20260219

ある住宅街には、世界のどこにもない奇妙な家が1軒あった。見た目は他の家と何ら変わりはないのだが、ただ違うのは地面から浮いていることだった。地面から10センチぐらい浮かんでいて小さく呼吸するかのように上下しているが、人たちが押しても引いても動かなかった。地面に寝転ぶと浮いている隙間の向こう側の道を行き交う人たちの靴やくるぶしが見えたし、夏には猫たちが日陰を求めて寝転がっていた。その奇妙さにテレビ局や物理学の著名な研究者が調査したり、週刊誌に載ったりもしたが、世間の関心はすぐに他に移ろっていった。周りの人たちはその家を「浮かぶ家」と呼んで、ときどき冷やかしに来る人たちにこれまでのことを話しては聞かせていた。
ある日、その家の前でキャッチボールをしている子供たちの投げたボールが勢いよくその家の下に入り込んだ。顔をのぞかせると土地のまんなかにボールが転がっている。子供たちの短い手はまったく届かず、棒きれでたぐりよせようと家の土台に頬をつけるも届かない。

「全然届かねえじゃん」
「もっと長い棒がねえと」

長い棒を求める声が広がるのが聞こえたのか、浮かぶ家の中から女性が出てくる。

「またなんか入っちゃったのかい?」

子供たちが訴えると、女性は家のなかに引っ込んで物干しのような長い棒を玄関からスルスルと出して、頭にはヘッドライトを点けている。子供たちを分けて、棒を捻ったかと思えば如意棒のように長く伸びていき、先端にははさみのような取っ手がある。それを土台の下に差し込んでいく。子供たちも土台と地面の間に顔をサンドイッチさせていた。ボールが取っ手に握られると、棒を捻って短くしていく。手際のよさからして棒で取り出すことにすっかり慣れているらしい。女性はボールを手渡して言う。

「ほらよ。中に入っちゃなかなか取れんから、公園でキャッチボールしたらどうね」
「そうすっかね」

子供たちは御礼もそこそこに公園に散っていった。

浮かぶ家は今もそこにある。

20260216

昨日書いた、皮を脱がした里芋は味噌汁になった。

冬は朝起きるのが億劫なのに寒さが甘ったるいのか、目覚めたときのあの冬の寒さが薄らいでいて、最近はすんなりと起きられる。天気予報アプリでは平年と変わらないようだが。

のそっと起き出していつものように青森の知人からいただいた富士山の形をした陶製のカップに水を半分くらい飲む。着替えて顔を洗って体を整える。カーテンを開けて今日の天気の予感をたしかめたあと、挽いたコーヒーをドリッパーで平らにして、お湯を少しずつ足していく。ステンレスのカップに入ったそれを手に窓辺に。カーテンの開いた窓からは、なだらかな丘の上に戸建てやアパートがあちこちを向いている。そんな景色が気に入ってこの家に住むことにしたのだった。建物たちの群れに木が押し入ろうと幹をくねらせているさまがみえる。ときどきヘリコプターや鳥が空を行き交うこともある。ダンデムローターが飛んでいることもあるから自衛隊だろう。カラスがゴミ捨て場から引っ張ってきたのだろう、パンを咥えて軽やかに家の屋根をスキップしているのもよく見かける。彼らにとっては、ご飯をいただくセーフティな場所に違いない。そんな窓脇での出来事だ。

コーヒーの少なくなったステンレスのカップを揺らす。琥珀色の波がステンレスのなかをまどろう。葉山の海を歩いたときになんでもない波打ち際の夏が去来する。そこには誰かと歩いたこともあったし、一人で歩いたこともあった。遠いあの時間がさざなみの上にのっている。手を大きく動かしてカップの壁にぶつけるようにコーヒーを燻らせる。なんのために海に行ったのだったか。何かの展覧会を見たついでに海辺を歩いたのだろう。何を話し合ったかも覚えていないが、ただ、その人が海の向こう側を見つめている背中を今もはっきりと覚えている。コーヒーの波打ち際の動きがわたしの記憶を打ちすえていた。

20260215

味噌汁のために里芋の皮をむくとき、ぐるっと包丁で切れ込みを一周。塩をふった鍋にそれを並べ、半身浴になるぐらいのお湯を入れて15分ほど沸かしていく。泡と湯気のあふれる鍋から布巾で取り出して、くるっとスルッとむけるのもあればそうでないのも。灰色の身が泥で黒々とした衣服から剥ぎ取ったときに、誰かを脱がしていくような快感めいたものがあった。

20260214

もう一度、言葉のなかを迷ってみようかと思う。もう一度、いま一度。