2014年の展評

Posted on 2014/12/30

年の瀬となりました。2014年に見た展覧会のなかで、心に残ったものをいくつか選んでみます。

1、内藤廣 「アタマの現場」(ギャラリー間)
内藤さんの建築に関する回顧展。建築の展覧会では、模型をすっきりみせたり、動線に配慮した展示をみせるのに対し、内藤さんはスチールラックに所狭しと並べる。あるいは壁に直接はりつけるようにしている。これは、博物館における古代生物の展示ブースのようで、氏の仕事の蓄積とともに数百年後、氏の建築が紹介されるときの状況を思い起こさせるものであった。

2、八幡亜樹「パランプセスト―重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き Vol.7」(gallery αM)
もっとも新鮮な衝撃を受けた個展だった。ギャラリーに入ると目の前にAdobeプレミアの古いヴァージョンで編集している画面で全体構図を示しつつ、そこから映像を飛ばす。まるで記憶を飛ばすように。鑑賞者は各部分の映像を繋ぎ合わせ、冒険しながらひとつの「記憶」を八幡さんと共有しているかのような身振りをとっている。

3、「日本国宝展」(東京国立博物館)
これまで国宝展は何度か開催されているが、今年は「愛国心」が話題になったためか、美術と政治について考えさせられた展覧会。
「国宝」「重要文化財」の認定基準として、年代やそのものがもつ背景が明らかであるという明瞭性がある。これらを辿ることでたしかに日本の歴史そのものを追認できるが、おのれの背後に存在する、いつのまにか刷り込まれた歴史観、幾多の過ぎ去ったものたちを回顧するものだった。

4、さわひらき「UNDER THE BOX、BEYOND THE BOUNDS」(東京オペラシティ・アートギャラリー)
オペラシティの空間をもてあますような展覧会が多いが、この展覧会はまるで次元が違った。もてあますというのは、たとえば高さがかなりあり、梅佳代展では写真を天井に貼ったり、かなり高い位置まで写真をしきつめたりしていたが、さわひらきはそうではなく、小画面から大画面まで散らばるように配置させる。鑑賞者であるわたしの意識・探究心をあちこちに向けることに成功している。

5、椋本真理子「Private Pool」(RISE GALLERY)
八幡さんの個展が衝撃を受けたものであれば、これはもっとも可能性を感じさせた個展。タイトル通り、匿名性の高いプールをテーマにした展覧会である。彫刻か、絵画か、という困惑も感じさせる。アクリルで仕上げるようなところは表情がなく、立体的であることも加わってよけい困惑させられる。また、展示構成からプールをめぐる物語を生成させられる点も興味深い。エドワード・ホッパーのような・・・。
あまり注目されなかったのは個人的に残念だし、仕上がりに課題を残していると感じたが、今後の展開可能性を待ちたい。

6、「映画をめぐる美術――マルセル・ブロータースから始める」(東京国立近代美術館)
デヴィッド・リンチ「ツイン・ピークス」のラストシーンあたりに出てくる、赤い部屋を彷彿とさせる「黒い部屋」が中心となる構成。中心の部屋にあるブロータースの各映像からそれぞれの作家につないでゆく。展示をみては元の部屋に戻る。そこにはブロータースがいる。過去の映像だ。そしてまた未来に飛び、彼に戻る。永遠に終わることのない展示がおそろしくもあった。

7、藏鋒-陳澄波特展(故宮博物院)
台湾出身で、東京美術学校で学んだ陳澄波の回顧展。油彩画・スケッチが中心で、岸田劉生を思わせる構成に色彩。家族の肖像画は小さな画面にパノラマ風にテーブルを囲むようになっていて、絵のまえに立つと家族の輪の中にいるように思える。書簡など周辺資料も豊富。カタログが刊行されていなかったのは残念だった。

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