・環境・科学技術に関する近代史研究会」では、12月外部研究者の方を招聘し公開研究会を開催します。
今回は、木下知威氏(日本社会事業大学)を招聘し、明治10年代の京都盲唖院においてどのようなことが起きていたのか、ということについて報告していただきます。
京都盲唖院は、1878(明治11)年に日本で初めて、さまざまな年齢の盲人と聾者のための学校として創立されました。また、卒業生や在職した教員が地方で盲・聾教育を行う事例もあり、明治13年に東京で開校した「訓盲院」とともに現在における盲学校・聾学校の原素として位置づけられます。
このうち、明治10年代の京都盲唖院は、教員の拡充、より広い教場と寄宿舎の設置といった人材・空間的な拡張を行いますが、1885(明治18)年に開始される琵琶湖疎水工事と照応するかのように縮小していくという、急激な変化がみられます。
そこで、京盲文書(京都府立盲学校文書)、新聞記事など当時の資料について、文献学的な解説も行いつつ、いくつかのトピックを立てながらお話しいただきます。また、本研究の手法についても一部紹介されます。報告後は、全体議論を行います。
どなたでも奮ってご参加ください。
報告者 木下知威(日本社会事業大学)
司会 川端美季(立命館大学生存学研究センターポスドク研究員)
※当日の報告・議論には手話通訳があります。
なお、京都盲唖院について全体的な解説は最低限にとどめる予定のため、参加されるにあたっては以下の資料を1、2、3の順に読んでいただくことを推奨します。
1、「木下知威さんに聞く 新たなケアは「違い」の認識から さまざまな違いが共にあった京都盲唖院を追って」『訪問看護と介護』 17(8) 、p645-651、2012年8月
http://tmtkknst.com/LL/2012/10/30/インタビュー・ウィズ・トモタケ-キノシタ/
2、木下知威「待賢小学校いん唖教場と京都盲唖院に関する資料分析――京都府立盲学校と京都市学校歴史資料館所蔵の明治期資料から」『日本建築学会計画系論文集』第75巻第651号、p1025-1034、2010年5月
http://www.tmtkknst.com/works/TKINOSHITA_MOUAIN_PART2.pdf
3、木下知威「京都盲唖院における空間構成と教育プログラムに関する研究――明治期の京都盲唖院における建築設計図面,エスキス,関連資料から」『日本建築学会計画系論文集』第75巻第647号、p25-34、2010年1月
http://www.tmtkknst.com/works/TKINOSHITA_MOUAIN.pdf
◆主催 病と社会・環境・科学技術に関する近代史研究会
(立命館大学生存学研究センター「若手研究者研究力強化型」)
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