鋭利な言葉

アンナ・パヴロワの写真のように、わたしはときどきハッとする「もの」をみることがある。「もの」とはわたしの外にあるものすべてで、自然といえばよいだろうか。なぜハッとするのと聞かれて、その理由を語り始めようとするとその「ハッ」とする感覚が頭のどこかからぬけていくようで、それを捕まえるようにして語り始めることがある。これはわたしの無知や語学力の不足、記憶力の弱さをさらけ出すことであるけれども、それでも言葉にしなければならない。
ガンマン映画で、一瞬の一発で勝負を決めるシーンのように、あるいは日本でいえば、居合い抜きのように言葉の鋭利な部分をもって「もの」を切り取る。そういう感覚で日々鍛錬することなんじゃないか。 でも、それってどうしたらいいんだろう? 自分が必要とするものがあったらば、その全体をみることだ。双眼鏡で星を見つけようとするときに、周りの星々が手がかりにするだろう。そしてその部分、内部、求めているものに入り込んでゆく。歴史家なら、過去から未来に流れる時間の大河の全体と部分をみることだ。
このように全体と詳細のバランスを取っていくなかで一瞬で出てくる言葉が鍛えられるのだと思いたい。そのなかで、他の人にはない、おのれだけの「もの」が出ると、そう信じてやっている。

source: Anna Pavlova, costumed as The dying swan [graphic] / photographs by Mishkin et al.


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