20220106

特別快速の電車に乗る。停まる駅よりも停車しない駅の方が多く、ただ風景が流れていく。電車のなかで話をしているふたりの女性がいた。双方ともマスクをして、相手を見ながら頷いている。頷きによって発話が担保されているようにみえる。なぜだろう。『ユリイカ』に書いたぬいぐるみ論でも頷くことによって発話することを書いたな。明るい紫色の手袋をしている女の子が座席に脛をのせて外を見やっているのにつられてわたしも外を見ていた。少し舞っていた米粒ほどの小さな雪があるだけだった。夕方になるとそれは白いスクリーンをあちらこちらに被せていた。
『ショア』をみる。ブルーレイは3枚組で、1枚目を見終えた。収容されて生き残ったユダヤ人たちの語りに、今度はナチス側の人たちが語るシーンが入っている。昨日は通訳が入っている関係で、字幕が語りよりも遅れて出てくることを書いたが、エルサレムやバーゼルにいる当事者やナチス側の人物は語りと字幕が同時に出ている。なぜポーランドにいた人たちだけ遅れて出てくるのだろうか。地理的な距離の表現のためだろうか。この『ショア』にも、アウシュヴィッツの門のシーンで雪がうっすらとあった。そのとき、わたしの目の前を舞っている雪が、1940年代と2022年のあいだにある時間を鮮やかにつなげてしまう。80年前の過去が、つい今日起きたことのように。


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