2016年

夢殿観音(明治時代・小川一眞撮影)

年末年始、帰省までの切符を受け取った瞬間、2016年の瀬を感じることになった。いつもは飛行機で帰省するのだけれど、今回は新幹線を利用した。深い意味はなく、たんに新幹線から流れる風景を見ながら作業をしたかったのだった。たいへんよく捗ったのでまた新幹線を利用してみたい。

さて。今年について。2016年は良い一年だった。全国に散逸している盲唖学校の史料を調査してきたが、ようやくボリュームとしてもクオリティーとしても一定のものを得ることができた。これまで、京都や東京しかみてこなかったので全国にどのように展開してきたのか、おぼろげながらつかめてきたのがこの年だといってよいだろう。
この史料調査の成果としては、「九州における盲唖教育」がある。特定の盲唖学校のみに集中するのではなく、その地域全体を捉えることによって盲唖教育の傾向がみえてくることを意識した研究である。現在、これをもとに原稿を執筆中である。
これらの史料調査のなかでも、とりわけ、印象に残っているのは京都府立総合資料館での史料調査に目処をつけることができたことである。この背景はこちらに書いておいた。これを達成できたことは、大きな一歩であった。他に取り組んでいる史料調査も来年で目処をつけるつもりでいる。
その他、まだまだやりたい史料調査はあるが、成果としてから改めてリスタートを切りたいと考えている。博士論文を準備しはじめたのは2007年のことだった。あれから10年が過ぎ、博論を提出して6年が過ぎようとしているが、ようやく次のステップを固められている。引き続き、取り組んでいきたい。

同時に、研究上でとりわけ悩ましいことも書いておかなければならない。それは学会主催でない、大学主催や私的な会合による研究会になかなか参加できないことだ。例年、すばらしいイベントがたくさん開催されているのだが、スケジュールが合ってもほぼ手話通訳はついていないし、依頼しても費用面で派遣を断られてしまうことがほとんどである。そういうわけで参加すること自体がむずかしく、一体どうしたらよいのだろうと思う。身体障害をもつ、もたないにかぎらず、研究者における研究環境の充実を希望してやまない。

展覧会について。
今年も良い展覧会を見ることができた。
思い出してみるだけでも、恩地孝四郎、カラヴァッジョ、原田直次郎、モランディ、黒田清輝、吉増剛造、鈴木其一など巨匠の展覧会が続いた一年だった。いま、ちょうどクラーナハ展が開催中で、その波は途切れていない。六本木クロッシングもあり、現代美術の入口として機能しているように思える。どれもすばらしく、順位をつけることはできないのだが、印象に残ったものをいくつか。

・エッケ・ホモ
小谷元彦のTerminal_Impactに見とれていたけれども、出品リストにはfeaturing Mari Katayama “tools”とあるように、片山さんを素材として扱っている。生身の女性をこう言い切ること・・・現代社会でいう「人材」。人をパーツとして扱うことに見とれていたというのか、わたしは。おそらく、わたしの身体も素材にすぎないのだろう。

・カラヴァッジョ展
この展覧会はむしろ、カラヴァッジョだけでなく、カラヴァッジョから影響を受けた画家も包括した展覧会となっていた。カラヴァッジョが何を遺したのか、あの強烈な光のマチエールが脈々と瞬いている瞬間がとてもすばらしかった。

・黒田清輝展
黒田清輝の絵で忘れることができなかったのは、雲をめぐる連作であった。見上げるとそこに雲がある。それ以上のことはないのに、さまざまな形の雲から季節が喚起され、その季節から当時のわたしの姿が立上がってくる。その経験は何事にも代え難いものがあった。

公式twitterより

・奥村雄樹による高橋尚愛展
歴史に携わるものとして、対象とする人について語らなければならない。その人にヒアリングしたり、史料調査をすることで語るわたしとしての身体を身につける。高橋さんについて語る奥村さんの姿はそういう仕事を成しても、どうしてもFACTにならないことをあらためて教えてくれる。それ以上に、すばらしいのは高橋さんと奥村さんの信頼関係だと思う。

・佐々舜、椋本真理子、宮下さゆり、フカミエリ、西村有さんらの個展。
ギャラリーを歩き回るなかで、佐々さん、宮下さん、椋本さんは着実に技術を上げていると感じられる機会だった。技術が上がるということは、表現の肌理が高くなっていることでもある。新宿眼科画廊でみた、フカミエリさんの絵も福澤一郎のような、忘れがたい魅力があってすばらしかった。彼女の展開が楽しみだ。
西村有さんは2015年にオペラシティのギャラリーでみたのがはじめてで、今年KAYOKO YUKIで再会した画家。このような「再会」を大切にしたい。あれだけ優しく、弱く、明瞭なフォルムを描ける画家は希有だと思う。

・トランス/リアル - 非実体的美術の可能性
定期的に通っているαMでは梅津元さんがキュレーターとして今年度を通じて「トランス/リアル - 非実体的美術の可能性」をされていて、毎回発見がある。たぶんこれはわたしの聴覚障害と無関係ではないだろう。最終的には、3月末の終了を待ってから考えてみたい。

・古橋悌二 LOVERS
京都の芸術センターにて。装置がリノベートされ、関係資料の展示が興味深い。実際の展示は空間にいるわたしたちに呼応して古橋の身体が動くというギミックがあるのけど、古橋がわたしたちに反応して動く身体が装置の滑らかな動きと齟齬を生み出していて、彼の身体がイメージとなっている。

そのほか、最近は芸大の博士審査展もみた。論文と作品が同時に展示される形式が希有な構成だとおもう。できれば、論文は2、3部おいてもらえるとうれしい。「シン・ゴジラ」「君の名は。」も楽しく見た。

プライベートでは、尊敬していた知人が癌の告知を受けたことにショックを受けつつも、平常を保った。矛盾するかもしれないが、ショックと平常が同時にやってくるような経験だった。何かの経験の蓄積がそうさせるのか、それがどこから由来するかはわからないが、ちょっとまえのわたしからは考えられないことだった。ひとつのイメージとしては黒澤明「羅生門」における、森雅之の武士に近いものがあると感じている。

何事が起きても感情がすぐにやってこない、遅れてやってくる。

いずれにせよ、これらのことができるのも、平和であってこそである。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


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