なぜ屏風は「六曲」が多いのか?

日本画で屏風という形式を考えるとき、どうして六曲がメインのフォーマットになっているのかということがある。二曲、四曲、八曲の屏風があるにもかかわらず、どうして六曲が定着したのか、という話。それで、『日本美術襍稿: 佐々木剛三先生古稀記念論文集』には村重寧さんの「二曲一双」が収録されているのが参考になる論文。これは本来は宗達、光琳、抱一の二曲屏風について考察するのが目的だが、前半に屏風に六曲が多いのかという理由を書いている。以下、村重さんの話をまとめる。

奈良時代:聖武天皇の遺愛品を東大寺に収めたときの目録『東大寺献物帳』には100の屏風のうち98が六曲になっているという。
平安時代:文献には曲数をあらわすものは見られない。
鎌倉時代:戸部禅門『門室有職抄』によると、「普通ニハ六枚也」とあるという。
・屏風のポータビリティを考えると、四曲、八曲だと厚すぎたり、大きすぎたりして運びにくく、六曲がちょうどいいのではないかという仮説を提唱。
・四曲の場合、立てるとMの形になって中心が突き出ていて、窮屈な感覚が生まれるのではないか。
・要するに、利便性や立てたときの視覚性の問題で六曲に落ち着いたのではないか。それも鎌倉時代にはすでに定着しているようだ。

ちなみに、二曲屏風の話も面白く、これがメインの議論。少し取り上げると『大内裏図考證』の「別録御屏風之巻」には、「屏風二枚折」の項目があり、「永禄二年記曰、不知其名、二まいをりのびやう風は、近き頃よりいできたるものなり、(略)古きふすまのせうしをもちゐたるあり、かならずひき手のあとあり、元信などの繪などには、二枚折のびやうぶはなし云々、」とあり、二枚折の屏風はこの永禄二年(1559)ころにできたと言う。なるほどね。惜しいのはそのソースとなる書名が「不知其名」として出ていないことにある。


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