2月4日。補講のために大学へ。授業の準備などで時間をかけたので、執筆とリーディングを休んでいる。しかもメールの返信も遅れているものがいくつかある。新型コロナウイルス感染症の関係で授業内容の録画もする。自分が話しているところを見ると、どうも手話が小さすぎるのではないか。もっと大きく、のびのび見せたい。
帰宅するのが遅くなってしまう。今夜、北京オリンピックの開会式について、ろう者が手話通訳のフィーダーと組んで通訳をするいわゆる「ろう通訳」が昨年の東京オリンピック閉会式と同様の方法で付けられていた。少しずつ進展しているのを実感するが、まだ課題も多い。たとえば、「ろう通訳」の認識性だ。SNSでは「ろう通訳」を「手話の人」とするものが散見される、手話が言語であることがまだ充分に認識されていないのではないか。たいへん釈然としないものをおぼえる。
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