20220501

Posted on 2022/05/02

5月1日。5月は雨から始まった。朝はこれから雨になるの?と思うようなのどかな天気だったが、午後から雨が続いている。今日も日曜日を返上して準備しているウェブサイトの作業にかかりっきりだった。データを手作業で移行したり、文章を推敲するという作業を繰り返していた。芸術や詩文における表現で重要な概念であるこの反復は、身体を何かに乗せてドライヴしていく感覚が常にある。
おやつにイチゴ、はちみつ、きな粉、ヨーグルトを混ぜたものを食べる。わたしは「いちごにきな粉ヨーグルト」と呼んでいるが、これが大好きで。イチゴの酸っぱさと甘さ。はちみつのとろりとした濃厚な甘み。きな粉のザラザラした舌触り。ヨーグルトの酸っぱさとサラリとひんやりした味わい。本来は4つそれぞれの食材があるのだが、スプーンでかなりかき混ぜているので、口にするとそれは4つのものではなく融和して渾然一体としてやってくる。ひとつ、それは固体と液体といった物質的な状態の違うものが、混ざっているからだ。もうひとつはそれが「いちごにきな粉ヨーグルト」という名称という経験としてあるからだ。つまり、食材を買ったり調理して食べるといった過程の総和である。こうした渾然一体となったものは食事のときだけでなかろう。文章を読んでいるときにも同様の経験をしている。

「日露戦記文学の代表作とされる櫻井忠温の『肉弾』は、著者が一九〇四年五月に松山の歩兵第二二聯隊付の少尉として出征し、乃木希典率いる第三軍に加わり旅順攻囲戦に参加、同年八月の旅順第一回総攻撃において重傷を負うが九死に一生を得た体験を綴ったものである。」
堀井一摩『国民国家と不気味なもの』

この文章は123字ある。句点で終わる一文としては長いものだ。わたしは文章をなぞりながら、「日露」「代表作」「櫻井忠温」「肉弾」「一九〇四」「乃木希典」「旅順」「重傷」といったことが自分のなかで混ざりかけるのを感じている。読み終えたときに、櫻井が書いた『肉弾』の背景というものが、渾然一体となったひとつのことになる。なぜ渾然一体となるように感じられるかというと、文法によるセンテンスの構成が、わたしのなかでかたちづくられて、ひとつの構築体になるからだろう。それが渾然一体、ということだ。

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