指先が乾燥しやすいせいであろうか、何かとものを落とす一日だった。卵パックから冷蔵庫に移すときに1つを冷蔵庫の端にぶつけてしまい、卵が滑りおちてしまった。手をすべらせたその瞬間、わたしの脳裏にその卵を待っている結果をすでに見ていた。指から落ちて、床にぶつかるまでのあいだ、わたしは未来を予見するようにこの卵の運命がわかっていたのだ。それはわたしがふだん料理のために卵を割るときの力加減で黄身と白身が出てくることと、卵が落下していくなかでどれだけの力が加わりうるのかその力学を理解しているということもあろう。いや、それだけではない。他にも、割れる卵の映像を見ていたことだ。ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープの「クレイマー・クレイマー」では妻が家を出て、夫が息子と朝食を作るシーンがある。そこでフレンチトーストを作るために卵を割るのだが、その割り方が下手で殻がコップに入ってしまう。そんなシーンを知っているからでもあろう。卵をめぐるわたしの経験とイメージが指先から滑り落ちる卵の運命を見出してしまっていた。しばししてから下を見ると、白身がじわっと床に広がっているところだった。
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