20220201

2月1日。パスタにチーズをかけて食べながらニュースを見ていたら、熊本県産のアサリの97パーセントが外国産であるということが伝えられていた。中国産のアサリを熊本県の干潟にまいたものを熊本産として出荷していたという内容で、中国産と表記すると売れないことを顔のブラインドされた業者が話している。最後に、ある業者が産地偽装をしなくても成り立つ業界にしたいと決意表明をして終わる。こうしなければならない理由として、輸入食品については検疫所がモニタリングをするというのが一般的な理解であるにもかかわらず、安全性にたいする強い不安がひとつはあるだろうし、味の違いもあろう。でも、地名という言葉のイメージもあるのだと思う。バフチンの『小説の言葉』で、「諸言語の裡(うら)には、具体的な社会的・歴史的な衣装をまとった話者のイメージを見てとることができる」(平凡社ライブラリー、p.149)と書いているように、それが生まれ育った土地を示す地名はその社会・文化をもまとっていると考えてみれば、そのまとうものは一枚ではない。その地名が属する国家と、わたしが立っている土地が属する国家との物理的距離、政治・文化的交流、ひいては中国、熊本といった地名にたいする個人の思い出が幾重に覆い包まれている(それにしても「中国産」はあまりにも広すぎる。このアサリは中国のどこで生まれたのだろうか)。今を生きるわたしたちだけでなく、過去を生きたわたしたちがその地名において形成してきた事柄が、「中国産」のアサリに「熊本産」をまとわせてしまっている。あの広大な領土をもつ中国を、日本のひとつの地方公共団体である熊本が覆い包んでしまっている! チーズを手にとって残ったパスタにかける。テーブルに置こうとしたとき、チーズの容器の背中をひっくり返してラベルを確かめる。そこにはニュージーランドと書いてあった。


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