20220302

Posted on 2022/03/02

3月2日。前回は2月23日だからまるまる1週間、日記を書くことができなかった。ドラフトは書いていたのだが、言葉にできなかった。もっと言うと言葉を奪われていた。24日からロシアがウクライナに侵攻し、町に激しい攻撃を加えているさまがSNSや写真やニュース映像、報道が2月24日から朝夜問わずわたしのパソコンやスマートフォンの画面を滑っていき、これから熾烈になることは容易に予想された。消耗されたミサイルの数や破壊された戦車や装甲車、崩落した橋の映像はある一地方の社会・空間が崩壊したあとの断層をみせている。ショッキングだと一言でいえばすむかもしれない。けれども、それ以上にわたしが言葉を失ったのは、大国に立ちはだかるウクライナの人たちを讃える言葉や、兵士にまつわる美談である。パトリオティズムではなく、社会の不可視性のことだ。筒井淳也『社会を知るためには』にもあるように、社会はほんらい全てを見通すことはできないのに、戦争という状態は社会をひとつに圧縮しているように見せられることを目の当たりにしていたのだった。社会を完全に俯瞰することなどできないのに、すべての世界、すべての社会が戦争に頭が向けられている。また、戦争は真実として起きているのに、イメージの消耗品としても存在していて、ウクライナがロシアを撃退するというドラマが期待されているようにもみえたのだった(軍のシンクタンクの分析を見ればわかるようにそれはたいへん厳しい)。真実とイメージというふたつのことがかなたから亡霊のようにミサイルとして飛んできて、自分の足元がひどく脅かされているように思ったのだった。そうしたことにこの1週間、言葉を奪われてしまっていた。まとめていえば、この1週間、戦争はわたしを唖にしていたのだ。

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