2月20日。今日の予定はオンライン・ミーティングひとつだけで今後のプランについて突っ込んだ話をする。ほか、京都新聞で連載しているAlong the Waysideの原稿の準備をはじめたほか、収集してあった史料をあらためて読む。
前に写真美術館でみた、潘逸舟 《トウモロコシ畑を編む》にかんするインタビューがよい。引用する。
――メインとなるのは30分近いパフォーマンスの映像ですが、2m近くのトウモロコシの畑に隠れて、その中を進む潘さんの身体はほとんど見えません。変わりに聞こえるのが、複数のスピーカーから流れる、ガサゴソという音です。
潘:トウモロコシ畑の間を通りながら、自分がトウモロコシの葉と擦れていく音の痕跡を素材にサウンドインスタレーションとして構成しました。擦れる音は、摩擦であると同時に出会いでもあるんです。どんな土地にしても社会があり、それぞれにの土地に対して記憶があったという時に、その記憶はすごく個人的なものもあれば、共同体的な記憶もありますし、錯覚的に、この土地に初めて来たけど見覚えがあるということもありますよね。そういったものは、自分が生きてきた社会や教育されてきたもの、見てきたものとどこかで接続しているはずで、その接続がどういう作られ方をしているのかということも、やりながら考えています。
摩擦であると同時に出会いでもあるということにしっくりくる。鉛筆の炭が紙をこすることができるのは摩擦によるからだが、こう考えてみれば摩擦の存在しない社会では何も表現できず、思い描くものができないのではないか。
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